狂気の嵐
マギウスの奥の手であるムーンストルム形態は文字通りの切り札だ。
人間としての姿を捨て、よりマギウスの煙の力をその身に宿し、怪物に成り果てる。
アルトリウスは馬のような四本脚に人の上半身が乗ったかのような姿で、両腕はそれぞれ槍と盾がそのまま一体化している。
クリシュナは座禅を組み浮遊している。更に両腕を体の前で組んでいるかと思えば巨大な両腕が彼の両脇に浮遊しているのだった。
完全に人の形を越えた、そして失った二人がハルトを挟む。
超常の怪物相手にハルトは全身に鎧を着込んでいるとはいえ剣一本で立ち向かう。
ただ、ハルトは過去何度も同じような窮地に追い込まれ、そしてその全てを巻き返して勝利し生存し続けた。
生存バイアスという言葉で片付けるのは簡単だ。確かに彼と同じ勇気を持つ人間など文字通り腐る程いるのだ。
だからこそ、生き残り続けた事にはより価値がある。意味がある。何よりも説得力がある。
例えば怪物となって威圧する二人をまだ、怯えているように。マギウス達が、どれだけ人間を辞めてもソルジャーには敵わないように。
「いいよ。来な。まとめて相手してあげるよ」
ハルトは兜のしたで普段の爽やかな好青年とは似ても似つかない、凄絶な笑顔を浮かべた。
兜が顔を覆うから、誰に見られることがないから。
そして相手の返事を待つことなく切り込んだ。
初めに狙ったのはアルトリウスの左側。大きな盾の方へと回り込む。
クリシュナが急いで追いかけるもハルトの方が速く、そしてアルトリウスは自分の盾の視覚に入られて目前にしてハルトの姿を見失う。
それでもアルトリウスはクリシュナを信じていた。
「今!」
クリシュナの合図に合わせてシールドバッシュを繰り出す。はたしてハルトは丁度シールドに近づいている所であり、不意を突かれて吹き飛ぶ。
「おお、完璧な連携だ」
彼が感嘆したのも束の間、クリシュナの右拳が飛翔して迫っていた。
浮遊する拳は直径が殆どハルトの身長と変わらないほど大きく、衝突の衝撃でハルトはビルの外壁を突き破って瓦礫が散乱したビルのエントランスをごろごろと転がる。
しかし鎧の頑強振りたるやまさに驚嘆のひとこと。
ハルトはまるで何でも無いように立ち上がった。
その様子を見たアルトリウスは心底げんなりしているようだ。
「おい、アレ効いてると思うか?」
「さあ…?少なくとも受け流されたような感触は無かった。つまり、奴は真正面から俺の右ストレートを受けたわけなんだが…」
ハルトが自分が通り抜けてきた外壁の穴からそのまま出てくる。
その足取りはとてもダメージ入っているようには見えない。
「やっぱり厄介だね、ムーンストルムって奴は」
ハルトが悠々と歩いている姿は明らかに異常だった。しかしハルトの余りにも堂々とした姿に二人を初めマギウス達は頭を空にして視線を向け続けた。
無形無拍子、誰にも読み取ることの出来ない異常なリズムが鍛えてきた兵士たちの常識を揺さぶる。
「偶には自分から仕掛けないとね」
ハルトが一気に踏み込み跳躍する。反応が一番早かったのはクリシュナだった。
手元に戻していた右腕で突き出されたブレードを受け止める。ブレードは容易く深々と刺さっていく。風船に穴が空いたように煙が噴き出す。
ハルトはすぐにブレードを切ってから再び発振、拳に左手をかけて登りそのまま腕を伝って上から斬りかかる。
一歩反応の遅れていたアルトリウスが左腕の盾を掲げてクリシュナを庇う。
盾の上に乗ったハルトは左手で盾の縁を掴んで盾に張り付く。
周囲のマギウスの一人が弓で射るもハルトがブレードで焼き切り、消失させ、更に炎の斬撃を飛ばして反撃する。
