歪みを以て
サーバールームで再びデータを吸い上げたポラリスは検体保管室を進んでいた。記録上では最初期の検体の大半は既に処分されてしまっていたが正体が人であると発覚してからは処分はされなくなって収容されるだけになっていた。
異形の獣となってしまった人々の中を進む。基本的に冬眠処理が行われているようでみな静かに眠っている。どうやら夢すら見ていないかのようだ。
おそらくヘレナを捕獲したのちも最終的にはここに並べられることになったのだろうと予測しながらポラリスは最後の検体の元にたどり着く。扉の向こう側。積みあがったガラクタとジャンク品、機器類、重機。
(整備室か…?異質な部屋だ。検体を留置しておく部屋としてはとても異質だ)
ポラリスの視界に入るのは隣の生活感のあった検体保存室の延長線上にある部屋ではなくそもそもまったく別の意図をもって作られたかのようだ。例えば、ガラクタやジャンク品に見える鋼材機械を重機で組み立てて何か作り出すためなどだろうか。
ポラリスのその予測の答え合わせはすぐにその部屋の主がしてくれた。
「ぬう…そこに誰かいるのか…」
重機のアームに吊るされた機械の頭部と思しき部分が発光する。
メインセンサーが発光しつつカメラが起動してポラリスがいる場所を視認する。しかしそこには何も映らなかった。
「誰かいると思ったのだが…気のせいか?」
「いいや、いい感覚だ。あなたは優れた感性を持つ武人のようだ」
ポラリスはフルステルスを解きつつ幻術を発動して認識を誤らせる。
「人工の知能生命体というわけではないようだな。お前は人間か…?」
ポラリスの前にあるのは機械の塊であり生命要素は何一つ見受けられない。ポラリスがそれが人間だと気づいたのは彼もまた優れた感性の武人であったからだ。
「わかるのか…わかってくれるのか…?」
「いかなる経緯があったのかは問わない。だが問いたいこともある。この研究所について話せることはあるか?」
「ある、あるとも、大いにあるとも。だがそれを話す前に私をここから出してほしい。話す内容は多い、もっと落ち着けるところで話したい。それに他にもやらなくてはならんことがあるのでな」
ポラリスはわずかに思索にふける。エルノド・ノヴォの科学力でも可能であることは理解できるが冒険者たちの中にも需要はあるだろうに人体の機械化技術が出回っていないということは何かしらの問題があるわけではあるがそれがポラリスの本懐の障害になり得るかを考える。しかし情報の利にはいかなる問題も目を瞑れると考えてポラリスは決断した。
「わかった。だがお前は自力で移動できるのか?戦闘になればかかえて飛び回ることは出来んぞ」
「問題ない。少し待て」
ロボットがそう言うと周囲の重機がひとりでに動いて各種パーツが動き出し、機械が組みあがっていく。そして機械の体が組みあがるとともに拘束が解き放たれた。
その体躯で通常の人類よりが筋骨隆々になっても届かない太さだが3mほどのスマートになった歩行戦闘機といったシルエットのようであった。
「待たせたな。これで準備は完了だ」
「…そういえば名前を聞いていなかったな。俺はポラリス、お前の名は?」
「ワシの名か?ワシの名はガッシュという。よろしく頼むぞ、ポラリス」
「ああ、行くぞ」
姿を偽るポラリスと奇怪な姿のガッシュ、それぞれの歪みを持った二人はともに研究所の無機質な廊下を進み、脱出経路の途中に最後の調査地点を経由しながら逃走を図る。
その最後の調査地点に向けて階段を上り、地上近くへ登っていく。ガッシュの体躯では階段を上り続けるには難しいはずだが彼の体は羽毛のように軽やかに
そして二人は目的の場所に辿り着いた。
第2防衛壁内部の地下2階から地下5階までの4フロアをぶち抜いてあいた巨大な空間。ポラリスが研究所内の地図を見たときに一番に注目したのは明らかに他の部屋よりも大きく、そして何よりもたった一つだけ地上に近く、この空間にたどり着くために専用の長いエレベーターと階段が設置されておりあまりにも特徴的であることと地上に非常に近いことから脱出するまえに最後に立ち寄ることを最初に決めていたのだ。
