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第八十七話 サイアク


 体の表面が打ち身の様に痛く、内部が筋肉痛の様に痛い。自分の体がどうなっているのかを確認する勇気のない俺はかれこれ、意識が戻ってからも数十分程、地面にうつ伏せになりながら目を瞑っていた。

 そもそも、俺は意識が戻るまでどれくらいの間、気絶していたのだろう。此処は何処なのだろう。ステラは今、何をしているのだろう。疑問は尽きない。

 地面から土の匂いがすることから確実に何処かしらに飛ばされたのは分かるのだが、それが何処なのかは検討も付かない。こんなことを引き起こしたのはあの天使なのだろうが、何故? 何故、俺をこんな目に遭わせたのか。何も分からない。いや、あの天使の様子からして事故だったのか?


「そろそろ、起きた?」


 何十分間も静寂を聞き取っていた俺の耳が突如、何者かの声を捉えた。


「ぃぇうぉぉっ!?」


 俺は思わず痛みも忘れて目を開き、飛び起きた。声が聞こえてきたのは右。そのため、俺は左の方へ這いながら逃げた。

 意識を回復してから初めて開けた目で見渡した世界は真っ暗で街灯の一つも無く、何も見えなかった。もう、夜なのか。


「逃げないで」


 何処か優しく、何処か恐ろしい、綺麗で少し低い女の声が聞こえた瞬間、俺の動きは止まった。自らの意思で止まった訳ではない。金縛りの様に体が動かなくなったのだ。同じ様な魔法をステラに掛けられたことが何度かある。

 それはつまり、あの声の正体は人ならざるモノ、ということの証明に他ならない。


「チッ......ああ、クソッ! バケモンどもの相手なら慣れてんだよ!」


 俺はそう言って、声の主の方を向く。不思議と、その動きに制限は掛からなかった。


「......コレ、したの、あなた......?」


 脳にゆっくりと浸透していく様な細く、涼しげな声でそう聞いてきたのは周囲に浮かんでいる三つの青白い人魂の光で自らの顔を照らす女だった。

 彼女を見て俺は三度、驚いた。一つ目は勿論、人魂に。二つ目は全裸だったこと。三つ目はその四肢が彼女の周りに刺さっている四本の杭から伸びる鎖によって拘束されていたことだ。

 はっきり言って、大声を出したかった。しかし、俺はそれをグッと堪えた。悪魔を召喚した経験、災厄に殺されかけた経験、朱音がグロテスクな蛇になったのを見た経験、全てのお陰だろう。


「コレって......その鎖のことかよ。それとも、服がねえことか。どっちも俺じゃねえぞ......」


 体と声がガタガタと震えるのを自分でも感じ取りながら、俺は冷静にそう返した。いつも俺の隣に居て、助けてくれたステラが今は居ない。それがどんなに心細いことなのか、俺は今、初めて知った。


「クサリ、の、こと。あなた、じゃ、ないんですか」


「だ、だから、違うって言ってんだろ......か、金縛り解けよ!」


 人魂に照らされている部分しか見えないが、女の体はさほど大きくなさそうだ。少女と呼ぶべきかもしれない。

 髪はボサボサのロングで、色は災厄のものによく似た、灰色......いや、限りなく白に近い青紫だろうか。目は深い青。服、装飾品の類いは一切、付けていない......とまあ、人魂の光で見て取れる彼女の容姿の情報はこんなものか。

 ああ、顔はかなり童顔で胸は小さい。というか、胸も何もかもが裸で見えているため、目を背けさせて欲しいのだが、金縛りのせいで目も動かない。


「私、ちょっと前から、身体、コレで動かなくなった......だから、どうにか出来るなら、どうにかして欲しいです」


「だから、知らねえって。ちょっと、前っていつだよ! 俺が此処に来てからか!?」


「分からない、かも。太陽が一回......二回......三回、えっと......」


「ああもう良いよ! 俺が来たのは今日だ! 少なくとも太陽が三回も昇ったり落ちたりしてる筈はねえ!」


 俺は恐怖と状況が理解出来ていない焦燥感から苛立ちを露わにして叫んだ。この無口な感じ、この掴みどころのない感じ、この危うい魅力を感じさせられる感じ、俺は何処かで知っている。


「逃げたら殺してくれて良い。金縛り解いてくれねえか」


「......良い、よ?」


 彼女の返答後、確かに俺の体は目から足まで何でも動かせる様になった。俺はその動ける様になった足で彼女に近付く。


「お前の体、触って良いか?」


 出来る限り、彼女の裸体を見ない様にしながら俺は聞く。


「......良いけど」


 彼女の許可を貰い、俺は彼女に触れる......筈が、俺の手は彼女の体をすり抜けた。


「やっぱり......」


 掴みどころがなく無口で無頓着、全裸でいることを全く恥じない常識の欠如。間違いない。


「『災厄』だ」


 俺の体がブルブルと震える。幾つもの悪魔の魂の器が堆積岩のように固まった物の中に意識が宿り、生まれるという無差別大量破壊兵器、『災厄』。彼女らはその成り立ち故に幽霊のように体を透けさせることが出来る。

