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Nadia〜スターライトメモリー〜  作者: しふぞー
ニヴァリスの導き 編
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ニヴァリスリコレクション2

 公歴1年。つまり、キリエがノーザンを発ってから1年が過ぎた。

 国家としての統治体制は意外にもすぐに軌道に乗り、問題が発生してもすぐに解決する為キイでさえ事後報告で知ることの方が多くなっていた。

 何でもかんでも一人で決済する気でいたキイは肩透かしを食らったようで歯ごたえがないと零していた。

 彼の仕事は最高審判と会計閣議が主になっていた。それ以外の雑事は基本的にキリエが全て決めた通りに回っていたからだ。

 彼がいなくなって、初めて彼の偉大さを皆が認識し始めた。

 誰もが焦り、誰もが自分の職務に、責務に集中していた。

 発足した軍部はノーザンの外からやってくる襲撃者を撃退し、警察組織が治安維持を担い、法務部署は法に則って裁決し、経済を、商工を、それぞれの担当部署が統率する。

 市井ではそれぞれの職を手に、みんながプロ意識を持って自分の仕事に邁進していた。

 コミュニティが生まれ、文化が生まれ、そしてスヴァローグの居場所は少しづつ、少しづつ失われていった。

 

「君は本当に不器用だな」


 みんな自分の仕事に手一杯で、誰も助けてはくれない。


「もうしなくていい」


 キリエは、自分の仕事をしながら片手間にスヴァローグの失敗の後始末をしてくれた。

 しかし彼ほど優秀な者はノーザン広しといえど一人もいない。


「今忙しいんだ。仕事を増やさないでくれ」


 自分が失敗すれば、それだけ仕事は遅延していく。


「別に、もうあの人がいなくても自分たちで守れるよ」


 戦場に駆けつけるよりも、元より外縁部で駐屯している軍隊だけで事足りた。

 もう、戦場にも、自分の居場所は無かった。

 

 

 キイと、キリエと、リビジと、みんなと共に駆けずり回って、戦って、帰ってまた働いて。

 あの日々は、もう戻らない。その当然の事が、こんなにも辛いとは思ってもいなかった。

 公歴1年と1ヵ月。スヴァローグはゼニットへと一人、戻っていた。

 スヴァローグは人間ではない。そもそも純粋な生命体でもない。外からエネルギーを得なくても生命活動が出来る、亜種生命体であった。

 ご飯も食べない、寝る必要もない、そして何もしなければ、誰も必要としない。

 厭世的な気質は、生来の物だったのかもしれない。

 意外にも、スヴァローグはこの生活の方に適応していたようだ。

 何事もなく、自ら眠る様に数週間が経った。


「やあ、スヴァローグ」


 彼は、摩天楼の頂上まで、やってきた。


「何故来たんだ…キイ」


 明朗快活なるキイは、多忙な政務の合間を縫って会いに来てくれた。当初スヴァローグはその行動が理解できなかった。自分が無価値な存在だと思っていたからだ。自分が無意味な存在だと思っていたからだ。


「友達だからさ」


 その言葉の意味を、真に理解するまでには、さらに時間を要することになる。

 これまではずっとキリエやリビジと話しているのを外側から眺めているだけだった。

 キイが初めて会いに来た時に話した内容は、他愛もない近況報告であった。そしてこの時の後も、度々キイははるばるゼニットまで一人で飛んでくるのであった。


「今日はいいものを持ってきたんだ」


 時には、珍味や酒の類を持ってくることもあった。


「これ、最近市井での流行り物でね」


 晶細工の土産を片手に持ってくることもあった。


「リビジがね、最近どこか他人行儀なんだ」


 彼の口から語られるノーザンの近況は、みんなが自分の仕事に集中して国家体制はより洗練されて盤石になっていくことを、本人は無自覚であったがスヴァローグはやはり自分がこの国には居場所が無いということを思い知らせて来るように感じていた。


「俺は、何のために生まれたのだ?何のためにここにいるのだろうか?」

「どうしたんだいきなり」


 ある日、スヴァローグはずっと頭の中に靄を振りまく寄生虫を吐露した。思いもよらぬ言葉を聞いたキイは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で浮かべて驚嘆の限りを尽くした。だがスヴァローグにとっては、最早アイデンティティの存亡をかけた一大事である。


