無慈悲な処置
包囲陣右翼改め防御陣左翼。防衛線構築直後から大量のクルーエル兵が流れ込み、少数のノーザン兵はあっという間に戦場の空気に呑まれそうになっていたものの、ギリギリで戦局をコントロールすることが出来ているのは指揮を発するリゲルの巧みな用兵術と言うべきか、クルーエル兵達が乗せられやすいのか、あるいはそのどちらもか。
リゲルはどちらとも考えていないようだ。彼の指揮は常に的確で、適切に、そして効果的だが表情は常に諦観のそれだ。
ハイスクールに通っていてもおかしくないような年齢で進士及第したリゲルの才覚は通常千年に一度と呼ばれるレベルにある。彼が見ている景色は自分の指揮によって異なる文化を持つ部隊が力を合わせて対抗している状態ではなく、現状維持を続けているだけで、立ち止まりながら少しづつ破滅へと後退している。
時を遡り、作戦の策定の時。
「観測結果がでたわ。どうあがいても明日明後日で特異点の成長は限界に到達します」
空中に浮遊する氷の会議場に集ったのはいつも通りの上役であるポラリス、スピカ、リゲル、アトリアの四人。全体への作戦説明を行う前に、全ての計画を四人で決定する。参加権はソルジャーの資格である。
「特異点が成長しきれば、リソースの大半は星幽に振り向けられる。星幽が増えて、無意識領域が広がれば、我々は襲撃されるでしょうね。御身をお守りしている余裕は無くなります」
「初めから、必要ないと言っているだろう」
「…この話はあとに致しましょう。それよりも星幽の伸張についてです。今は崩壊点の成長を優先しているのか小型・中型が大半ですが、我々を襲いに来るのは大型が中心になり、下手をすれば亡霊騎士が出てきますよ。ノーザン兵に犠牲を出せばダヴー将軍からの心象が悪くなるわね」
「あの人に嫌われると今後が難しくなりますよ」
リゲルとアトリアはポラリス達が来る前からノーザンの政治中枢と協力して調査を進めていた。
現在のノーザンは慢性的な少子化によって人口減少期を抜けた後であり、若年死亡率や自殺率こそ低いが人口増加はほとんどなく、競争が減ったことで慢性的に人材不足が進んでいる。
結果長年大きな失敗もなく、絵にかいたような質実剛健なダヴーが数少ない有能な大物として突出した発言権を得るのはそう珍しいことではなくなっていた。彼が利益誘導を行わず、公主に忠実に職務を遂行することで誰の敵にもならなかったことも大きい。
それは公主の後継者たちの指南役に指名されている所からも伺える。
災害とは被害を抑える事だけが必要な対処ではない。受けた被害を復興することも重要だ。
ダヴーに遠ざけられてしまえば、ノーザンをポラリス達の敵に付け入られる隙を晒したうえ対処が後手に回ることになってしまう。
「それは、不味いわ。私たちの味方になってくれる人達を敵に回すなんて、したくないわ」
「分かっている。だが戦力が足りないだろう。それも犠牲を許容できる戦力が」
「まあそこはクルーエル軍を叩き潰して乗っ取ればよいでしょう」
クルーエル軍を味方に引き入れるという策を提示したリゲルに対し、反論を述べたのはやはりアトリアだった。
「そんなことをしてみなさいよ。クルーエルを許す理由なんて崩壊点側には何一つないんだから、我々も敵に認定されるわ。最悪ノーザンの市民を危険にさらすことになる」
「ノーザンの市民を襲うことは無いだろうが、まあ我々が敵対に確定するのはそうかもしれませんね」
このリスクについてはリゲルも納得する。この4人の中では情報を全て共有している。辿り着く結論は結局皆同じになるのだ。
「それに、その時に問題となるのはほぼ確実に亡霊騎士を相手にすることよ。ハッキリ言って、ヴァンガード第一部隊は頼りにならないわ。特に隊長のメヌエットなんてもう使い物にならないもの」
突き放すようにそう言い放ったアトリア。彼女は淡々と話しているが、むしろメヌエットを慮っている立場だ。何せ、リゲルは無慈悲な作戦を立案していたのだから。
「じゃあこうしましょう。ノーザン兵には最初から対星幽の準備だけをさせ、クルーエル軍は我々だけで下す。そののち、全戦力を以て星幽を誘引、殲滅します。ヴァンガード第一部隊は俺が使います」
