第八十三話 天使
「ナマエ〜......? ない〜」
か細い声で名前が無いと宣ったその女の体は分かりやすく重傷であった。腹部から血が溢れ、背中や肩にも傷が幾つもあった。
直ぐ様、事の重大さを解した山本が救急に連絡をしようとしたが、俺、ステラ、ロッテ、マクスウェル、ラプラス、朱音によって止められた。
『落ち着きなさい。私は医療の知識があるの。この程度であれば家での止血をした後、病院に行くまでにかなりの猶予がある。他にも救急の患者がいる中、軽傷の為に救急車は呼べない』
正常な頭をしている奴ならそんな誰にでも分かるような嘘は言わないし、信じない。しかし、山本は正常であっても、此処にいる彼女以外の者は嘘を吐いた朱音含めて全て異常者だ。
山本はマクスウェル、ラプラス、由香だけでなく信頼しているであろうステラやロッテからも朱音の言葉を信じるよう求められ、仕方なくそれに応じた。
そして、朱音とステラが『止血』と称して女を別室に運び、ステラが回復魔法をかけてある程度傷を閉じさせたことで山本も此方の話を信じてくれるようになった。
「名前無いって、記憶喪失!? やっぱ、救急!?」
「山本、落ち着け。記憶喪失は直ぐに治療したらどうこうなるとか、そういうもんじゃない」
「記憶喪失かー。ま、それでも良いよ〜。君がそれで納得するなら」
「どういうことなの......」
焦った様子でソレに聞く山本に対して、俺やステラは落ち着いたものだった。
女の身長はステラと同じくらい、要するに150cmくらいであろう。翡翠のような緑の髪をツインテールにしている。
更に、頭上には鉛のような色をした輪を浮かせており、服は紫色の何処か邪悪そうなワンピースを着ている。明らかに『普通』の者ではない。
「なあ、ステラ、アレって......」
「天使族かな」
「あの堕天使みてえな見た目の奴がか。それとも亜種的な?」
「ダテンシとかはよく分からないけど、アレは天使族だよ、輪っかあるし」
鉛色の輪と紫と黒のワンピースが特徴のあの女......いや、あの少女は俺の思い描く天使、即ち金色の輪を浮かせ、シルクの服を着た天使とは程遠い。
「......おい、マクスウェル、ちょっと来い」
「何でしょう」
「天使族は滅びたんじゃなかったか」
この前、ラプラスと由香とマクスウェルで食事に行ったとき、俺はマクスウェルに神は存在するかと聞いた。
その返答は『神は天使族の長のことであり、他種族との戦争に敗れ、滅んだ』と聞かされた覚えがある。
「いえ、滅んだのは神だけです。戦争により、長を殺され、数も大幅に減らされた彼らは散り散りになり、多数の部下の存在を必要とする『神』も生まれなくなりました」
「......要するに、蜂の巣ぶっ壊されて女王蜂も殺されたせいで組織を維持出来なくなって、新たな女王蜂も選出出来なくなったってことか」
「その理解で相違ないかと」
「成る程」
俺はもう一度、堕天使にしか見えない少女に目を向ける。この邪悪そうなのが天使として普通なのか、それともこの少女が異端なのか、それも気になったが、それより、気になったのは......。
「アイツ、どうして怪我してたんだと思う?」
俺が聞いた相手はステラである。
「悪魔に殺されかけて、こっちの世界に逃げて来たんじゃないかな。悪魔達は天使の生き残りを掃討することを掲げて一致団結してるから」
「先の戦で生き残った天使はどれも幹部級......人間にはガブリエルやラファエルといった天使だけが生き残ったというと伝わりやすいでしょうか。その幹部を抹殺すべしと、悪魔達は躍起になっているのです」
「じゃあ、アイツ、お前の敵?」
「私は淫魔の女王の敵。アレも悪魔の敵。敵の敵は味方なんじゃないかな。知らないけど」
「適当だなオイ」
「私は天使が生き残ろうと、絶滅しようと、どうでも良いけど......あの天使を治療しろって運び込んできたのはあなたでしょ?」
まるで、俺の頼みだから聞いてやった、と言わんばかりの言い草だ。だとしたら、コイツ......相当、可愛いな。
「幹部級ってことは、実力的にはどれくらいなんだ?」
「災厄にギリギリ届かないくらいじゃない? 『神』になれば災厄超え確定だろうけど」
化け物じゃねえか。
「ワタシと同等の実力はありそうよ......さっさと、殺すべきだとワタシは思うワ」
と、話に加わってきたのは朱音である。
「災厄を殺してから言え」
「......耳が痛いわね」
