第九十六話 危機
博愛者の屋敷から出た時の俺の姿は、入った時とは激変していた。まず、ずっと上下パジャマなのが気になっていたのでマシな服を博愛者から貰って着替えた。更に、雪山登山用の防寒着と登山グッズが入った巨大なリュックも背負わせて貰った。
人間界へのゲートを開く力があるらしい博愛者の旧友『芸術家』が住む、雪山『大紅蓮』にはどれだけ急いでも二日は掛かるとのことだ。
因みに移動のための車も博愛者に手配して貰った。全く、世話になってばかりで申し訳ない。
「モーセ、居るか?」
俺は手配された車に乗り、今日だけで何度も見た彼の家へと戻って来た。
「お、お前さん、また帰って来たのかよ!? うえっ! 随分、見た目も変わったな!? 山でも登るのかよ!」
「そのまさか。次の旅の目的地は雪山になった。色々、ありがとうな。今日でこの街を発つからもう一度、礼を言いに来た。......後、これ、金。返すよ」
俺はモーセに貰った時の金額ピッタシを入れた麻袋を彼に渡した。
「へ? 何で......」
「デカいスポンサーが付いたからかなり儲かったんだ。無一文から小金持ちになった」
「な、何かよく分かんねえけど、色々、解決したみたいで良かったな。また来てくれよ? カエサル」
「おう」
「因みにマリアナちゃんは?」
「喧嘩した」
「はあっ!? おいお前マジで......!」
「じゃあな、モーセ。本当にありがとう。......出してくれ」
俺は即座にケルベロスような怪物の引く車に乗り込み、御者にそう頼んだ。
「おい! 逃げんな! マリアナちゃんの件詳しく聞かせろやコラ!」
後ろからそんな声が聞こえてくるのをスルーしつつ、俺ははたと気付いた。
「......お前のこと、博愛者に言うの忘れたな。てか、マリアナと合流出来てないけど大丈夫かお前」
すっかり存在を忘れていた人魂をポケットから出してやり、俺はそう呟いた。
⭐︎
「......向こうの、世界?」
時刻は朝の五時半、彼の捜索を始めてから6時間程が経過した時だった。目の前の吸血鬼から耳を疑うような言葉が飛び出したのは。
「うん。暁クンの家にゲートの痕跡アリ! 灯台元暗しってヤツだね。チョベリバー」
「......どの辺りに飛んだか分かる?」
「ノー」
「行ってくる。今から」
「待って待って! お姫様はお屋敷暮らしが長かったから知らないかもしれないけど、あっちの世界めっちゃ広いよ!? 無謀、無謀! それに、お姫様が向こうの世界に行ったら女王様に餌与える様なもんよ!」
「......だったら、どうしろって、言うの。このまま諦めろって?」
「先にあの天使見つけて、ゲートが何処に繋がってたのか聞くのが先だと思うよ。ってことだけど、お姉ちゃん聞いてたー?」
スマホに向かってフィーネがそう言った。
『......天使も人間と一緒に向こうの世界へ行った可能性は』
「わお、お姉ちゃんがボクに返答してくれたの久しぶりで嬉しー。天使みたいな大きいのが世界を移動したら結構、大きめの魔力の跡が残るんだよね。それが無いから多分、天使はまだコッチに居ると思うよー」
フィーネの軽い口調とは対照的に私とマクスウェルはある種の絶望を味わっていた。あの人は本当に何の力も持たない無力な人間。そんな彼があの殺伐とした悪魔達の世界に転移したとなれば......。
「ぇあっ、い、嫌ぁ......私が、私が悪いんだ......あの人と、契約を、交わして......最低限の力を与えていれば......」
『人間は強い人です。賢い人です。彼を、信じなさい。......っ!? ラプラスより急報! 東京都にて天使と遭遇! ロッテを伴い戦闘状態に入ったとのことです! 詳しい位置を共有します!』
「え......?」
彼女らしくもない声の荒らげ方でマクスウェルは叫ぶようにそう報告した。
「あ、見忘れてたけど、数時間前に平沢サンから連絡入ってる。店長が心神喪失みたいになってるってー。応援は期待出来なそう」
あの天使、十とは関わりが無かったはず。この短期間で無力化したのか。それとも、全ての守人を......。ラプラスは天使相手に何処まで戦えるのだろうか。マクスウェルと違ってラプラスは戦闘が不得意の筈だ。いやでも、ロッテが居るのだから......。
スマホで位置を確認し、現場の東京へと自分の出せる全速力で向かう。マクスウェルが共有してくれた天使の位置......その周辺は私もよく知る場所だった。
嫌な予感がする。
「お姫様! ケータイ鳴ってる!」
「もしもし!」
『ステラっ!? あの、あ、あの、ロ、ロッテが! ロッテが何か、大きな剣を持って、何か、すっごい......大きいのが......! きゃああッ!』
『フォーサイス様! 聞こえますか!? 交戦地点は優那の店の近く、優那が住んでるマンションのあたりです! 極力、人的被害の少ないようビルの上で......クッ、っぇああああああっ! 来るなあっ! 戦ってますが、ヤバいです! 完全に! 完全に人に見られてますし、窓とか割れてます! 警察が出動するのも時間の問題っ!』
スマホの向こうから現地の悲惨な状況がリアルタイムで聞こえてくる。
「こんな時のために守人がいるのにねー。東京の守人も動いてないし、多分、全国の守人が無力化されてるよ、これ」
「......暁楓、あなたならきっと、向こうを優先しろって言うよね」