「大丈夫なの?本当に」
「陛下、俺にお任せください。シェダルにテストを頼まれているガジェットがあるんです」
ポラリスは少しだけ思案して、そして毅然と決断を下した。
「万事任せる。全軍の作戦立案も、担当せよ。アトリアは補佐に回れ」
「「御意」」
リゲルの想定外だったことは、クルーエル兵が傷を、死をあまりに恐れないことだ。
指示は聞く。知能が少々低いため言葉を選ぶ必要があるが潰れ役も犠牲も厭わない。便利な兵だが防衛戦という兵士一人一人の生存時間が重要な戦闘においては少々向かい風な性質だ。
クルーエルにも回復魔法や治療魔術を使える者が支援部隊を組めるほど残っていたこともあってローテーションで継戦能力を上げることが出来ているがこれではとても長持ちしない。
「(まずいな、どこか突破されれば戦線が簡単に崩壊する…)」
揚々と戦うクルーエル兵団とは裏腹に綱渡りをさせられているリゲルは焦りが表情に現れていた。
その様子は隣で共に戦況を俯瞰していた公太子ヴルトが心配そうな表情をしていることでリゲルは自覚する。
だが今回ばかりはその焦りも致し方ない。作戦が上手く行き過ぎて失敗する経験は未だなかったのだ。作戦とは失敗を前提に立てるもの。全て成功するのはともかく、期待以上に推移し続けるのは想定したことが無い。
「リゲル卿、顔色が悪く見えるのだが体調でも崩したのか?」
「体調は万全です。現状が予想外の方向へ向かおうとしているので修正に苦慮しています」
『もっと広範囲に作用するギアを使いますか?』
「馬鹿を言うな。クルーエル兵の消耗が加速してしまう。範囲攻撃は対空攻撃にのみ許可する。僅かに人手が足りないな…」
ソルジャーは只人の入り込めないような過酷な現場にも赴く。そんな現場に連れていける人材は現状そう多くない。人手は現地で調達もできるし代用もできる。しかし指揮官は別だ。ソルジャーの作戦を理解し、その上でさらに細分化された指揮が出来る者を育つには高度な教育制度と設備が必要になる。
今、欲してもないものねだりにしかならない。
「ならば指揮は私が担いましょう」
「想定外は続くものだ」
そこに立っていたのは数々の戦傷を湛えた老騎士、アストルフ。敗残の将が勝者の隣に並び立つ。
「こんなに早く復帰できるように手加減した気はなかったのだがな」
「中々効きましたよ。死を覚悟したのは久しく、忘れていました」
「食えん爺だ。だけれど今は助かるよ。そもそも彼奴等の手綱なんてあんたの方が専門家だろうしな」
つい先刻まで戦い合っていた仲だったがリゲルとアストルフは見た目の年齢差通りの孫と祖父のような気楽さで談笑する。幾度もの戦場を潜り抜け、似たような経験もしてきた。故に、共闘すると決めたのなら、手を取り合う。切り替えの良さが身についている。
たたき上げで陸軍総司令官にまで上り詰めた老練なるアストルフに若いリゲルが同じ境地にたどり着いているのはそれだけ一度の経験から吸い上げる才能に長けているということだ。その重責を担う能力はヴルトから見ても最早疑う余地は無い。彼もリゲルに倣うことにした。
「これまでずっと苦しまされてきた分、味方になると心強いです」
「ほっほほ、戦において肝要なのは何よりも敵が最も嫌うことをすること。お褒めにあずかり恐縮です」
アストルフは最高礼を以てヴルトに向き合う。今は共闘する間柄、そしてヴルトの地位はアストルフが奉ずるカタリナ姫と同様君主の子。姫君と変わらぬ敬意を払う。
「ヴルト殿下、アストルフ翁、地上戦力の指揮はお任せします」
「しかと承りました。して、リゲル卿はいかがなさるおつもりですかな?」
リゲルはニヤリと笑みを浮かべ、同時に星装を纏う。
「空を、討つ!」
雷が、空へと昇る。天を駆け上がる雷鳴は光から遅れ、空中の星幽を次々と打ち払う。大剣の刃は空中を自在に駆け回り、柄から伸びる雷の鞭は電気の流れに従ってホーミングしては実体のない星幽には効果てきめんで貫いていく。
「そうら、空は俺が守るからヴァンガード達は地上を支援しろ!」
『了解!』
ヴァンガードの隊員たちは一斉に高度を落として火砲を下に向ける。只一人、出遅れたメヌエットを除いて。
