陽の出の時
ポラリスは、真っ白な空間に佇んでいた。
周りを見渡しても、何もない空間だ。
「(ここは、スヴァローグの心の中か)」
そう気づいたなら、足元には彼の後悔と絶望の数々が転がっていることにも気が付いた。
それらが来る方向に、彼はいた。
「お前がスヴァローグか」
「ああ。俺が、スヴァローグだ」
「挨拶が遅れたな。俺はポラリス、説明すると長くなるが、キリエと同郷の者だ」
「そうか、キリエと同郷だったのだな。色々と合点がいった。挨拶が遅れたのも、お互い様だ」
意外にも彼の素は冷静で、淡白な気質のようだ。少なくとも、ポラリスにはそう見えた。
「…すまない。俺は、どうやら誤解をしていたようだ」
「…?目が覚めたのは先程ではなかったのか?」
「ずっと、夢を見ていたんだ。現実と同じ夢を」
ポラリスは理解は出来ないが、納得はした。思い当たる節ならいくらでもある。
「まあ、難しいさ。何が正しくて、何が悪いのかは結果論でしか語れない事が多い」
「俺にとっては、ノーザンを守れるかどうかだけなんだ」
「成程、そうか。ならば、やはりお前は正しかったのだ」
今、二人がいる空間はスヴァローグの心の中。つまり現象に対する復元力はスヴァローグ次第。彼が許容すれば、全てが許される。
ポラリスは自らが持っている記憶をスヴァローグにも見れるように、彼の目の前に映し出す。
そこに映っているのは、雪に閉ざされ、外敵の脅威に脅かされながら必死に生きてきたノーザンの民たちの生活の記憶だ。ポラリスが自分で見聞きしただけではなくリゲルやアトリアたちが撮影した記録映像や画像も流れていく。
「彼は、ロイに似ているな」
「ロイ?ああ、第2代公主か。彼の名はヴルト、次代の公主と目されている」
「彼女は、ルイに似ている」
「2代目の妹か。彼女の名はオリヴィア。彼女もヴルトの妹だ」
「これが当代の公主か。キイが老いれば、こんな風になるのか?」
「さあ?ただ、幼少期から似ているなら、結果は見えているような気がするな」
貧しいが穏やかで、寒そうだが豊かな技術で、世界はあくまで平和だった。
記録を見ていくほど、スヴァローグの心は再び揺れていく。笑顔の眩しさに、目が眩み、涙が零れていく。
「俺は、英雄になれたんだな」
「ああ。お前がこのノーザンを守ったんだ。だから、今、みんなノーザンに生きている」
大粒の涙を流し、それでも笑顔を目に焼き付けるスヴァローグの代わりにポラリスが胸を張る。いつしか、足元の後悔は全て消えていた。スヴァローグは、ようやく自分を肯定できたのだ。
「(間に合った。みたいだな、公主)」
時は遡り、ポラリスが天文台での全ての調査結果を公主へと公開した日から六日後の事。
「答えは決まったか」
『ああ。このノーザンを、解放してほしい』
画面の向こうで、ノーザンの頂点に君臨する男が恥も外聞もなく、頭を下げていた。
観測室にいるのはポラリスだけであり、その姿が外部へと漏れることは無い。
ポラリスは、予想していたのか眉一つ動かさない。
「手段は、問わないと?」
『その通りだ。こちらで出来ることは何もない。全て任せるしかない。その上で、代わりに彼に伝えて欲しいことがある』
「可能であれば、善処しよう」
『彼に、感謝を。そして…』
『ノーザンに生きてきた全ての民に代わって、彼に伝えて欲しい。英雄たちに謝罪したい。ノーザンの民の我儘の為に命を懸けた英雄たちに』
それは、ポラリスの記憶。喋っているのは、当代のノーザン公主。
これは、全ての英雄への謝罪。
『深謝する』
ノーザンは放棄しなくてはならなかった。初めから人が住んでいい大地ではなかったのだから。自分で自分を守れない集団は絶滅する定めにある。
それがわかっていたから、ノーザン政府は残留する者の私財以外の全ての一切合切を廃棄物すら含めて持ち去った。
生きる資格は、生きる能力を持って初めて得られる。自らで衣食住を整え、外敵から身を守り、そして文明を進歩させていく。
キイは、優しかった。死ぬと分かっている人々を見捨てられなかった。リビジは、そんな愚かな兄を置いていけなかった。キリエは、全ての運命を捻じ曲げた。
そしてスヴァローグは、必ず訪れる滅びさえ、覆した。
スヴァローグがノーザンを燃やしたあの日、このノーザンに発生した特異点を我が身へと閉ざしたがためにスヴァローグは特異点に変質してしまった。
英雄たちは、みな自分の未来を捧げてノーザンの為に尽くした。そんな犠牲から、目を閉ざし続けてきたのはノーザンの人々だ。
スヴァローグを誰も見ていなかったのは、自分たちの事で精一杯だったからだ。スヴァローグが、ノーザンを守るという役目を果たしたうえで、自らには出来ない事にも挑戦しようとする姿に焦がれたのだ。
だが己の役目しか学ぶことのできない者たちは、文化的に英雄たちに劣っていたことを、理解できなかった。理解できないものを拒絶する人の本能がスヴァローグを拒んだ。
誰も、そのことを教えてはあげられなかった。だが、それも5000年の時を超えて果たされた。
「ああ。そういうことだったのか」
「ようやく。わかったようだな。スヴァローグ、君は英雄だったのだ。初めから」
スヴァローグは嗚咽する。そして、一筋だけ流れる後悔。それは今だからこその後悔。
「初めから、解っていたのなら、もっと話したいことあったのに…」
「…それはもう間に合わないが。だがまだ、間に合うことはあるだろう」
「ああ。そうだな、最後に、最後に…できることをしよう」
心の中の世界はスヴァローグの決意の言葉と共に閉じられ、ポラリスの手の中の結晶から淡い光と、小さな炎が漏れ、そして一瞬にしてその炎は大地を走っていく。
『何!?』
『陛下!結界を再展開します!』
比較的近くにいたスピカ、リゲル、アトリアの三人の反応は早かったが、ポラリスは僅か一言で制した。
「いい」
『御意』
その真意は、もう聞く必要は無かった。炎はもう何も燃やさない。傷ついた大地を穏やかに撫でるように、緩やかに揺らいでいるだけだからだ。
炎はスヴァローグの命の最後の輝きを、ノーザンの大地を再生させるために表面のテクスチャを削り遠回りの積み重ねを閉じていく。
やがて天文台や公都にも到達し、公主やオリヴィア、ヴルト達もその炎を見て、英雄への畏敬を一層深める。
そして全土を撫でて、静かに消えていく。
栄養豊かな大地に巻き戻り、隠れていた獣たちも顔を出し、芽吹きさえする。
ポラリスの手の中の結晶は、もう温度を感じない。光も無く、魂はもう残っていないようだ。
冷涼な風だけは変わらなかったが、それもノーザンの真の姿だったのだ。
ノーザンの大地にの全ての者たちが、眩しさを覚えた。
見上げれば、最後の炎が雲を晴らし、約五千年ぶりの日の出を迎えていた。




