理想のワタシの追求
裸の赤ちゃんのように朝起き、泣きじゃくり疲れたら寝る。
楽しみを常に見つけ、感情の赴くままに表現し、すべてを笑顔で許容する。
ワタシもアナタも肉体を通じ精神の向上する偉大なる存在。
ワタシの體にある細胞の一つから美しく全体のワタシが出来上がる。
食べ物の艶を追求し、生活の艶も追求し、生きとし生きるものを追求し、生きていない生きているものも追求する。
食べ物の追求を言及しよう。
お腹が空ても、無駄に煩わせない。
體が必要な食べ物を知っている。
自分の思考を泊めて考えてみよう。
その土地に受け入れられた食べ物を食し、旬の野菜、旬の果物を食べよう。
日本だったら玄米を中心にコクモツを食そう。
麦にヒエ、アワにキビ、ソバ。
野菜は、ほうれん草、ゴボウに小カブ、ニラ、ヨモギ、わらび、ウド、ツクシ、たけのこ、にんじん、ピーマン、ダイコン、しいたけ、ネギ、トマト。
土とともに育つ野菜たち。
イノシシは、土を耕し、
人もイノシシのように土を耕そう。
フンが発酵し、土と空気と動物の循環をする。
食から体内を循環させよう。
ワタシに艶が生まれ、いつまでもワカワカしい細胞たち。
溢れんばかりの氣に満ち溢れ、いまから時代が生まれ、どの時代にも続いていく。
善き食事は、善き人間を艶を創るだろう。
生活の追求
遠足前の自分を思い出そう。
いまかいまかと、電車の窓に鼻をつけ、まだ見ぬ世界に心を震わせる。
好きなあの子のグループになり、ドキドキ、ワクワク、冒険、冒険、アドべンチャー。
好きなあの子でないグループでも、新たに喋る出会いの冒険、冒険、アドペンチャー。
生きる気力に満ち道、満ち溢れ。
満開の花がきょうも咲き誇る。
年をとっても、ワクワク、ドキドキの若葉が生まれる。
ただ、ただ、碧々しいものを咲かせることが生活の追求であり楽しみだ。
ダル重も、新たな生のはじまりはじまり。
ダル重を苦にもせず、静かにニコニコ笑って受け入れて、碧々と茂ろう。
生活の追求は、子供の頃の純粋な好奇心を思い出す。
仕事にも活かせ、人の役に立ち、自分の役にも立ち、艶を創る。
自然と太陽とともに生きよう。
夜行性では限界があるようだ。
心があたたまるのは太陽の光だ。
太陽のように生きよう。
何も語らず、ただワタシ達の生活を支えている。
何も要求せず、ただただ照らす。
水がなければ、枯れてしまうので水のようになめらかさも忘れずに。
水を追求していきていこう。
ドリンクバーやお酒の水は、すぐに尿として流れるが、井戸水や湧き水は、エネルギーとして吸収されいつまでも流れにくい。
なんとも自然の生活だ。
無理のない、自然の状態を追求しよう。
無理は無理なのだ。いつまでも続かない。変化の激しい淘汰される。
無理のない生活を求めよう。
草木が生えるのに、なんの無理があるだろうか。
野菜も果樹も本来は無理をしなければ、コンクリートの狭間からでも育つだろう。
ワタシもアナタも無理なく生活すればいい。
生きとし生きるものの追求
生を追求してみよう。
その土は、生きているだろうか。
数十年、百年、千年、、、
人間の限られた時間を超えれば、アスファルトですら微生物に分解され生になる可能性を秘めている。
死も生もないのであり、一体なのだ。
恐れるな、死ぬことは生きることだ。
生きることは死ぬことだ。
生も死も飲みこみ活かそうとしよう。
偶然が偶然を生み必然なのだから、生も死も活かすのだ。
人間の役割を思い出せ。
肉を食えば酸化が進み、野菜を食べると発酵が進む。
善き艶を作る人は、必然と精進料理を好むようになるのだ。
無理なく好むのだ。
自分も活かせ。
死んで土になる動物の死骸を食べたら、新たな循環が生まれる。
無理やり牛を殺し牛を産めば、当然その掟を破ることになり循環が歪み、地球が歪み、砂漠化する。
生きとし生けるものを活かすのだ。
生きていない生けるものを追求
生きていないものも生きている。
焼肉屋の牛も生きている。
あなたが口に入れたら、唾液が糖質に分解し、胃が細菌を死滅させ、タンパク質にする。
膵液、胆汁などが吸収を促進させ小腸や大腸で消化、排出する。
あなたの中で牛は生きている。
切ることのできない永遠の縁なのだ。
どの物を見ても切っても切れない縁である。
生きていないものなどなにもない。
あまりに、人類は破壊と創造にわたしたちは一気に踏み込みすぎているのではないか。
生きていないものが増えているのではないか。
そしたら、当然生きていない側の世界をみることになる。
これを死として名付けているに過ぎないのだ。
生きていないものも生きているものも活かそうとすれば、すべてが永遠に生きるのだ。
これ以外になにもない。