第八十六話 一時
部屋中に固定電話の音が鳴り響く。
「鳴ってるわよ」
「どうせ、要らないもの売って下さいとかの怪しい業者」
「そう......貴方、楓のことをどう思っているの?」
「......面白い人だなって」
「好きなの?」
「好きだよ。但し、人間の『好き』と淫魔の『好き』の間には大きな溝があると思うけど」
「面白くない言葉ネ。そんなだと彼に見放されるし、他に取られるわよ」
「あの人は私を見放さない。私も契約者を手放さない」
「アナタと話していても、あまり面白くないわね」
「......自覚ある。気分を害したならごめん」
「謝られても困るワ」
炬燵に入り、時折りミカンをつまみながらの朱音との会話は数時間に渡った。会話とは言っても、気まずくなったらテレビを見て、ふと話題を思い付いたら相手に話しかけてみる、そんな会話然としていない会話だ。
「今日はバイトとかないの?」
「久しぶりに一切、シフトが入っていない日なの。楓が帰ってくるまで此処に居るから宜しく」
「好きにすれば......」
「というか、天使は?」
「あー......あの子、ずっと、部屋に篭ってるのよ。パソコンを見ながらみかん食べてるみたい」
「堕落してるわね。はっきり言って、堕天使にしか見えないワ」
「それ、あの人も言ってた。こっちでは堕落した天使のことを堕天使と言うの?」
「堕落というより、堕天ネ。悪行を働いて神に追放それた天使を堕天使と言うのよ。......多分。専門家じゃないけど」
「あの人は神を信じてるのかな」
「さあ?」
「......あの人が信じるのは私じゃないと許さない」
「傲慢ね。人の神になろうとするなんて」
「悪魔だもの。人を惑わせて、信じさせるのが仕事よ」
「ふふっ、そう......嫌いじゃないワ。その考え方。また、電話鳴ってるわよ」
「無視しといて」
「ん......みかん」
みかんの無くなった空の器を朱音は未練たらしく見つめる。
「もう今日の分は終わり」
「冷たいわね」
「あの人の分無くなるでしょ」
「あの人、あの人、って楓のこと大好きね」
「この家の家主は彼。人から搾取するのが悪魔だといえども、人の金で買ったものを食い潰す程落ちぶれてもない」
「意外と堅物ね、アナタ」
「分別があると言って頂戴。......ちょっと寝る」
「じゃあ、アタシも」
「寝かせてあげようか? 私、夢魔だから快眠を約束するよ」
「それでうん、と言うと思ウ?」
「知らない。アナタのことなんて」
「ふふっ、まあ、そういうことヨ......」
「どういうことなの」
とか、何とか言いながら私も朱音も炬燵で眠りに付いてしまった。この炬燵という機械の魔力は夢魔の魔法に迫るものがある。
「......22時。寝過ぎた」
惰眠から目覚めた私が時計を見ると、短針は10を、長針は3辺りを差していた。慌てて起きるも、あの人の姿は無い。
「朱音、起きて。22時よ」
「んうう、はっ! ら、ラプラス、バイトの時間!?」
「バイトの時間でも無ければ、私はラプラスでも無い」
恐らく、夜勤のバイトの時はラプラスに起こして貰っているのだろう。朱音の焦った声に私は少し笑いながらそう言った。
「ステラ......楓は?」
「まだ帰ってないみたい」
「流石に遅くないかしら。また、変なことに巻き込まれてるんじゃないの」
ふと、スマホの電源を付けてみると、ホーム画面にはマクスウェルと由香からの着信履歴が山のように存在していた。
「え」
「どうしたの?」
「マクスウェルとあの人の妹からの着信履歴が凄くて......」
「あ、私もラプラスからの着信履歴が七件......」
私と朱音は顔を見合わせる。私と朱音が惰眠を貪っている間に何かが起きた、それは間違いない。
「もしもし、マクスウェル!?」
私はマクスウェルの声が朱音に聞こえるよう、スピーカーにして彼女に電話をかけた。
『ステラ......! 生きていましたか。電話に出ないのでてっきり何かあったかと......』
「そんなのいいから、用件は!?」
『人間が出社していないそうです。フィーネから今朝、電話がありました。由香も彼の職場から電話があって、何度か其方に電話を掛けているみたいですが......』
「出社してないって......今朝は確か......」
今朝、『そろそろ、仕事に行く』と言って自室の方へ向かって行ったのを見たきり、私は彼を見ていない。朱音との話に夢中になっていたからだ。
私が焼き直した餅を食べるため、リビングに現れなかったのできっと、そのまま仕事へ行ったのだろうと思っていたのだが。
「私は分からない! 今直ぐ探す!」
「......そうですか。でしたら、私も今直ぐ、帰宅して捜索に合流します」
「ありがとう!」
「ステラっ! 天使が居ない......!」
廊下の向こうの方から鬼気迫った朱音の声が聞こえる。天使の部屋に、天使が居なかったということだろう。
「トイレは!? 風呂は!? 他の部屋は!?」
「居ない!」
『何か御座いましたか......?』
「天使が居なくなった。彼も居なくなった。分からない。いつからなのか分からない......!」
『直ぐ向かいます。ラプラスにも連絡を』
「もうしているワ。もしもし、ラプラス......」
「分かった! じゃあねマクスウェル。......ロッテ! 今直ぐ、私の家に来てッ! あの人と天使が居なくなった!」
分からない。分からない。無くしたくない。無くしたくない。彼を、暁楓を、契約者を、あの人を亡くしたくない。彼が居なくなったら死んでやる。そうだ、死んでやれば良い。今度こそ、私の居場所なんて無くなるんだから。死んでやる。
でも、でも、その前に......。
「あなたは私のモノ。悪魔の所有物。勝手に居なくならせない......なってたまるものか」