弓を持っていたマギウスは回避が間に合わずにクリーンヒットして弓が燃えてしまう。
ハルトの炎は、マギウスの煙では防げなかったのだ。
クリシュナが左手で握り潰そうとハルトへと迫るがひょいと飛び上がって回避しつつ空中で何度か空を斬って炎の斬撃を飛ばす。
威力こそ高くはないが切れ味は悪くなく牽制には十分だ。
クリシュナもアルトリウスのそれぞれ炎を弾き飛ばすが視界の大部分が一度塞がれる。
上が駄目なら今後は下だ。
ハルトは地面に沿うように走らせたブレードを振り上げる。アルトリウスからすれば虚空から唐突にブレードが出てきたようにしか見えなかった。
盾の後ろ、前足と後ろ足の間の胴体を狙われて窮する。
クリシュナのカバーも間に合わずにブレードは無防備な腹部へと深々と刺さり、振り上げられてはその軌跡を煙が空に塗りつぶしていく。
「ぐわっ!」
「アルトリウス!」
ハルトはすぐに距離を取りつつ追ってくる拳をうまくあしらう。ハルトのスピードに、二人は後手に回ってばかりだった。
まさに翻弄という言葉にふさわしい光景だった。
実際の所、ハルトはそこまでスピードに秀でているわけではない。マギウスの大半よりは速いがそれでも足自慢のマギウスには普通に負けるだろう。
しかし重装甲とは裏腹に小回りがよく効くのだ。そして視界の外へとうまく逃げ込むのだ。
そして揺らめく炎剣で斬りつける。一つ一つは小さな傷でも、幾つも幾つも刻まれるうちに優勢劣勢は容易く覆っていく。
特別な必殺技など一度も使わずともハルトは鍛え上げられた純粋なる技能一つで戦況を覆す。
数の不利を軽くひっくり返す、質。
クリシュナも、アルトリウスも、このままでは負ける。そう確信していた。
ならば打つべき手は一つ。
「かかれ!」
アルトリウスの合図で周囲を囲んでいたマギウス達が一斉にハルトに群がり襲いかかる。
マギウス達は再生力を頼みに同士討ちも厭わず斬りかかり、ハルトの剣は逆に全てを斬っても止まらない為窮に瀕する。
「おっと、そう来るか。ならこうしよう」
ハルトは背中を守る装甲の隙間から炎を噴き出し、マントのように棚引かせる。そして剣と合わせてくるりと一回転。掴みかかるマギウスを振り払い圧倒していく。
火炎旋風を纏い、数を蹴散らしてなおマギウス達は諦めず、まるで蜘蛛の糸に縋る亡者のように這いずり織り重なりハルトを逃さない。
「邪魔!」
足の装甲に爪を生やして蹴散らしが次から次へとマギウス達が手を伸ばす。腕を斬っても首を落としても次々とマギウスは迫る。
そして少しづつ身動きが取れなくなり、完全に足が止まった所へクリシュナとアルトリウスの渾身の一撃が交差した。
一度では終わらず二度三度と何度も追撃を加えて叩き込む。
アルトリウスの槍は何度も折れ、クリシュナの拳は砕け、それでもハルトは立ち続ける。
否、マギウス達がみな命を投げ出してこの場に釘付けにしているのだ。
二十は強烈な一撃を耐えたあと、ハルトはゆらりゆらりと左右へ揺れながらそれでも大地を砕き天を穿ち地表を焼いてマギウス達を何度も何度も殺し尽くしていく。
最後に残ったクリシュナとアルトリウスが我に返って周りを見渡す。
味方はもう互いだけだった。地下空間へと落ちてそこら中に破壊痕と崩落の跡が残っていた。
そして、鎧が砕け、大火災の中心に、ソルジャー・ハルトが倒れていた。
夥しい犠牲を払いながら、ついにヴィクターは初めてグランクラスのソルジャーをここに撃破したのだった。
「終わった…のか?」
「恐らくは。あいつはもうピクリとも動いていない」
クリシュナに恐る恐る確認してからアルトリウスは膝を地についた。
