ブルクビク湖畔の戦い
ノーザン開拓黎明期。それは約四万年も前まで遡る。かつてノーザンの地に原住していたのは星の子の中でもフューズを自在に使いこなし、強力な力を持ちさらには不老長命であった長命種と呼ばれる人々だった。
彼らはブルクビク湖の湖畔に集落をつくり、当時はそこまで人口が多いわけではなかった。
テルースと呼ばれる人を駆逐する脅威がいたからだ。
彼らはテルースから逃れるために高原地帯にしか住むことが出来なかった。それは、奇しくもイ・ラプセルに酷似した状況だった。
だがやがてノーザンにもギャラクシーの触手が伸び、彼らの発展した科学力と技術力が入り込んだことでノーザンの状況は一変する。ノーザンの大半はとにかく開けて平坦な平原である。つまりテルースを捕捉し遠距離から攻撃することはそう難しくなかった。
ノーザンは少しづつ、テルースを駆逐し、人の領域を広げていき、ついには広大な平原を人間が手に入れた。
ある場所は耕し、ある場所では家畜を放牧し、土地は広く利用されるようになった。
そのころには都市が山の麓に出来るようになった。後のノーザン行政都市ゼニットである。
彼岸が開発される以上に此岸は発展していき、ついにはギャラクシーの中でも有数の大都市になった。
ギャラクシーのあらゆるところから人口が流入し、人口が増え、文明が発展するに従って長命種達の強大な力は不要となり、いつしか血は薄れ、ギャラクシーが最盛期を迎えるころにはもう星の子も外から流入してくる者しかいなかった。
だからこそ、ほとんどのノーザンの民は知らなかった。
初めてノーザンに到達したころから存在する、ノーザンネビュラで最も重要で大切な場所を。
キイとキリエだけが知っていた。
ブルクビク湖の湖畔に、なぜ星の子たちは集落を作ったのかを。
しかしブルクビク湖はゼニットよりも早く放棄され、5000年という悠久の時を手つかずで放置されていた。
風雨に削られ、土と雪に埋もれ、全ては平野に戻っていた。運命に導かれたか、クルーエル軍の野営地はかつての始まりの集落があった場所だった。
そこへ、再びイ・ラプセルのソルジャーと、ノーザンの次の指導者が、やって来た。
野営地を包囲する様に展開するノーザン軍。そして、正面に集結するイ・ラプセルのソルジャーとヴァンガード。
包囲から逃がさず、そして正面から制圧する構えであることは誰の目にも明らかだ。
対するクルーエル軍も三角形に布陣して構える。背後は湖なので、文字通り背水の陣だ。
互いに正面に戦力を集中させており、衝突すれば互いに甚大な被害が出ることは容易く予想がつく。
クルーエル側の先鋒、エリックは三角形の頂点で、陣形を見回す。
最早敗北は必至。ならばせめてカタリナを脱出させるために突破口を開かなくてはならない。そのために、敵の主力は足止めする必要がある。
エリックは自らの手勢である白鬼衆と、再編した傭兵衆の残兵を率いて決死の突撃をかける。
「陛下、お願いします」
「相分かった」
アトリアの合図によってヴァンガードに守られたポラリスが迎撃を担当する。
ヴァンガードの戦力は強力だが守るには頭数が心もとない。さらには流血を避けるのなら尚更限られた武装では突破される恐れもある。
そのために、ポラリスは本陣から動かない。
ポラリスは特に何も目につく行動は何もしていなかった。しかし、彼の足元は明らかに様子が変わった。ポラリスを中心に雪原の下の大地が光る。足元から飛び上がる様に、飛翔する天龍。五本の鍵爪の如き龍指と強靭な四肢、羽衣を纏い艶やかに虹に乗って舞い上がる。
エーテルの体にフューズでかりそめの命を吹き込んだしもべ達、シキガミがその顎を開き、咆哮する。
クルーエルの先鋒を震撼させ、足が止まる。彼らが再び見上げた時、彼らが見たのは次々と現れる翼もなく空を翔ける竜達の姿だった。
シキガミは強力なフューズの使い手が己の化身を模った姿で作り上げる手下である。ポラリスのシキガミのモチーフは天翔ける龍。その中でも一際大きな天龍が龍の吐息を放射し、クルーエルの陣形を上から焼く。
それはあまりにも一方的な猛攻であった。数を恃みに突撃したもののたった一人の物量に容易く跳ね返されているようにも見える。
「アァァァァァァアアアァァァアアア!」
しかしそれをも突破し、ポラリスの前の余りにも薄い防壁へとエリックが迫る。白鬼族の勇士として名が知られるだけのことはあり、肌はあちこちが灼け、炎熱に晒され赤くなった顔は鬼気を放ち、その闘志を幻視すらさせる。
だがその評価は、まやかしに踊ることは無かった。
「ここから先は行かせない」
木を燃やす、燃焼の剣がエリックの金棒を受け止める。
燃ゆるエーテルマントがはためき、火炎のような赤髪が揺れ、紅蓮の剣が焔を放つ。
ソルジャー・アトリアがエリックの前に立ちはだかる。
「どいつもこいつも火計か!」
「私の炎も陛下の炎も違う炎だ」
アトリアが力任せに剣を振り抜き、金棒を吹き飛ばす。エリックは得物を手放さなかったため押し返されるもすぐに体勢を立て直す。ちらりと後方を確認すると、炎の勢いはそこまで強くはないが、とにかくシキガミの物量に部下たちは苦しんでいるようだ。乱戦になっているものの、明らかにクルーエルが不利な状況で戦っている。