 この少女と俺の知っている災厄は容姿もだが、口調や雰囲気などもよく似ている。その上で、体が透けるとくれば、これはもう間違いないだろう。

 俺の知り合いである『あの災厄』はステラ曰く、災厄の中でも珍しい、理性的な奴らしい。初対面で何の躊躇いもなく俺とステラを殺そうとしてきた『あの災厄』が、だ。

 であれば、必然的にこの災厄はアレと同等......いや、それ以上の気狂いの可能性が高い。


「サイアク......何が?」


「最悪じゃなくて、災厄。お前が」


「私、サイアク......」


 絶妙に会話が成り立たない。知能レベルで言えば、『あの災厄』の方が上なのだろうか。


「一応、聞いておくが、お前、俺を殺す気は?」


「殺す......あなたを。うん、殺しても、良いよ?」


 と、言いながら鎖に繋がれた手に青い炎を纏わせる災厄。俺は慌てて、退く。


「待て待て待て待て! 殺せなんて言ってねえ! 寧ろ、殺すな!」


 そして、今すぐにでも手の炎で俺を燃やそうとしている災厄にそう叫んだ。会話は噛み合っていないが、会話自体を拒んでいる様子ではない。

 きっと、こう言えば聞いてくれる筈だ。


「分かった......皆、あなたに沢山の因果が結び付いてるって言ってる。あなた、ダレ?」


「皆って、その人魂達のことかよ」


「皆は、皆。それで、あなた、ダレ、ですか」


「俺は暁楓だ。お前は」


「カエデ......うん。私は......ダレ?」


 俺は相当、話が通じない奴と付き合ってきた自負があったが、コレは流石に駄目だ。対応し切れない。


「お前が誰かはもう良い。此処が何処か教えろ」


 そもそも、災厄というのは非常に個体数が少ない筈。そんな災厄がポンポン、神奈川の街にやってくるとは考え難い。

 俺が此処に来てしまったのは天使の魔法が原因だ。魔法が関わっているならば、此処がブラジルであろうと、おかしな話ではない。


「此処......? 私の寝床」


「いや、そうなのかもしれんが......つーか、土の上が寝床とか何処の民族だよ。俺の知ってる災厄は服も着てるし、多分、ベッドで寝てるぞ」


 この全裸の災厄を見ていると、『あの災厄』をステラが理性的と評した理由がよく分かる。しかしながら、この災厄はあの災厄と違って今の所、俺に敵意は無い。話に聞く『対話不能な殺人兵器』とは違う様で少し安心した。


「......カエデ」


「んだよ」


「カエデの話、難しい、かも......。でも、あなた、怯えてる。それは、分かる」


 幽霊少女は悲しそうな顔をしながらそう言ってきた。確かに俺の身体と声は震えっぱなしだ。いつ、この災厄の気まぐれで殺されるか、分かったもんじゃない。


「それが、どうし......っ!?」


 視界が真っ白になった。背後から突如、光が降り注いだらしい。街灯が時間になって点いたのか、何者かが光源を持ってやってきたのか、それとも、何か攻撃の類いをされたのか、そんな仮説が俺の頭の中で瞬時に湧いては回転した。


「>5*☆6〆8…★※•」


 聞き慣れない言語だった。やはり、ブラジル語......ポルトガル語なのか。


「お、おい、お前、翻訳魔法使えるんだろ! 何て言ってる!?」


「『こんな所で何をしている』って......」


「あ、アイムソーリー! あ、アイムジャパニーズ......」


「÷4¥7\÷〝﹆<√”←∂джцз=#€2○......5\00★》■※々⌘♫」


「『男は嗅ぎ慣れない臭い。そっちの娘は匂いがしない』って」


 俺は災厄の翻訳と、その何語かすらも分からない言語を話す男の顔を見て、殆ど全てを悟った。あの男が何者なのか、この災厄を鎖で拘束したのは何者なのか、此処は何処なのか。


「災厄......お前はどうやら、会話は噛み合わなくとも温厚らしい。俺に協力してくれねえか。対価は、恐らくお前をその鎖に縛り付けたであろう存在を教えることだ」


 災厄や悪魔という存在を俺はある程度、信頼している。一度、契約を交わせば必ず遵守するからだ。あの災厄ですら、千隼と結んだ契約を守っている。

 そんな信頼から俺はこの、全裸の幽霊に契約を持ち掛けた。そして、その答えは......。


「何を、すれば?」


 そんな簡素なものだった。


「あの男を気絶させて、死なない程度にどっか遠くまで吹き飛ばしてくれ。ああ、俺達との記憶も消してな」


「記憶処理、無理かも」


「],&/|>〒:]・93#дйзфзЖцз!」


「ああ、何言ってんのか分からねえよ! 記憶処理しなくて良いからさっさとやってくれ!」


「分かった」


 彼女は鎖に結ばれながらも、手から魔法を放ち、その男を気絶させて倒れさせる。そして、すかさず、強風をその男にぶつけ、遥か遠くへと吹っ飛ばした。


「よくやった......! 災厄!」


「よくやった、のに、サイアク?」


 俺は天を仰いだ。

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