気が付けばあっさりと、しかし凄惨な犠牲の上についにハルトはここに倒れた。
アルトリウスは思わず肩の力が抜けたのだ。
「終わった…」
「いや、まだだ。他の戦場ではまだ戦闘が続いている」
「そうだな。分かった。言ってくれ。この場は俺に任せろ!」
「ああ、頼りにしている」
完全に安堵してしまったアルトリウスと最後の最後まで警戒を解かなかったクリシュナ。
地に足のついたアルトリウスとは違いはクリシュナは根無し草だ。
地上の通常戦力同士の対決。その趨勢を覆すために、クリシュナが飛び上がっていく。
元々予想はしていた。しかし、やはり近づけば近づくほど恐ろしくなってきた。
何故ならやはりソルジャー独特の異質な空気を放っているからだ。
上空に浮かぶ巨大な円盤。それは下からは見れないように細工がしてあった。
「思ったより速かったね」
そしてその円盤の上に奴がいた。
「空から見ていれば、戦況など手を取る様にわかるのも当然だった。盲点だったよ」
クリシュナを待ち構えていたのはルスカだった。クリシュナは気付いていたのだ。この場にヴィクターを招き入れた人間が、未だこの空間を支配しているのだと、全てを掌の上で転がしていると。
「さて、そこまでわかっているのなら話は早そうだ」
クリシュナの拳がルスカを掴もうと襲いかかる。
しかしルスカはまるで落葉のようにつかみどころがなかった。
ひらりひらりとわざとか無意識か、ルスカはとにかくギリギリで、そして最低限の動きで回避し、その上反撃も無い。
まるで霞と戦っているかのようだ。
「チッ!」
まるで相手にされていない。クリシュナは今持ちうる手札を惜しげもなく切ることにした。
「これならどうだ!」
両拳を合わせてのダブルスレッジハマー。余りにも大振り過ぎる為ルスカは軽々と回避するがクリシュナの目的はルスカではなかった。
二人が乗っていた巨大円盤型浮遊機、グレートディッシュに巨大な亀裂が走り、砕け脱落し割れていく。
二人が、空に投げ出される。
落ちていくルスカ。体の力を抜き、無抵抗に自由落下していく中、耳の中に直接響く、通信が聞こえる。
『崩壊点の状況遷移を確認。総員退避を開始してください。当崩壊点は消滅します!』
セイファートの報告を聞いて、ルスカはキッと口の端を上げた。
「さあ、ダンスパーティーの始まりだ!」
同刻、地下。
クリシュナを庇い続けたことでハルトの攻撃を何度もその身に食らい続けたアルトリウスは身体が再生するとは言え体力を消耗して膝立ちのまま立ち尽くしていた。
しかし未だムーンストルム形態を維持する体力が残っているようだ。
しかし、目の前に倒れるハルトは鎧が少しづつだがチョコレートのように溶け出していた。
ザザッ、と何かのノイズが走ったのを感じたようでアルトリウスは不意に上を見上げた。
ハルトから視線を外すべきではなかった。
セイファートの通信が聞こえたことで目を覚ましたハルトが僅かに顔を上げていた。
その双眸は妖しく光り、そして口角が自然に上がっていた。
アルトリウスが不意に上げた視線を自然に下げていく。そのペースが少しづつ加速していく。同時に浮遊感が増していく。
足元が、抜けていた。アルトリウスは地上から更に遠ざかっていく。
空中で辺りを見回すと、ハルトが微笑を浮かべながら共に落下している姿が目に入った。
「何で…?まさか…まだ…!」
「第二ラウンド?いいや、再試合かな?何でもいいや。さあ、もっと踊ろうか!」
ハルトが、再び燃え上がる。
狂気の嵐がアサイラムの空と地下に吹き荒れる。
狂気の嵐が、正気と激突する。