「いきなりなどではない。俺はずっと悩んでいたんだ」


 キイはすぐに真剣な顔で傾聴する。

 このノーザンに残るただ一人の知識人たるキイには万人から投げられる幾億もの言の葉を呑み込まざるを得なかった。

 その9割をキリエが処理したとはいえ、それでも彼は聞き上手になるしかなかったのだ。


「俺はここ(ノーザン)に来るまでの記憶が無い。何もできない俺は、どこで、何のために生まれたのだろうか…」

「確かにそれは悩ましいな。うむ、実に悩ましい。だが俺にはどうもそれがそこまで重要だとは思えないのさ」


 聞き上手らしからぬ否定を聞いて今度はスヴァローグが面を食らう。だが生来キイは聞き上手なわけでもない。彼の本質は実のところ性悪説なのだ。人には善も悪もある。だからこそ、人の善性を信じ、他人が悪の道に進まぬように全力を尽くすのがキイの信条であり、その道の果てに今の地位がある。故に、彼は聞き上手であることよりも自らの性悪説を貫くのだ。


「何故だ?」

「今の俺はこのノーザンの頂点で、俺の元には数々の大臣がいて、さらには数々の官僚と兵士もいる。そして俺と同じ声望を持っていた男もいる」


 いつになく真剣な、その瞳にスヴァローグが集中する。キイはいつもと変わらぬ真剣さであったがこれまではスヴァローグの方がキイと目を合わせる経験が無かったのだ。それどころかキリエには理由が無ければ人と視線を合わさないという悪癖があり、リビジは雑事に長けておりキリエやキイには及ばずとは言え教育を受けてきたため当時のノーザンにおいては智謀の才がある側であったので尚更多忙であったのだ。そして、キイに対してはスヴァローグの方が気後れしていつもキリエの影に隠れていたのだ。

 キイが今の地位についてからは大臣たちが自主的にスヴァローグを隔離してくれた。それに二人が合わないようにスヴァローグでも出来そうな仕事をわざわざ探して割り振ってさえくれていた。

 全て失敗したが。


「だが俺もリビジも本来は一般市民の中でも中の下と言ったところで、キリエに至っては単なる実験動物紛いの生まれだ。どこで生まれたかなどどう死ぬかよりもはるかに意味が無い。一部のブルーブラッドという例外はあるがな」

「俺はその例外かもしれない」

「俺は、その例外の生き方も知っている。運命という不埒な者が先導するのだ。その者が生きるべき場所誘う実に不埒な者だ。だから君がブルーブラッドであったのならば、ここにいるのも記憶が無いのもその運命という輩の沙汰なのだ」

「ではそうでなければどうなのだ!」


 煙に巻くような言い草にスヴァローグは我慢の限界だった。しかし彼に出来るのは自らの拳で膝を打ち、大声を出して自らの苛立ちを主張することだけであった。


「生まれ持っての宿命から解き放たれた者はすべからく、自らの望む道を進むんだ。君はどうしたい?君はどうありたいんだ?言ってごらん。ニヴァリスの旗に誓って俺はそれを全力で支えよう」


 この時、スヴァローグがどう答えたのか、スヴァローグはこの期に及んでも思い出せなかった。

 ただ、この時は幾らか気の晴れる答えが出せたような気がする、とだけは思い至った。 

 思い出せないことが、そこまで心の中を蝕むことなく単なる疑念として処理することが出来たからだ。

 まるで丸めたティッシュペーパーをゴミ箱に捨てるように、役目を終えた疑念であったからだ。


「ニヴァリスの旗はニルヴァーナを象徴するものだ。そしてこのノーザンに伝わる伝承の英雄の名でもある。だからこそ氷像の騎士はニルヴァーナと呼ばれているし、将来名のある戦士になることを望まれた子にはニルヴァーナと名を付ける。彼らは皆同じ名前だが生まれも育ちも人生は全て丸ごと別物なんだ。人と同じ人生を無理に歩く必要は無いんだよ」


 キイは英雄に憧れ、そのための行動が出来る人間だった。

 スヴァローグは、少し勇気を貰えた気がした。



『出ていくなら連絡ぐらいしなさい!』


 通話機の向こうから金切り声を上げるのはリビジだ。実のところ長らくスヴァローグはリビジの下で厄介になっていたのだが言伝一つ残さず去ってしまっていたのだ。

 当然心配もしている。スヴァローグもまた自分の事でいっぱいいっぱいになっていたのだ。


「ごめんなさい」

「まあまあ、スヴァローグもこう言っているのだから。許してあげてよ」

『兄さんが甘やかしすぎなのよ!』

「ええぇ!?」


 助け船を出したつもりで思わぬ延焼の仕方をしたキイは素っ頓狂な声をあげて驚く。

 スヴァローグは、ようやく失った何かの一部を取り戻せたような気もする。この時だけは、この団欒に助けられていた。




 キイが置いていった通信機で、様々なやり取りをできるようになったことで、スヴァローグの心境も大きく変わっていった。

 キイが訪れる際、出迎えもするようになった。

 ゼニットの街を歩くこともするようになった。

 色々と落ち着いてきて見える景色も変わってきていた。このゼニットの街は想像もつかないほどの栄華の限りを尽くした文明の残滓だ。しかしその栄光を享受していたのも今やキイとリビジの二人だけ。