悪魔の存在を容認出来ない朱音がステラやフィーネを直ぐに殺そうとしない、この状況は一種の休戦状態に過ぎない。それをどうにか維持させているのは多分、俺だ。
そして、俺はいつも言っている。『ステラを殺す前に災厄を殺せ』と。どう考えても、人間に害があるのはアッチだ。
「ん〜......ダル。よっこらせ、と」
オッサンのような口調で不意に立ち上がった天使は山本やロッテから離れてヒソヒソと話している俺達の方へやってきた。
「暁楓とステラ・フォン・フォーサイスで良い?」
そして、突如、俺達二人の名前を呼んだ。
「......何で俺達の名前を知ってんだ」
「天使ちゃんさ〜、災厄に追われててさ〜。傷だらけのままココの守人訪ねたら、暁楓とステラ・フォン・フォーサイス頼れって言われたんだよねー」
俺とステラ、更にマクスウェルとラプラス、由香の視線が朱音に向く。
「ワタシじゃないワ」
「店長かあ......」
「あなたの上司なんだから、ちゃんと言っておいて。私達の家は駆け込み寺じゃないって」
「はあ〜。んで、何で災厄に追われてんだ」
「え、知らね。何か殺されかけた。てか、何でこっちの世界に災厄がいんの。守人は何やってんの守人は」
「災厄と俺らは力が拮抗してるから、膠着してんだよ」
「え〜、困る〜。天使ちゃん、悪魔から逃れるために頑張ってゲート開いてこっちまで来たのになー。暁楓? 匿ってー?」
何処か嘘くさいというか、浮世離れした口調の天使。アンドロイドや、電波娘など変な口調の奴には数多会ってきたが、今まで会った奴らの中でコイツが一番、気持ち悪い。
口調そのものがというより、何というか、その口調の背後に何かがあるようで気持ち悪いのだ。
「あ、あなた、傷は大丈夫なの!? というか、暁さん、あなた、やっぱり、知り合いだったんじゃない!?」
俺に迫る天使を見て、山本は俺と天使を知り合いと判断したようだった。俺は誤解を解くよう、天使を睨む。
「ア〜、暁楓と天使ちゃんは初対面だよ〜? 山本優那〜」
「て、天使ちゃん......? というか、何で私の名前......」
「ん〜? 暁とロッテの君への呼び方から導き出した〜。それぞれ、山本、と優那、って呼んでたでしょー? 後はマクスウェルと朱音とー......そこの女の子とマクスウェルの双子みたいな子の名前だけ分かんないかなあ」
「あ、暁由香デス。ども、影薄くてすんません」
「ラプラスです。姉さんとキャラ被りしている上に二番煎じのアンドロイドですみません」
「あ、イヤ、天使ちゃんはそこまでは言ってないけど〜」
確かにラプラスの見た目はマクスウェルとほぼ同じだし、口調もあまり違わない。ちょっと、気にしているのだろう。
「......て、天使ちゃん、それで傷は大丈夫なの? 安静にしてない駄目だよ?」
山本がオドオドと天使に近付き、彼女の腹を見ながら聞く。
「ン〜? 血は止まったし、多分、大丈夫〜。......見た感じ、聞いた感じ、あの子だけブガイシャ〜?」
山本に対応しつつ、天使は俺にそう聞いてきた。彼女が『あの子』と指し示しているのは勿論、山本である。俺はコクリと頷いた。
「アイツだけは巻き込むなよ。いや、俺達も巻き込んで欲しくないんだが。アイツを巻き込むと例の魔女がお前を殺しに来る」
「あ〜......そうなるのか。山本優那〜? ほら見てみ? 大丈夫でしょ? 大丈夫大丈夫。今日は天使ちゃんも此処に泊まるからさぁ」
まるで、縫ったかのようにピタリと閉じた傷口を山本に見せながら彼女は言う。一方の山本は目を手で覆い、手の隙間から彼女の腹を見ていた。
未だに俺でも人の肉が割れている所なんて見たら吐き気がするのだ。一切、耐性のない奴には厳しいものがあるだろう。
「オイ、勝手に決めてんじゃ......何だ。お前は俺ら側じゃねえのかよ」
勝手に『此処に泊まる』と宣言した天使に苦言を呈そうとすると、ステラが俺の唇に手を当て、黙らせてきた。
「さっきまで大量出血してた子を外に放り出す訳にはいかない......優那の前ではね」
「......この家、ベッド二つしかねえぞ」
「ロッテを地面で寝かせて、わたしとあなた、優那と天使で良いんじゃない」
「お前......マジでロッテの扱い酷過ぎるだろ。言っとくが、あんまりロッテを虐めたら俺が許さんからな」
「私の方が彼女とは付き合いが長いし、大切に思ってる」
「楓とフォーサイス様、私のこと呼びましたー?」
「呼んでねえ引っ込んでろ」
「ひええんっ!」




