黎明の都
イ・ラプセル天文台、医務局。
ポラリスの腹心、ミモザが局長を務めるセントラル最高の医療機関である。
任務を終えたソルジャー達が、検査や治療を行う為の施設であり、グラフトボディが導入されてもなお、その重要性は下がってはいない。
というよりグラフトボディは一定以上のダメージを受けると生身にある程度フィードバックが発生してしまうのだ。
そのため余りダメージを受けていなくても帰還後の検査は職種権限に関わらず義務付けられていた。
ポラリスを最優先に、仕事の溜まっているケレスとルスカが続き、後は順番に行って志願して最後に残ったハンニバルは皮肉にも一番の重傷だった。
「気づかないうちにダメージ受けてたんだな」
「僕も気が付かなかった。ギアデバイスに記録が残ってるといいけど…」
見舞いにと残ってくれたアンリが林檎の皮を器用に剥いていく。
指先の器用さではイ・ラプセルでも名が知れ渡っているほどの腕前。可食部がほぼ全て残っている事から伺える。
「幽体がいた記録は無いんだろ?じゃあ何か分かるだろうさ。呪詛の類は無いらしいしな」
「じゃあ乱戦の何処かとかだろうね。ヴィクターが一矢報いたのかな」
「そんなところだろう」
ハンニバルは布団越しに自分の左太腿を見る。今は特に問題が無いが内出血の跡が見つかったのだ。大事には至っていないが詳細が判明するまでは病室での待機が命じられていた。
ちなみに間違いなく一番の重傷だったハルトは帰路の間に傷跡も一切残らず完治し、アンリも撃墜こそされたが破損した装備がクッションになったことで検査には引っかからない程度で済んでいる。
チームケレスは任務の回数こそ少ないが無事に遂行してきたこともあって油断と慢心が何処かにあった。
ケレスに対する絶対的信頼とも言えるがケレス本人にはそんな甘さは微塵も無かったのがソルジャーとそれ以外を分かつ差なのだ。
「そういえばケレス卿はやけにマギウスが気に入らない様子だったね」
「ああ。それな、どっかでルスカ卿に聞こうと思ってたんだよな」
「それは人の境界を中途半端に越えるからよ」
凛とした声。病室の入り口に立っていた声の主は医務局長ミモザその人だった。
「入るわよ。ケレスは潔癖気味だから人の体を弄くり回すのが気に入らないのよ。必要なら許容出来ても不要に穢すのは受け付けられないみたいなのよ」
「へぇ~。意外です。アマルガムのウェンデリンをずっとサポーターにしてるから不思議だったんですよ」
「ま、そういう話なら本人に聞いても問題無いと思うわ。それともう問題は無さそうだから帰っていいわよ。そのまま聞いてくれば?」
ミモザはコンソールを操作してハンニバルの周囲の環境設定を解除し、着替えを棚から取り出す。
「今は忙しいから駄目ですよ。他勢力との折衝がありますから」
「あら、それは大変ね。ま、アマルガムについてはあなた達の権限でも調べられるから、勉強すればいいと思うわ」
「ええ。機会があれば。じゃあ林檎を食べたら行こうか、ハンニバル」
「ああ、そうだな」
ハンニバルは自分の手を見下ろす。
長く違和感を感じたことはなかったが、だからこそこの手が怪物になったときのことを想像して、少し吐き気がするほど気分が悪くなった。
それだけの変化を受け入れてしまうマギウスの想いと、星の子への憎しみは理解出来ないと、そう考えてしまった。
「ともあれヴィクターの遠征部隊は壊滅しました。これでしばらくは大規模な遠征は出来ないでしょう」
カナトはオービタル諸都市の代表者の前でそう断言した。
歓声の声は無い。だが安堵の空気が通信を介して届いてくる。
セントラルを囲うように点在する嘗てのギャラクシーの大都市たち。それらは今はそれぞれ都市国家として独立してはいるがオービタルという国際協力秩序を構成し天文台と手を組みギャラクシー崩壊後の混乱から5000年間平和を守り続けてきた。
しかしここ数百年で急激に情勢は悪化の一途を辿っている。ヴィクターの隆盛や攻勢もあるが少子高齢化による影響、何よりも天災の頻発によって疲弊しているのだ。
特にヴィクターとがっぷり四つで組み合う有力都市ティル・ナ・ノーグの弱体化は著しく殆ど天災に対して何の協力も出来ない有様であったからだ。
イ・ラプセルの復活がなければオービタルは空中分解していたかもしれない。
「と、まあこっちもこっちでそんなに余裕があるわけではないのよ」
ティーカップをテーブルに置いてスピカは正面に座るエウロペに向き合う。
テーブルを囲むのはポラリス、スピカ、アクルクス、エウロペの四人。
エウロペを歓迎する茶会である。
「いえ、それでも自分達の正義を信じられるのは羨ましいです」
「正義とまでは思ってはいないよ」
アクルクスは優しい笑顔でそう語る。
笑顔を浮かべるまでに幾星霜もの葛藤の日々の果てである事をポーカーフェイスの下に隠して。
「でも、そうしないと明日はない。今日どう生きるかを考えるのは、それからでも遅くは無いと思うから」
「俺達は、正義も悪も、後世の歴史家に任せることにしている」
「悪なら、悪でいいわ。でも、私達を断罪するのも正義では無いはずよ」
アクルクスと、ポラリスと、スピカの思想を聞いてエウロペは満足そうに微笑む。
「そのお考えには共感できます。でも、そのお考えに皆さんはついてこられていますか?」
「どうかな。でも今は必要は無いよ。戦略レベルで間違えなければ、考える必要は無いと思うけれどね」
エウロペの挑戦的な質問にもアクルクスは事も無げに返す。
レスポンスの速さに驚いて、それから回答に満足して、最後に確信を持って微笑んだ。
「良かった。私の身柄を貴方方に託して正解でしたね」
なぜなら、エウロペにも、神輿なりの矜持と、
「(きっと私の望みも叶うはず)」
思惑が有るのだから。