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第九十話 キュクロープス


「ステラ......ステラ......」


 蕩けた意識の中で俺はその名前を何度も呼んだ。加虐的で、妖艶で、自己中心的で傲慢な口の減らない優しい悪魔。そんな彼女を最期に一目見たい。それだけが頭にあった。

 先程まで自分が何をしていたかとか、今の自分はどうなっているかとか、もうどうでも良い。

 彼女の可憐で艶やかな顔を見たい。彼女の湿った優しい声を聞きたい。彼女の滑らかな肌に触れたい。彼女の香木のような匂いを嗅ぎたい。彼女の控えめで、少し下手くそな口付けをもう一度味わいたい。


「ステラ......ステラあっ......!」


『うるさい。あなた、どれだけ私に魅了されているのよ』


「ステ、ラ?」


 不意に現れた彼女の幻影に俺は一目散に近寄り抱き付いた。


『はいはい......怖かったね。私に黙って変な所に行くからよ。あなたは私の所有物なんだから、勝手なことしないで』


「うる、せ」


『反抗する余裕があるなら大丈夫だね。今、あなた、何処に居るか説明出来る?』


「え、あ......え?」


『呆れた。もしかして、この夢、私のことしか考えずに作ったの? 普通、変なことに巻き込まれていたらそれを夢に見るものじゃない?』


「何を、言って?」


『良いから。思い出して。あなたは寝る前に、何処に居たの?』


「......家?」


『だったら、どれだけ良かったことだろうね。それじゃあ、【天使】って言葉を聞いたら何か思い出さない?』


「天使......そういや、俺、あの天使に......されて......気が」


 口を動かしても、上手く声が出ない。そもそも、声ってどうやって出すんだったか。


『何? あの天使に? あの天使に何されたの? あ、駄目。起きないで。まだ、寝ていなさい......』


 よく分からないが、焦っている彼女の顔も愛おしかった。


⭐︎


「っ......ううっ、ステ、ステラあ......あ、目が、腹が、頭が痛え。オエッ。ッホ、クゥォッホ、ゲホ......」


 俺の口から出たのは吐瀉物ではなく、真っ赤な血であった。その血は白いベッドシーツにベッタリとくっ付き、洗濯しても中々、取れないであろうしつこい汚れとなる。

 目覚めて一番に見るものが知らない天井ではなく、自分の血で汚れた知らないベッドシーツか......。


「チッ。視界がぼやけて部屋がよく見えねえ」


 おまけに体が自分の体でないかのように重い。俺が寝かされていた部屋はどうやら、かなり狭く、簡素な部屋のようで窓と扉、大きな椅子があるだけで後はこのベッド以外、何もない。自棄に天井が高いのは気になるが。

 ぼやける視界と重い体に鞭打ってどうにか、ベッドから降り、扉を目指すが、二、三歩歩いただけで足がもつれて転んでしまった。


「......痛え」


 体が言うことを聞かない。立ち上がれと命令しても、立ち上がれない。俺は溜息を吐く。


「誰か! 誰か居ねえのか! オイ!」


 そして、仕方なく転んだ状態で俺は扉の向こうへ叫ぶ。すると、直ぐ様、ドタドタと足音が近付いてきた。


「おー、その声じゃ随分と回復したみたいだなあ。入るぞー」


 足音が扉の前で止まると、続いて男の声が聞こえてきた。そして、俺が許可を出すよりも先に声の主はガチャリと扉を開け、部屋の中へと入ってきた。


「悪いが、アンタが思っているほど快調じゃねえぞ......っ!?」


 『ソイツ』の体は2m近い巨体で筋肉質、腕や足も俺の二倍以上の太さがあった。極め付けは顔で、口や鼻、耳があるのは普通の人間と同じだが、目が一つしか存在していない。

 サイクロプス、ゲームや漫画でそう言う名前で呼ばれる種族の特徴とほぼ同じだ。


「オイオイ、命の恩人に向かって、んな顔すんなよお前さん。ま、キュクロープスなんて今の世じゃ、そう見ねえだろうからしゃあないんだろうけどよ」


 サイクロプスではなく、キュクロープスか。種族名が人間の生み出した言葉になっているのは、何も悪魔達がその名で呼んでいる訳ではなく、翻訳魔法が勝手に変換してくれているのだろう。