「メヌエット、どうした?反応が遅れているぞ」
『申し訳ありません!』
ハッと我に返り、メヌエットは部下たちに続く。リゲルの視界に、一つホロモニターが増えて展開される。状況は好転したとまでは言わないが、机上では余裕が見えただけにポーカーフェイスで隠してはいるが笑みが陰に浮かぶ。
「(まあいい。色々好都合だ)」
降りしきる雪を伝って電撃を繰り返し放つ。空の戦域から離脱したヴァンガード10人分を補って余りある働きでリゲルは暴れまわる。強力な雷撃は、物理現象とは別の理屈で動いている。空中機動、戦域指揮と同時に幾つも並列思考を巡らせる。さらにその他にもリアルタイムで計測し続けている環境集積情報のデータを同時に分析する。
頭が下に、全身が逆さになってもその思考は揺るがない。
「さて、そろそろかな?」
彼の視界に写るメヌエットが引き金にかける指は震えていた。
ヴァンガードの実戦への投入は未だ途上、セントラルは長年続いた内戦で様々な面で国力を大きく落とした。特に人材面では上から下までとにかく足りていない。
実力が優先、内面は後回しにされる。
それは性格の良し悪し等の影響よりもはるかに致命的な欠点を持つ人材をも採用することになる。
事に、戦場という失うリスクが非常に大きい環境において、何かを失うことを受け入れられるかどうかはそれだけで勝敗を決する理由になる。
メヌエットはセントラルにおいて一地方を統治する貴族の一族の一員で、血族を守る貴族は内戦においても自己防衛を徹底していた。特にメヌエットのような次世代の子女は大切に守られ、何かを失うような経験をあまりしてこなかった。
特に、自分が大切にしているものを理不尽に失う経験は無い。
メヌエットは優しい。それは、他人の気持ちになって考え、悲しみも分かち合うことが出来る。
家族、友達、仲間と一緒の時はそれでいいかもしれない。しかし敵に理不尽を押し付けなくてはならない戦場においてはとにかく逆効果でしかない。
『隊長?』
「大丈夫、大丈夫。心配はいらない…」
メヌエットの脳裏には先日の氷柱園の戦いがずっと焼き付いていた。人体が焼き付き、沼のような血潮が放つ特有のにおい。絶望と憎悪と恐怖を刻む表情が固まった死体。
希望を自らの手で打ち砕き、理不尽を押し付けることに、メヌエットの良心は絶えることが出来ていないのだ。
だが現実はまだ彼女を追いこみ続ける。
『ヴァンガード総員警戒、亡霊騎士の出現を確認した。通常の星幽の追加はもう無さそうだから雑兵を下がらせるから撤退の援護に回れ』
「了解!」
低空飛行をしていたヴァンガード達がクルーエル兵の前に下りて滑走に移行する。
メヌエットは隊長として先頭で会敵するが、亡霊兵士は人型故に嫌でも人間を想起させる。
「嫌ッ…」
メヌエットは限界だった。
「隊長!」
すかさず他のヴァンガード隊員が割り込んでカバーする。膝を屈し、項垂れ涙をあふれさせるメヌエットには再び立ち上がるだけの戦意を最早保てない。
リゲルは既にそんな彼女を見限っていた。
「駄目だ。戦力はこれ以上減らせない」
メヌエットの背後にいつの間にか着地していたリゲルはギアデバイスを実体化させ、とあるギアを起動する。
「マインドレイド、開始」
イ・ラプセルが運用するギアデバイスには基本装備としてグラフトという戦闘用の肉体に置き換えるギアが搭載されている。当然、生身ではなく一から作り上げる肉体故に様々な機能を搭載することが出来る。
駆動するギアを動かすメインエネルギーはエーテルだが、フューズを用いたシステムとの親和性も高められている。特に、意思を伝達するというフューズ特有の性質を活かしたシステムがいくつか実装されている。
マインドレイドはグラフトボディをフューズを介して外部から操作するシステムである。それは操作される側の意識と肉体を切り放し、本人が出来ない行動を強制するということでもある。
メヌエットの肉体は、リゲルの意思で立ち上がり、何のためらいもなく引き金を引く。
強力なるイ・ラプセル天文台製の火砲は亡霊騎士を呑み込み、影へと還す。
無慈悲に、呵責なく、逡巡もなく、メヌエットは泣きながら戦闘を続行する。




