屋内の銀世界
冷気を操り、火を起こしては爆発させる。イヌガミは奥の手を次々繰り出したがそれでもスピカが優勢だった。
足元を浮遊させているブレードに草刈りをさせて安全を確保した道を進んで距離を詰めていく。
イヌガミは口から冷気を吐いて迎え撃つもスピカが正面に集めた融合素を少しづつ昇華させて熱して押し返しながら接近する。右手に握った剣をだらりと自然に持った状態から引き上げるように振り上げる。イヌガミが両爪を交差して防ぎつつ尾の先からビームを放つ。数本は接近してせめぎ合うスピカを狙い、左右にも何本か尾を振り向けて周囲から隙を狙うオロチと距離を取って援護に徹するポラリスとヴァレリア達を牽制する。イヌガミは実に視野が広く、そして冷静に守勢を維持していたが自在に七本の剣を振り回しては自分の手を離しても凄まじい剣技で追い詰めてくるスピカと相対するには少々選択ミスと言えた。
守りに入れば手数でもパワーでもシンプルに上から押しつぶされる。ならばイヌガミは守りに入るべきではなく攻め続けるしかない。
彼に搭載された流体生体物質型コンピュータはそう結論付けた。イヌガミは守り神とはいえその躯体はあくまで人工物の産物。動かす魂と戦う意思は人間とさほど変わらない本物。
生存本能が、突き動かす。
イヌガミが背後に一歩下がってスピカは前傾姿勢のまま剣を向けて距離を維持する。イヌガミが膝を振り上げスピカの腹に叩き込む。しかし戦闘巧者のスピカは当然のように目視せずに的確に座標を完全に合わせたシールドバリアを展開して防ぎ、さらに周囲を浮遊させていたブレードの内の一本を左手で逆手持ちして右腕の下を振り抜く。イヌガミは身をよじって逃れ、足元を凍らせて滑走して逃れる。
なんとか無理な姿勢で逃れたところをすかさずオロチが襲い掛かる。片手で持った大剣を上段に構えて叩きつけるように振り下ろす。イヌガミは腕を氷で覆って即席の盾を作りわざと盾の端で受ける。
盾には容易くヒビが入れられるも衝撃を斜めに受け止めたことと、イヌガミが滑走状態にあったことで姿勢はさらに崩れ最早転倒と言っていい状態にあったがそれでも直撃は避けた。
熱波で体を浮き上がらせてそのまま両腕を振り抜く。
爪の軌跡が飛ぶ刃となってヴァレリアが狙われる。しかし割り込んだポラリスが約束の剣の一振りで全て粉砕して振り抜いた風圧でイヌガミを押し返す。
ポラリスが守る限りヴァレリアには手出しが出来ない。しかしわざわざ狙わなければポラリスがするのは空間支配を介した援護のみだ。わざわざ先に狙って虎の尾を踏む必要はない。
イヌガミは先手を取ってスピカに襲い掛かる。
爪の一撃を先に見せ、受けさせてから姿勢を低くして滑走してスライディングをかます。スピカの足が掬われて体が空に投げ出される。スピカは空中を無防備に放物線を描いて飛ぶ。それでも彼女が操る剣が5本、イヌガミの追撃から身を守るために結集した。
一手、猶予を得たイヌガミはスピカごとオロチを狙える位置に動いてから全身からエーテルを放出して両の手の内へ込めていく。
「危ない!」
大技の気配を感じ取ったヴァレリアが呪詛の壁でスピカを守る。イヌガミが放った氷雪の旋風はポラリスの対抗を押し切って室内を氷結の地獄へと変貌させる。足を止めていたポラリスとヴァレリアには足から霜が上り、凍り付いていき、空中で何とかフィールドバリアを展開したスピカは巨大な雪玉となり、その陰に隠れていたとはオロチは手足が凍え、グラフトボディを貫通して生身の肉体が寒気を感じる。
スピカが落下し雪を煌焔で強引に吹き飛ばして難を逃れる。そこへ雪煙に身を隠していたイヌガミが氷の剣を突き出して強襲する。
スピカは右手に持っていた剣を投げ捨ててイヌガミに弾かせる。そして空いた右手で床に手を付き、そのまま氷をフューズで隆起させて体を持ち上げる。イヌガミは空中で方向転換が出来ない。
