第八十八話 世界
「天使?」
「ああ、今、俺の家に居候してやがる天使。それがお前を鎖で繋いだ犯人、だと思う。俺はアイツの魔法か何かで此処に来たんだと思ってたんだが......」
「だが?」
「元々、アイツはこの場所と俺の家を繋げるゲートみたいなのを押し入れに作ってて、俺は其処に落ちた......って、考えたら自然だと思う。あの天使はお前を鎖で繋ぐ為にゲートを開いてたんだ......多分な」
殆ど想像の域を超えない推理ではあるが、あの天使がそんな行為に及んだ根拠も一応ある。それは、『天使と災厄が敵対していた』ということだ。
天使と災厄はもしかすると、ライバルのような存在で、あの天使は将来の敵になり得るこの災厄を拘束したのではなかろうか。
「天使の、術なら、解き方分かる......」
そう言いながら彼女は口から青い炎を吹き出し、右手を縛っている鎖にそれを吹きつける。すると、たちまち、それらはドライアイスか何かのように気体になって消えていった。
続いて左手の鎖にも同様のことをした彼女は俺のことを見つめてきた。
「この炎を後ろのに掛けて。寝転んだままだと、やり辛い」
「はあっ!? 手え燃えるわ!」
「大丈夫。天使特効の、火だから、カエデが天使じゃなきゃ、多分、大丈夫、です」
「俺が天使だったらどうすんだよ!? 俺も五、六歳までは親に天使って言われてたんだぞ」
焦りすぎて自分でもよく分からないことを口走り出した俺に構うことなく、災厄は吹き出した青い炎を自由になった手に乗せて俺の方へ突き出してきた。
「はい」
「チッ。ああもうしゃあねえな! ......あっつ、くねえ!」
ギャアギャア騒ぎながら俺は手の上で燃え盛る、無臭で無温の炎を彼女の足を縛る鎖二つに投げつける。すると、その炎は先程、彼女がやってみせたのと同じ様に鎖を気体に変えた。
「ん、ありがと、カエデ」
そう言って、今にも『うらめしや』と言わんばかりにフラフラしながら立ち上がる災厄。青い人魂もそうだが、青白い不健康そうな顔や、振る舞いが幽霊然とし過ぎている。
いや、災厄は幽霊みたいなものなので間違いではないのだろうが。
「お〜」
俺は気の抜けた相槌を打ちながら、立ち上がった全裸の彼女を横目で観察した。身長は160cmくらいだろうか。意外と大きい。胸は......ステラのよりは少しデカいくらいであの災厄には遠く及ばない。
不健康そうではあるが、顔は異常な程整っており、美人を見慣れている俺でも息を呑む美しさだった。
「じゃあ、私、そろそろ、寝る」
「はあ......? 折角、立ち上がれたのにかよ」
「寝ることしか、やることないし、私」
「いや、俺に協力してくれる話はどうなった」
「もう、終わった......んじゃないんですか」
「いや、全然。こっからだよ、本当にお前を頼りたいのは」
『協力』という抽象的な単語の解釈権は契約を持ち掛けた側にあるべきだ。
「私を、頼りたい......? でも、カエデは、私を、サイアクって......」
「災厄な。確かに俺にとっては災厄の存在は最悪だが、今の状況の方がもっと最悪なんだよ。溺れる者は災厄も掴むんだよ」
「よく、分からない......けど、良いよ。私、何すれば良い?」
「俺の目的は一つ。『向こうの世界に帰ること』だ。それを手伝ってくれ。主に武力面で」
⭐︎
この世界は『こっちの世界』ではない。『あっちの世界』だ。......自分で言ってても意味が分からなくなってくるが、要するに俺が今居る世界はステラの故郷、『悪魔の世界』ということである。
確固たる理由がある訳ではない。複合的な理由からそう判断した。
一つ目は、災厄が存在すること。悪魔の世界でも災厄は希少らしいが、俺達の世界では更に何倍も希少だ。そんなのが、俺らの世界に何人も居て堪るか。
二つ目は、先程の男が『悪魔』だったということ。羊の様な黒い角を生やした、話に聞く『羊角族』とやらの特徴に相違なかった。
三つ目は......無い。俺が此処を『あっちの世界』と断じた理由はその二つだけである。しかし、その二つの理由は余りにも強力だった。
更に......
「向こうの世界......人間の世界に? カエデ、人間なの?」
向こうの世界に帰るのを手伝え、俺にそう言われた彼女の返答は此処が悪魔の世界であることを肯定するものであった。
「ああ。人間相手の契約は破棄、なんて言わねえよな?」
「言わない。契約は、守る。だから、カエデも守って」
「ああ......? 俺はもう支払い済ませただろ。ちゃんと、テメエを鎖で繋いだ犯人伝えたぞ。天使特効とやらが効いたなら正解だったみたいだしな」
「違う。その前の契約」
「何言ってんだお前、その前に契約なんか......あ」
何と無く、嫌な予感がした。背筋が凍り、拍動が速くなるのを感じる。
「『私から逃げない代わりに金縛りを解く。もし、逃げたら殺す』、そういう契約、した」
「......それって期限、いつまでなんだ?」
「私の、気分、次第。もし、カエデが私から逃げ出したりしたら、殺す」
動揺する自分に俺は必死に言い聞かせる。いきなり、殺しに掛かってくるんじゃなく、互いの合意に基づいた契約の為に殺しに来るならこの災厄はかなり良心的だ、と。
「......分かった。ただ、お前から少し遠ざかっただけで殺すとかは止めてくれよ?」
「分かってる」
彼女は低く甘い声でそう言い、コクリと頷いた。
「因みにお前、向こうの世界に帰るためのゲートを開いたりは?」
「私、基本、攻撃しか出来ないから......怪我とかも、しないで」
回復魔法に期待はするな、ということだろうか。
「取り敢えず、この近辺を案内してくれ。土地勘ゼロなんだ。欲を言えば、向こうの世界に帰るためのゲートみたいなのまで案内して欲しいが」
「私、此処以外の場所知らない」
「......は?」
「私、此処以外、知らない。いつも寝てるから」
マジで武力以外宛にならねえなコイツ。




