思い出の終わり
アニムス艦隊旗艦、ステラスガーデンのとある区画。
ソファやテーブルスペースが幾つも並ぶラウンジでアマルテアはアサイラムの崩壊を見届けていた。
気まぐれに一人で眺めていたが、少し喉が渇いてきた。
飲み物を取ってこようと立ち上がろうとしたところでところで両手にフルーツジュースの軟質ボトルを持っていたルスカに気が付いた。
「飲む?」
「頂くわ」
一口、恐る恐るジュースを口に含み味を確認する。
悪戯好きなルスカは時折とんでもない辛味やら酸味やら苦味がするジュースを渡してくるので警戒していたが今回は少しだけ酸味の効いた甘い蜜柑のジュースだった。
「これ、次のアサイラムの特産品だって。ほぼ同じものがあったから今日はこれにしてみた。美味しいね」
「ええ。とても美味しいわ」
ルスカはそういいながらなんの遠慮もなくアマルテアの向かいに座った。
わざわざ人のいない場所でアサイラムを看取ろうと誰も来ない場所を探してきた意味が無くなってしまった。
だが他人の努力を軽く踏み潰すルスカの無遠慮は今更始まった話ではない。最早この程度ではアマルテアも気にしないようにしていた。
そして、どうせなら他に誰もいない今のうちに聞きたかった話を聞いてみることにした。
「ねぇ、あなたは何時か故郷に帰りたいと思う?」
「んっんー。今はまだ、思えないかな」
「私は一度帰ってみるのも悪くないかなって思ったの」
ルスカはアマルテアの考えを予想していたのか眉一つ動かさなかった。あるいは、何も予想していなかったのか。どちらにせよルスカは静かにアマルテアの話を聞く気のようだった。
アマルテアは普段はルスカの事を疎ましく思う瞬間に満ち溢れた生活を送っている。しかし、彼が能動的になった時はともかく受動的になった時は、彼ほど頼りになる人物はいないのだ。
「…アサイラムの人たちは何度も故郷を捨ててきたのよね」
「そうだね。まあだいたい80年ぐらいは使ってるらしいから星の子とかでもないと一生に一度だろうけどね」
「帰りたいとは、思わないのかしら」
「そりゃー人によるだろ。資源が欲しい奴、安心が欲しい奴、冒険が欲しい奴は思わないだろうけど、思い出とか運べない物とか色々あるじゃん?まあそりゃ簡単に捨てられない物なんていくらでもあるでしょ」
「そうね。私も、そう思うわ」
「まあ帰れないという現実の前ではどっちにしろ変わらないよ」
無意味な仮定だとばかりにルスカはケラケラと笑う。
無慈悲な言葉の一太刀。しかしその一太刀がアマルテアの迷いを断ち切った。
「決めたわ。私、次の休暇で一度故郷に帰るわ」
「いいんじゃない?帰れるうちに帰れば。帰れない奴よりはよっぽど幸せだあな」
「アサイラムの人たちは、この故郷に帰れないのだとしても、笑っていたのかしら」
「別に幸せなんて一つじゃないでしょ。新しい場所で新しい思い出もある。早い話、当事者がみんな死ねばもう歴史だよ。でも持っていける物は持って行ったんじゃあないかな。思い出も、幸せも」
「そうね…」
ゆっくりと崩落していく浮遊島を看取りながら、ステラスガーデンはセントラルへの帰路につくのであった。
「撃て」
ケレスの号令で艦隊は一斉に砲撃する。
ヴィクター艦隊を捕捉したアニムス艦隊が攻撃しているのだ。その指揮を執っているのはケレスであった。
ステラスガーデンと高速船を除いた空中艦隊のみではあるがセントラルの技術力の粋を集め、鍛えられた水夫を務めるヴァンガードの隊員たちはよく訓練されておりケレスの手足となって緻密な艦隊運動と精密な攻撃を可能とする。
対してヴィクター、テチス艦隊提督アルザス・エイブラハム中将はヴィクターの威信そのものでもある艦隊をなんとか統制して脱兎のごとく逃げることで精一杯であった。
だが双方の技術格差を比べればそれも致し方ないだろう。
何よりヴィクターは揚陸部隊の回収を即座に諦める程余裕はないのだ。
だからこそケレスは容赦なく攻め立てる。
「(だから反対だったのだ!こんな遠征作戦など!)」
エイブラハムは毒づいたが最早後悔するには遅すぎた。
もう全ての運命は定まった後であったからだ。
『援護します。なんとか離脱を』
ドンという衝撃と共に暴風が吹き荒れ、何かが飛び去った事を知らせる。
だがエイブラハムはその声を忘れてはいなかった。
「まさか…生還したのか…!」
ケレスが指揮を執っているのは先頭のシールドバリアを転換する防御艦の艦首。
彼はあろうことか肉眼で戦況を見ているのだ。だから、見逃さなかった。
「少し、悪い仮説が実証されたな」
黒洞球をいくつも浮かべて、黒洞球からビームを放つ。
正面から飛んでくるビームと正面衝突して証明した。
「機関停止。追撃はここまでだ」
艦隊が一斉に動きを止め、ヴィクター艦隊は何とか逃げおおせることに成功した。
それを内心苦々しく思いながらケレスはいつも通りのポーカーフェイスを維持する。
「マギウスは虚数の海から生還できる」
ケレスの視覚情報はギアデバイスを介してあっという間にネットワークに拡散された。
彼が見つけたのは、大分余力の残っていたユークリッドだった。
そしてヴィクター艦隊の内部情報が取得されこちらも共有された。
揚陸部隊のうち生還したのはユークリッド、ゾルレン、クリシュナ、アルトリウスの四人だけであったと。
「また振り出しからだな」
ようやくアニムス艦隊の全艦艇が空域を離れていく。
この戦いはヴィクターにとって甚大な損害を被った戦役となったが、後の世にて歴史にて語られることはほとんどない。
「まあ、今回のメインはあっちだしな」
ルスカがテーブルに突っ伏してそうぼやく。
「だから今回は露骨に手を抜いていたのね」
「人聞きが悪いな。そもそも今回は別に頭使うことが無かっただけだよ。向こうは、大変そうだろうけどね」
「…そうね」