失意の叙事記 その3
「ほら、遠慮なく食え」
キイが差し出した器を受け取り、芋のスープを一匙掬って飲む。
一匙一匙丁寧に掬い、そして口に運ぶスピードは最初は一口一口噛み締めるように緩やかだったが、徐々に堰を切った様に次々と飲み干し、具も余さず胃袋に収めていく。
「いい食べっぷりだな」
そんな光景を微笑ましく見ているキリエは配膳を担当しているのでいつおかわりをねだられるかを楽しそうに待っている。
「さっきまで殺し合いしてたのに、よく食卓を囲えるわねー」
ニヨニヨとリビジが意地の悪そうに笑っているのを見て、肩を縮こませ、気が沈んでいるのが見て取れる。
「リビジ、意地悪しないの」
「はぁーい」
兄として口だけは叱ったものの苦笑するキイは肩に手を置いて落ち着かせる。
「気にすんなって。過去をくよくよ悩んだって今は何も起きないぜ」
「そうだぞ。こいつなんていくら失敗しても何も学ばないんだからな」
ハハハと揃って笑うキイとキリエもかつては理想と現実を幾度となく討論し合った仲だ。向こう見ずでお人好しで責任感の強いキイはとにかく理想論を掲げ、さらには実現に向けてただひたすら突き進んでいってしまう。それを現実で実現できるラインに調整するのがキリエの仕事だった。
何せ物資も食料も何もかも欠乏し、それでも無理に残った人々を導くためには全員の意思を統一することは不可欠であり、それがキイへの憧憬とするのはそこまで難しい話ではない。
キリエもその重要さは誰よりも理解していた。だからこそ彼は見捨てられずにこのノーザンに逗留し続けているのだ。
本当はどうしたいのか、どこへ行きたいのか。キイはわざと聞かなかった。たとえキリエが初心に帰って旅路に戻ろうとするならばキイは快く送り出すだろう。
リビジはずっと考えていることがある。
行くあてのない難民の群れと化していたノーザンの民を守り、今日を生き抜くのがやっとだった時に、突然敵を殲滅して現れたキリエによって、ノーザンは秩序を取り戻し、少しづつ文明を築き上げつつある。
皆がキイを首長として推戴しようとする動きもある。
まるで、彼によって、新たな歴史が始められるかのように。
「大丈夫か?リビジ」
「え?ええ、大丈夫よ」
そう物憂げに佇んでいると観察力の高いキイが心配して声を掛けてくれる。かつて通っていた学校の先生を思わせる、落ち着かせ、安心させてくれる声。軍人になって、それが心底恐ろしいものだと理解する。
でも、いつまでも頼っていられない。
「ここのところ移動も多いし、働き詰め過ぎだ。少し休め」
「まだ大丈夫だってば。それに私より兄さんやキリエの方が働き過ぎよ。少しぐらい私たちに任せてくれてもいいのよ」
「はは。そうだな。だが我々は救済者だ。このぐらいはなんともないさ」
そういいながらキリエは笑顔でおかわりを配膳するのであった。
その日、ノーザンはまた一人仲間が加わった。
戦力が一人増えたことでキイとキリエの負担は大幅に減った。少しづつキリエに帝王学を叩き込まれたキイは、指導者としての自覚が芽生えるようになっていた。
少しづつ、ノーザンの新国家建設は実現に近づきつつあることは誰の目にも明らかだった。
閑散としていたシェルターも、冬を越すたびににぎやかになっていた。人口が少しづつ増えていたのだ。
キリエによって官僚、警察機構も整備され、知識は天文台に残っていた記録から学習することが出来た。
「一人、戦力が加わるだけでここまで楽になるとはな」
廃棄都市の摩天楼の屋上からキリエは感慨深そうに見下ろしていた。かつては荒涼としていた平原が今や金色の絨毯の如き麦畑となり、地平線の彼方には少しづつ建造の進んでいる新都市の影が見える。
これまではいくつかのシェルターに別れて暮らしていたが、これからは新都市を中心とした地上に再び住居を構え、新国家として再び歴史を紡いでいくのだ。
なにせシェルターの整備が困難であり、人口が増えても拡張も不可能だからである。
今や戦力も整い、外敵も侵入直後に配備されている水際防衛部隊によって排除されるようになっている。
広大なノーザンの大地全てがキイの監督下に入ったのだ。
しかしそれは別れの時が近づいているということでもあった。
「ああ。とても信じられないよ。俺達だけじゃ多分3年も持たなかった。君が来てくれなければ、凄惨な最期だったと思う。本当に感謝しているよ、キリエ」
「俺は俺がやりたいことをやっただけだ。感謝などいらないが、君がその甘さを自覚できたのは嬉しい限りだよ」
キリエはいつものように楽し気に笑う。しかしどこか寂しさがこの空間を支配していた。
「そしてこれからが本番なんだ。俺も君もいなくなっても、自分達で社会を形成しなくちゃいけない。次の世代へと受け継いでいく歴史のサイクルがこのノーザンだけで回るのか、それが俺の心残りだな」
