地の果て
ハルトは黒竜へと変身して、その巨体を以てアルトリウスを煮沸き立つマグマの池の底に沈めていた。
世界の果てに押し付けられたアルトリウスの身体も軋み、骨の髄まで熱せられて悲鳴を上げ、さらには酸欠も極まりいつ意識を失ってもおかしくはなかった。
しかし、それでも最後の力を振り絞ってアルトリウスはハルトの瞳を睨み続けていた。
「このまま負けてなるものか!」
アルトリウスは最後の最後まで抵抗し続けたが、それももう限界に近づいていた。
それは彼の意識が遠のくこともそうだが、それ以上に状況が変わりつつあったからだ。
ずっと超重質量を押し付けるということは、境界に負担を与え続けているということ。
そして元々空間を歪ませるほどの炎を吐く黒竜と因果さえ捻じ曲げる煙を纏うマギウス。その両者が戦えば、空間にどれだけのダメージが入るのか。
アルトリウスの背後の境界にひび割れが走る。
そして不意に欠片が飛び散った直後、破局が訪れた。
境界に穴が開き、そこへ大量のマグマと山のような瓦礫がなだれ込む。
世界の果ての向こう側。実数の限界の先へ広がる虚数の海へとアルトリウスは転落していく。
時間と空間の流れの向こう側。思考も呼吸も生命活動の全ても、そして死さえも全てが停止する。
彼は何も足掻くことはできなかった。
せめて、ハルトも道連れにしたかった。もしくは、ハルトはどうなったのか、などと考える事さえできなかった。
瓦礫が落下してしばらく、空間の重力が維持できなくなったのか、瓦礫の落下が少しづつ止まって、逆に浮き上がりさえするようになった。
そのころには世界の果てに空いた穴は塞がっていた。
マギウス・アルトリウスはソルジャー・ハルトに敗れたのだった。
遠い、遠い、残響。
無音のはずのアルトリウスにかつての記憶の声が響く。
「おい、邪魔だろ、どけよ」
「それはこちらのセリフだ。わざわざ私の通り道を塞ぐな」
黒髪の少年と、金髪の少年が互いに相手に道を譲らせるためににらみ合っている。何か因縁でもあったのだろうか、それとも彼らが有名だからであろうか、人の往来は二人を避けるように行き来しており、二人がそもそも譲らせ合う必要などないのにも関わらず彼らはわざわざ同じ筋を歩いていた。
「格上には従えよ、格下。お前俺に負けただろ」
「一年前の話だ。それとも昔話しか誇る話が無かったのか?」
話はどこまで行っても平行線だ。
しかし彼らの周囲の者たちはそれを良しとはしなかった。
「兄さん!無用のトラブルをわざわざ起こさないでください!」
「リーダー、君も君だ。どうして今から突っかかりに行くんだ!まだ開会式すら行われていないのに!」
黒髪の少年によく似た、同じ黒髪の少年が引っ張っていく。同じように、灰髪の少年が金髪の少年の首根っこを掴んで引きずっていく。
「怖いのかばーかばーか」
「覚えとけカス」
それぞれの仲間に連れられて行きながらも罵り合う二人は最早微笑ましさすら感じさせる。
いや実際に感じている者もここにいた。
「ははは、愉快な奴らだな。いい余興だ」
「ルスカ、それは趣味が悪いわ」
「何、俺の前座を大いに盛り上げてくれるんだ。感謝だよ感謝」
「はあ、どうしてそんな自身を持てるのかしら」
そんな様子を屈託のない笑顔で眺めていた少年と、そんな悪趣味な少年を嗜める少女が終わった現場から離れていく。
アルトリウスはたまたまその様子を見ていた。出奔して、世界を見て回ったその中で、奇跡的に見ていたのは、のちのグランクラスソルジャーとなるカナト、ケレス、ルスカが揃った一幕だった。アングラニュースの記事となった後に伝説と語られる一幕には、実はもう一人後にグランクラスソルジャーとなる少年がいた。
三人と同学年であり、遜色無い実力があり、彼にしかない強みがあってなお、彼が就学していないというただ一点のみだけの違いで彼は舞台に立つことは出来なかった。
あの日、自由に憧れを抱いたアルトリウスと、栄誉に憧れを抱いたハルトは、カナトとケレスを挟んで向かいに立っていたのだ。
お互いに、その顔を、その表情を、その眼を、見ていながら、覚えていなかった。
ただ一言、微かに聞こえたその一言を、心の片隅で覚えていた。
「いいなあ」
ハルトは竜の身体を脱ぎ捨て、人の身だけに戻り、竜の身体は竜装を再展開する材料にして残り滓はすべて翼から噴き出す炎の燃料とする。
黒竜の騎士は天へと上る。地の果てなど天を我がものとする竜には似合わないから、大きく開けた空へ向けてぐんぐんと上昇していき、彼が地上に戻って来た時、そこに開けた空はなかった。
重力は崩壊し、秩序は乱れ、ありとあらゆるものが空中に浮かんでいた。
そして、世界の果てが少しづつ迫ってきていた。
主を失った空間はもうすぐ消滅して虚数の海へと還るのだ。
ハルトにはまだ出来ることがある。だから迷わずに一直線に、まだ残っている戦線に向かって飛翔した。もう、憧れているだけの少年の面影は、一片たりとも残っていなかった。