そのまま氷の柱を剣で砕き、スピカは支えを失ったとは言え両足にフューズを纏い、ドルフィンキックしてまるで空中を泳ぐように翔ける。
無防備を晒したイヌガミに追撃を加えるのはヴァレリアだった。
影を伝播した魔法がイヌガミの背後で魔法陣を描いて起動する。
イヌガミが張った氷は滑走するには滑らかだがそれでは気にならない程度だが僅かな凹凸があり、そこにほんの小さな影が生じる。
ヴァレリアが道に選んだのはそんな小さな小さな影。
それでも影は影。
ヴァレリアが得意とする闇の魔法は影と陰に伝播させて作用する術式。
魔法の棘が無数に生えてイヌガミを貫いた。
そして氷の剣はオロチが通り過ぎるように一瞬にして駆け抜けながら破壊し、スピカのブレードが尾を貫き、爪を割り、口を閉ざさせる。
イヌガミの胸から腕が生えた。
否、イヌガミの背後に回り込んでいたポラリスの左腕がイヌガミの胸を貫いていた。
「ナ…ニ…」
見えなかった。
イヌガミが認識できない速さで、認識しようとも思わないほどに自然に。
ポラリスは先に回り込んでいたのだ。
イヌガミは迫る死を前に、消えゆく意識の中で、走馬灯を見た。
「守ってくれてありがとう」
「これほど都合のいい防衛戦力は無い」
「これで我々は守られる」
「助かるよ」
「ありがたい」
利用されるために生み出され、利用するだけして捨てて逃げ出した。
怒りなど無い。街の終わりを、正しい終わりを見届けた。ならば心残りなどあろうはずがない。
むしろ疫災を街に入れてしまったことを恥じ入るぐらいだ。
人は正しい。街は正しい。
思い出に曇りはなかった。
大切な、思い出だった。だから安らかに眠りについた。
街はいつしか朽ちて、崩れて、更地になるだろう。それは自然の事だ。自然の摂理だ。
そう思っていたのに、ふと目が覚めて現実に見た時、それを認められなかった。
思い出が消えるのが、許せなかった。
ここには街があった、人がいた。それを風化させてなる物か、忘れてたまるか。
心に生まれた闇はいくらでも力をくれた。
記憶に残る街を再生させ、人が去ったばかりのあのアサイラムを蘇らせた。
また壊れるかもしれない。また、風化するかもしれない。けれど、それは今であってほしくなかった。
例え世界が壊れるかもしれない。時間の流れに逆らった以上同じ空間にはいられない。
それでも、あの思い出の景色をもう一度見ることが出来るのなら。
盗人から街を守れるのなら。
神らしくもなく、欲深く、願った。
イヌガミの入っていた水槽後ろには都市管理コンピュータの本体が設置されていた。イヌガミもこのコンピュータを介して都市インフラを維持していたものだ。
まさに都市の象徴と言って等しかった。
消えゆく意識の間際、イヌガミが見たのは自らを貫いたポラリスが残った片腕でそのコンピュータを破壊する姿だった。
迫る死神を追い返すほど、怒りが燃え上がると同時に死神を呼び立てる程の絶望を感じた。
イヌガミが消滅した。
アサイラムを維持するシステムの全てが失なわれた。
虚数エネルギーが外部に漏出することなく、崩壊点を維持する核が失われた。
この閉ざされた世界の消滅が確定した。
『崩壊点の状況遷移を確認。総員退避を開始してください。当崩壊点は消滅します!』
イオの絶叫するような声がポラリス達のギアデバイスを介してアニムス方全員に伝達される。
「思ってたより早かったね」
ルスカはそう独りごちた。その独り言を聞いていたのは傍に居たはずのアマルテアではなかった。
「空から見ていれば、戦況など手を取る様にわかるのも当然だった。盲点だったよ」
褐色の肌。鋼色の軍服。両の拳には手甲を付けたヴィクターのマギウスの一人。クリシュナだった。