「流石に寿命には勝てないからね」
「果たしてどうかな」
「え?」
いつになく冷徹に、冷静に、そして本気の声色で。キイは思わず身の毛がよだった。
「この世界は広い。星の子の人生数百年では終わらずに何千年も生きるかもしれないぞ。過去に、そうとしか考えられない例なんて指折りでは数え切れないほどにある」
「二進数なら足りるかな」
「お前、公主に就任したらそんな下らんことを口にするなよ」
「今だけだよ」
既に公主としての振る舞いに慣れるように練習しているが、二人きりの時だけはこうして茶化したくなってしまうのだ。
キリエもそんなキイの苦労を理解しているから、甘んじて受け止める。
「もうすぐだからさ。今はまだこのままでいさせてくれよ」
「今は、な。いつまでも続く事なんて無いんだからな」
「分かってるさ。子供も来月に生まれて父親になる。公主に就任して正式に指導者になる。責任が一杯だなぁ!」
キイはどんな苦労であってもこうして笑い飛ばしていた。この心の強さこそ、キイの最大の武器であったのだ。
「俺もアイツがいるから枕を高くして眠れるよ」
不意にキリエがそう言ったので、キイもふと彼の見る先に視線を合わせると、地平線の彼方に一本の火柱が上がっていた。
「あぁ~…。まあ、うん。悪気はない…はずなんだ」
「わかってるさ。今はまだいいが、あれも少しはなんとかなればいいんだけどな」
「ははは。どうにか頑張ってみるよ」
「おう、頑張れ。とても重要な仕事だからな」
最後に笑い合って、その日はシェルターに戻った。
時代の流れは早いもので再び冬を越すとシェルターを利用するのは完全に限界に近づいていた。
人口が増えたよりも、とにかく物資の量が潤沢になりすぎたためだ。ゆえに、春が来てすぐに物資を新都市に輸送し始めた。ノーザン各地に広がる入植者たちに分け与えながら、行政の区分けや各自治体の建設が進んでいった。
そのころにはもうキリエは陣頭指揮を取らなくなっていた。キリエの傍で彼の補佐に回り、後継を育て、彼が仕事をする日も減っていった。
公歴元年。ノーザン公領、アルモカと名付けられた新都市にて。
公主戴冠式典、年始式典に次ぐ三番目の式典は、建国の功労者を見送る式典となった。
ノーザン公領初の祝日として制定されたその日は雲一つない晴れやかな空の下でしめやかに行われた。
「ねぇ、本当に行ってしまうの?」
「何度も言っているだろう?俺は少々長居しすぎたのさ。それに、君たちにはもう俺の助けはいらないよ」
式典も終わり、最後の別れの場になってもなお、リビジはキリエを引きとめようとした。しかし、彼の決意をこれまで変えれたものは誰もいなかった。
これまで厳しく叱ることも、激しく怒ることもあった。しかし、常に愛があり、慈しみ、そして何よりも優しさがあった。
「いいかい、リビジ。俺はキイにも、君にも、みんなを導く術を余さず教えたつもりだ。だから君たち二人がいればこれからのノーザンをちゃんと守れるはずだ。だから、大丈夫」
「でもぉ…」
キリエがノーザンにやってきてから既に10年以上経っていた。大学を卒業し、進士及第したばかりのキイとまだ義務教育課程を修了したばかりのリビジは共にまだ青く、若かった。しかしキリエに鍛えられ、ノーザンで苦闘し続ける上で様々な経験をしてきた。
もう二人共一人前になっていた。
「大丈夫。離れていても、俺達は仲間だよ」
キリエがリビジの頭を撫でると、これまでいつだって優しかった思い出が駆け巡り、リビジの瞳には涙が溢れてしまう。
キイもまたその様子を感慨深く眺めていた。
彼は孤独だった。生まれ持った救世の才能は、常に人を孤独にする。天文台に拾い上げられ、そしてすぐに国際社会は崩壊した。
これから救うはずだった世界は既に滅び、ノーザン政府は天文台の閉鎖を決定した。
彼が憧れた、ヒーローは、決してあきらめない。だから、彼も諦めない道を進んだ。
その道の常に先を歩いていたのがキリエだった。キリエもまた進士及第し、さらにはギャラクシーの栄華をその眼で看取った。
そんなヒーローに憧れ、師事し、そして友となった。
もう、会うことは二度とないだろう。彼が振り返ることは二度とないと、理解しているから。
「なんだ?キイ、お前も泣いているのか?」
キイの目にも、思わず涙が溢れていた。それは無意識で、止めようとしてもどうしても涙は溢れ出す。
兄妹で瞼を腫らし、別れを惜しんで泣く。
「いや、そんなつもりじゃ…」
「大丈夫だ。心配はしていない。時に泣いたっていいんだ。それでも人は前に進めるから」
キリエは最後にキイと固く握手を交わしてから、大陸を渡る門へと進んでいく。
彼が振り返ることは、無かった。だが、悔いも無かった。
ただ、思い出と、絆がそこにはあった。