アトリアが率いるヴァンガード部隊は暴徒鎮圧用兵装で炎とシキガミを突破してきたクルーエル兵を制圧していき、正面から少しづつクルーエルの陣地を解体していく。
エリックからはカタリナのいるはずの最後部は見えない。だが共に覚悟を決めた同志を信じるほかない。幾重もの死線を潜り抜けた無比の英雄。クルーエルの少年たちの憧憬は老いてもなお健在だと、そう信じて。
エリックは振り返らない。
もう、目の前の一人の剣士だけを見据えている。
「これは『属性種』の炎。全身に焼き付けてあげるわ」
「とても、恐ろしいね」
エリックは自分の得物を握りなおす。彼の金棒は黒艶であり、殺意の棘がびっしりと生えている。打撃性能はそのままに、風を切るために細身ではあるが材質は彼が知る限り最も重く、そして頑丈な物を選んでいる為威力は折り紙付きである。
だがアトリアの剣は刃で受けたのにも関わらず刃毀れ一つしていない。いや、刀身が火炎のエネルギーブレードである為破損した傍から再生しているのだ。
そして腕力はエリックと互するどころかアトリアが上回っている。エリックは氷柱園の戦いで一目見ており、いくつかのアーツを放つことを知っている。
まず、勝てないと判断した。その上で、立ち向かう策を考える。
逃げる選択肢はなかった。
これまでエリックは氏族をあげてカタリナの為に尽くしてきた。今回の遠征に同行したのも彼女の一味であるという立場をさらに固め、氏族の立場を押し上げるためだ。
白鬼族はゲヘナでは珍しい色白な氏族である。大抵は髪に隠れているが、小さな白い角が生えていることから白の鬼と呼ばれ、鬼の名通り強靭な身体能力を誇る。筋肉の質そのものが他の人種と一線を画すものであり、身体能力自慢の種族の多いゲヘナにおいても白鬼族は名が知れ渡るほど優れていた。
そんな白鬼族の中でも最強と称されるエリックの腕力はクルーエルでも一番ともっぱらの評判であり、彼も幼少のころから力比べで負けた記憶はほとんどない。カタリナに仕えてから人間に負けたことは一度もない。
そんな彼は初めて力負けした。しかもその相手は女である。どうしても男女で筋力の差が現れるのはどの種族も同じだ。それでもなお、負けたという衝撃は彼の思考を止め、体を硬直させるには十分すぎた。
「どうしたの?来ないの?それはそれでいいけれど」
作戦が順調に進んでいるうえ、完全に優位を取っている現在、アトリアには慢心があった。目の前に敵がいるのに、作戦をばらしてしまうような失敗をした。
「足止めか!」
聡いエリックはすぐに狙いに気付いた。寡兵に見せかけ主力を引き出し、戦力を貼りつけさせる。そこへ上からさらに戦力を投入して乱戦に持ち込ませる。一人で軍を止められるなら、寡兵をさらに分割することもできる。つまり別動隊による本陣の強襲、包囲し持久戦の構えを見せ、乱戦で戦場に目線を釘付けにした。
エリックの頭の上から血が抜けていくように、急激に冷静になった。
だが、気づいてももう間に合わない。それは、ふと視界の端に映った、戦場を蹂躙する天龍が物語っている。
唯一、絵空事のような逆転方法があるとすれば、目の前の女騎士を倒し、龍を呼ぶ召喚士を倒し、主力部隊を再び動かす事、それだけである。
端的に、エリックが、倒せないアトリアを倒した場合だけ。
エリックが瞬間的に巡らせた思考が、事実を提示するたびに表情を変化させていく。
アトリアはその表情を読み取り、感情と思考を盗み見る。心を読み、全ての思考はアトリアに筒抜けとなる。
結論を出し、苦々しい顔をするエリックを、僅かに笑みを浮かべてアトリアは見つめる。
「イ・ラプセル天文台のソルジャー・アトリア。あなたは?」
「クルーエル魔国第一王女カタリナの幕僚が一人、エリックだ」
「さあエリック、かかってくるがいい」
「性悪め」
エリックは雪を巻き上げ、金棒を振り上げ、一直線にアトリアに突撃する。早さを乗せた、渾身の一撃を振り下ろす。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
金属音とは違う、エーテルエネルギー特有の音を響かせ、アトリアは流麗に、巧みに受け流す。
力任せではない、技巧みな剣技。ひらりひらりと上半身を動かすが、足は一歩も動かしていない。エリックが下半身を狙えば力強い剣が上から押さえつける。
彼女の戦術眼が接近戦においても抜群の出来であることは明らかだ。一つ一つ、勝機が失われていく。
エリックは力任せに金棒を振り回し、そして横からすり抜けようとしても炎を燃やし、剣を延ばして自分の正面へと引き戻す。
足元の雪を巻き上げて、視界を奪ってもアトリアはフューズによって知覚するだけでかえってエリックが不利になる。
足をかけて組み討ちに持ち込もうとしても透明な壁が築かれ、むしろ体勢が崩される。
アトリアは丁寧に、一手一手潰し、エリックを封殺していく。
「諦めないところだけは、認めるわ。でも、もういい。終わりにしましょう」
アトリアは剣を天高く掲げ、周囲の雪を吹き飛ばし、黒く炭化した地面を露出させるほどの炎を撒き散らし、白い鬼を叩き潰すべく、振り下ろす。
「極致燃焼」
爆発的な燃焼が灰燼にすべく燃え盛る。アトリアは、静かに、剣を下ろした。