 あと1000年は再現のできない建材、想像もつかないデザイン、だが全てが終わった街。

 何もないように見えて、全てが揃っている街。

 今のノーザンでは10年もたたずにほとんど使えなくなってしまったが、きっといつかは、また戻れるはずだ。

 スヴァローグは、そう信じていた。



「攻め込むだって!?」

「ああ。このままただでやられてるばかりじゃジリ貧だ。際限なく戦力を必要とするし、みんなが落ち着いて暮らしていくには敵が多すぎる」


 ある日、唐突に話したその決意は、スヴァローグがずっと目を逸らしてきたことを、キイはずっと正視し続けてきたということを

 キイの目は、もう決断をした後の目だった。


「だから、僕がここを離れている間、僕の代わりにノーザンを守って欲しいんだ」

『お前はこのノーザンを守るんだ。俺の代わりにな』

「わかった。俺が必ずノーザンを守る」


 


 キイが外征して数日、彼の代わりに毎日のようにリビジが連絡をしてきていた。

 何の異変の無い毎日。

 終幕の始まりは、他のどこでもない、ゼニットから始まった。

 突如として再び開いたマテリアルとのゲートから現れたのは夥しい数の機械兵達。それは、ずっとキイとキリエが戦い続けてきた因縁の敵たち。

 次から次へと現れる敵たちは、最早視界の全てを覆わんとするほどであり、今ノーザンに残っている全ての戦力を差し向けても一瞬ですりつぶされて終るとすぐに分かるほど多い。

 例え外征しているキイたちが戻って来たとしても、結末が数秒変わる程度の事でしかないだろう。

 キリエならどうにかできるかもしれない。けれどももう彼はいない。

 今、このノーザンを救える可能性を持っているのは、スヴァローグだけだった。

 スヴァローグはすぐに通信機でリビジに連絡し、非常事態を伝える。


『そう、マテリアルのノーザンは落ちたのね…。あなたもそこから逃げて。あなたなら逃げ切れるわ』


 逃げていい。リビジはそう言ってくれた。

 スヴァローグがどれだけ不器用で、どれだけ失敗を積み重ねても、彼をこのノーザンにいらないと言う者は誰一人いなかった。

 ここに余裕があれば、もっと、幸福になれたのだろうかと、スヴァローグは気付いた。気付いたのがもっと早かったら、ノーザンの為に出来ることなどいくらでも探せただろう。

 如何なる後悔も、運命の前では些細な違いでしかない。

 何より、この時にスヴァローグはこの選択が間違いでは無かったと確信していたのだから。

 

「俺が守るよ。全部!」

『やめなさい!スヴァローグ!』


 スヴァローグは通信機を投げ捨てて飛び出した。敵の真っただ中へと身を投げ出し、数百数千の火線が彼を貫く。しかし彼の身体は燃えるように再生し、さらにその炎は機械たちに次々延焼して燃やし尽くしていく。


「一匹たりとも逃さない!ノーザンは、このスヴァローグが守る!」


 自らの制御を外れた力の行使によって、滅亡の運命を覆す。

 だがその対価は、制御を外れる事そのものだった。

 スヴァローグの認識ではこの時、ありったけの炎を吐き出し、そして敵を殲滅することに成功した。

 だが、意思が飛んでいる間に彼の炎はゼニットを燃やし尽くすだけには足らず、ノーザン全土へと炎の手は広がっていった。

 公都はリビジが守り抜いた。ある花園は氷像の騎士が守り抜いた。農村の民たちは地上を這う炎から家の屋根に乗って逃げ延びた。

 だが全土を覆う麦畑と、ゼニットを囲う湖の水と、川は瞬く間に蒸発し、空から見れば、漆黒の大地を炎が覆う地獄絵図が広がっていた。


「よく、頑張ったね。スヴァローグ」


 スヴァローグが意識を取り戻した時、彼の身体は氷に閉ざされていた。

 傷ついたノーザンの大地を癒すように、止まぬ雪が降り続け、身に余る力を行使したスヴァローグは世界を崩壊させる存在へと変質してしまっていた。そして将来全ての罪を赦す者への贈り物を残してきたキイが、スヴァローグを覆うように自らを人柱としていた。

 急いで戻ったキイが、スヴァローグを決死の覚悟で押さえつけ、ノーザンで最も堅牢な場所へと封じていたのだ。

 星を眠らせる封印が発動し、スヴァローグの意識が再び遠のいていく。

 自らの犯した惨劇を理解し、そしてかけがえのない友の亡骸と、その大きすぎる愛を受け止めきれず、スヴァローグの意識は絶望の底へと、沈んでいった。

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