 とは言っても、翻訳魔法がそう訳すのなら、コイツは俺の中のサイクロプスとほぼ相違ない存在と見て良さそうだ。


「......てか、アンタ、わざわざ、俺に翻訳魔法使ってくれてんのか?」


 翻訳魔法を使えることがどれほど、凄いのかは分からないが、少なくとも此方の世界の住人は翻訳魔法を常時、発動している訳ではない......というのは、先程の羊角族から確認済みだ。


「んあ? 此方の世界......チッ、忘れてた。此処、いつもの世界じゃねえんだ」


 なんて、サイクロプスの前でブツブツと俺は呟いた。今の今まで、寝ぼけていたせいで自分が目覚める前まで何をしていたのかを忘れていたのだ。


「勝手にブツブツ言うなよ気持ち悪い。......つーか、翻訳魔法って何だよ。んな魔法、人間に召喚される可能性のあるような高等悪魔の方々しか使えねえだろ。てか、何で俺とお前さんが翻訳魔法が無えと話せねえんだ」


 ......つまり、こっちの世界って、共通語しか使われてねえのか。楽だな。


「悪い。まだ、眠いし、頭痛と吐き気があって、現実と夢がごっちゃになってるみてえだ」


「あー、無理もねえな。お前さん、血だらけでぶっ倒れてたんだぜ? それを担いで家まで運んで来た俺、偉くね? あ、下心とかは無いぞ。本当だからな」


 フランクな口調でかなり恐ろしいことを話すサイクロプス。段々、思い出して来た。俺と災厄は正太不明の敵に襲われて......。


「災厄!」


「ん、だよ。うるせーな。寝惚けてるんだとしても縁起でもないことを言うんじゃねーよ」


 と、サイクロプスは文句を言うが、俺はその『縁起でもないこと』と一緒に気絶する前まで居たのだ。途切れ行く意識の中で、彼女が俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がする。


「俺と一緒に一人、女が倒れてなかったか。銀髪で全裸の女だ」


「......何だそのエロい格好の女。お前さんの連れかよ。てか、お前さん、一人称、『俺』なのな」


 その言葉からして、彼は災厄の姿を確認していないようだった。


「そんなに意外かよ。それより、その銀髪の女のことが......ゴホッ、ゴホオッ」


「お、オイ! 連れの心配も大事だが、自分の心配もしろよ姉さん! ほら、寝てろって」


 またも吐血した俺を見た彼は、慌てた様子で俺の体をベッドに寝かせた。ステラやロッテが特別なだけで、悪魔とはもっと、残虐なものと思っていたが、俺の検討違いだったか。


「なあ、アンタ、何でそんなに俺に良くしてくれるんだよ」


「......あー、アンタ、風貌からしても余所者っぽいもんな。この街、『エデン』じゃ、助け合いが普通よ。此処は俺みたいな独自の共同体を持たねえ希少種の悪魔やそれこそ、悪魔としては『忌み子』と断じられるような障害持ちや、シンプルな弱者が集まった街なの」