ステラスホールと名付けられた巨大実験室。それが最後の目標地点だった。
「脱出前に少しこの部屋を調査して行く。少し時間をくれ」
「ああ、構わんぞ。そもそもこの体では誰かの助けが無いとろくに動き回れないんでな。階段一つ満足に登れないぐらいにな」
そう言われたポラリスは肩をすくめる。無表情を貫いてはいるがその表情は実に豊かだった。ポラリスがフロアの中央に出てギアデバイスを用いて情報を収集していく。科学的な機械に頼るだけではなく神秘的な魔術でも調べていく。彼の魔力は決して豊富とは言えないが確かに魔術的な揺らぎを見逃さなかった。
「何かわかったのか?」
ポラリスがわずかに動揺したのをガッシュは見逃さなかった。
「ここに魔術的な歪みがある。おそらく魔法によって何かしらの封印がなされているのだろう」
「何が封印されているかわかるのか?」
「いや、わからん。だが非常に強力で緻密な魔法だ。相当腕のいい魔法師が発動したのだろうな。まあひとつわかることがあるとすれば、この封印を解くべきではないということだろうな」
ポラリスはギアデバイスをしまって脱出するべく術式を組み上げようとしたまさにその時だった。ポラリスの背後の足元が一度落ちてから二つに割れていく。まるでそこに何かを迎えるために道を開けるように。
「何事だ!」
ガッシュはうろたえるもののポラリスは冷静に幻術を張りなおしてじっと見つめる。その先ではエレベーターが上昇していき、ガシャンと音がして固定される。
「あら、そんなに驚かれるなんて心外ね」
巨大なエレベーターにたった一人、小さな人影が乗っていた。
「ガッシュ、あなた何処へ行こうとしているのかしら?」
「ヴルカ、私はやはり自分が許せないのだ」
先の折れたとんがり帽子、黒地に赤のローブを着込んだ少女ヴルカはエレベーターの手すりを下ろして前に一歩一歩歩みよる。
「そう、あなたはあくまで自分で決意したのね。ならもう話すことは無いわ。それよりも」
ヴルカはポラリスの方に向きなおしてその手に杖を握る。そして軽く振って静かに魔法を発動する。幻覚の炎はポラリスの全ての偽りを剥がして燃やし尽くす。彼の偽りなき姿である空色の瞳と髪が露わになる。
「私が見てきた幻術の中でも最も優れていたけれど、隠しきれなかったようね。見るべきものが見れば偽りの姿だってすぐにわかるわ」
「いい腕だ。お前がこの部屋の封印も施したのだな」
「ええ、あなたも魔法師ですものね。目の当たりにすればわかってしまうのね、スバルさん、あなたの本当の名前は何というのかしら?」
ポラリスは大きく目を見開く。スバルというのはポラリスが冒険者として登録した偽名である。つまりヴルカには全ての偽りがバレてしまっていたのだ。
「お前、気づいていたのか」
「ええ、氷と風の双属性の魔法師って珍しいから目についたの。そうでなくとも魔法の使える冒険者はチェックしているのだけどね」
「俺はポラリス。名も姿も偽ったのは謝罪しよう」
「いいの、それよりもあのかわいいジャッカロープはどこかしら?もしかして協力者が他にもいるのかしら?」
「…ヴルカと言ったな。実に聡明だな。人は見かけによらないものだ」
「同感ね」
二人が言葉を紡げば紡ぐほど静かに対立が発生し、そしてその間には大きな亀裂が発生していた。ポラリスは自分を知るヴルカを放置できない。ヴルカは機密を知るポラリスを逃がすわけにはいかない。
「実に自分勝手な理由で済まないが君をここで放置していくわけにはいかなくなったよ」
「奇遇ね、私も見逃すわけにはいかないから追いかけてきたのよ」
戦闘が始めると見てガッシュは邪魔にならないように静かに後ずさる。ポラリスはそれを見ることなく前に出て戦闘態勢を整えていく。剣は手に。装いも戦闘用の物に変わる。
「行くぞ」