「エデン、か。楽園とは強気に出たもんだな。命名者が知りてえ」


「命名者なら、この街の商会の会長様だよ。彼が一人で作り上げたらしいぜ、この街」


「へえ......じゃあ、弱者に寄り添う優しい街に住む優しいアンタに頼む。銀髪の全裸女を探してくれ」


「おっと、姉さん、図々しいな。俺、コレでもアンタに見返りを求めずに必死に介抱したのよ? これマジ」


「そうか。なら、その優しさ継続して全裸女探してくれ。探してくれりゃ、後は何しても良いぞ」


「何って?」


「何でもって言ってんだろ」


「エロいことでも?」


「ああ、勿論。俺は許可する。アイツがキレてこの街ごと消し炭にしないかは別問題だが」


「こっわ。お前さんの連れ、災厄か何かかよ。えー、どうしようかねえ。お前さんが俺に一つ、キスでもくれたら動くぜ?」


 単眼でウインクをするサイクロプス。俺はそれを聞いて、見て、また吐血した。


「お前らの種族って、無性、若しくは雌雄同体なの?」


「いや、キュクロープスには男も女も居るし、雌雄同体でもないが?」


「じゃあ、お前が単に同性愛者なだけか。それとも、お前が実はメスなの?」


「冗談キチー。姉さん、確かにアンタの胸が貧相なのはマイナスだが、そんな謙遜しなくても......」


「待て。さっきから、俺のこと何度か姉さん呼ばわりしてたのやっぱり、聞き間違いじゃなかったのか!?」


 サイクロプスから見たら、人間の俺は女に見えるとか、そういうことだろうか。


「え、いや、そうだが。お前さん、どっからどう見ても女だろ。......や、どっからどう見てもっていうとアレか。胸無いし。でも、顔はどう見ても女だろ!? サキュバスの匂いもめっちゃつええぞお前!」


 もしかして俺、人生初のセクハラをされてるのか。


「サキュバスの匂い......ああ、まあ、そうだろうな」


「そのロングヘアーも滅茶苦茶、女っぽいし、誰がどう見ても女にしか見えねえぞ」


「......ロングヘアー?」


 俺はそっと髪に手をやる。確かに何時もは首と頭の付け根辺りまでしか伸びていない後ろ髪が腰の方まである。

 しかも、前髪をよく見てみると、慣れ親しんだあの黒髪だけではなく、所々銀髪も混じっていた。


「な、何だよ。まさか、寝惚けすぎて自分が男になったように錯覚してたとかじゃねえだろうな」


「これ見ろ」


 思考が停止した俺は何も考えずにズボンを脱ぎ、サイクロプスにパンツの膨らみを見せつけた。


「ノオオオオオオオオオッ!」


 叫び、泡を吹くサイクロプス。さて、やっと、状況が整理出来てきていたのにまた状況がとっ散らかって来たぞ。どうすんだこれ。


「......んっ、んおっ、ぉえええ」


 そして、唐突に来る吐き気。一応、サイクロプスに悪いので嘔吐をすることは根性で耐えたが、俺はそのまま気を失ってしまった。


⭐︎


「カエデ、誰? これ」


 数分後か、数十分後か、数時間後か、再び、意識を取り戻した俺の目に飛び込んで来たのは銀髪ロングの美少女。そして、彼女が指差しているのは泡を吐いて倒れているサイクロプス。

 ......流石にコイツが数時間もこうやって倒れているのは考えづらいので、さっき倒れてから大した時間は経っていないのだろう。


「災厄」


「何?」


「色々、聞きたいことがあるが、まず一つ」


「うん」


「お前の名前を決める必要がある。人前で災厄って呼ぶ訳にはいかねえ。何が良い?」


「カエデが、決めて、良いよ?」


「あー......じゃあ、お前の深い青色の目と水みたいに掴みどころのない雰囲気に因んでマリアナ海溝の、マリアナで」


「意味は、わからないけど、適当に決められた気がする」


「マリアナ、其処の単眼の男をちょっと眠らせられるか。身体にダメージを与えないように」


「もう気絶してるけど」


「多分、すぐ起きる。......二十分くらい寝かしてやりたいんだよ」


「分かった。適当に気絶させる」


「よし、良い子だぞマリアナ」


「えへ」


 何も、マジで何も分からねえ......が、疑問や感情は後回し。今は目の前のすべきことに集中しなければ。即ち、マリアナとの話し合いとマリアナからの信頼の獲得である。

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