第七十四話 非合理
散歩を始めてから二時間くらい経った頃、私はふと気付いた。
「此処、何処......?」
自分の現在地を把握出来ていないことに。
いや、大丈夫。スマホにはGPSとかいうのが付いているってあの人が言っていた。私は慌てずにスマホを開き、現在地を確認する。どうやら、神奈川から東京にまで来てしまっていたらしい。そんなに早歩きをしたつもりはないのだが。
「もしかして、知らない間に空飛んでた......?」
かなり無意識な状態で歩いていたのであり得ない話ではない。もし、誰かに見られたら透明化もしていないので大変なことになる気がするけれど、まあ良いか。あの人に怒られても怖くないし。
それよりも折角、東京に来たなら観光でもしよう。......東京って何があるんだろう。国会議事堂? ネットで調べるか。
「観光地多すぎ......」
ネットで東京の観光地を調べたところ膨大な数の情報が出てきたため、直ぐにスマホの画面を消してしまった。この中から選ぶのは無理。
なんて考えていると、視界の隅に変なものが入ってきた。
「どうしようかしら、どうしようかしら......」
私は変な日本人しか知らず、普通の日本人についてはよく知らない。しかし、そんな私でも正統派だと分かるくらい、至って普通の容姿をした黒髪ショートの『彼女』は忙しなく同じところをグルグルと歩き回りながらそんなことを呟いていた。
関わったら絶対に面倒臭いことになる。本能的にそう感じた私は直ぐに観光地探しに戻った。やはり、ネットで調べるなら観光地は観光地でもジャンルを絞らねば。
「どうしようかしら、困ったわ。困ったわ」
いっそのこと私も温泉に行っちゃおうかな。
「うーんと、うーんと」
でも、東京って温泉あるのかな。
「あー、困ったな」
あ、東京にも温泉あるんだ。行ってみようかな。
「どうしましょう、どうしましょう」
......。
「大変だわ、大変だわ」
「はあ、何か困ったことでもあった......?」
やってしまった。声をかけたら絶対に面倒臭いことになるのに、うるさすぎて負けた。
「ほ......やっと、話しかけて貰えた。貴方、誰?」
「ステラ。力になれることがあるなら......協力するよ」
何故、悪魔である私が赤の他人の人間に救いの手を差し伸べているのか自分でも訳が分からなくなったが、どうにか、呑み込むことにする。
「ステラね。ありがとう! 私は山本優那! 宜しく! その、翼と尻尾、素敵ね」
「っ......!? あ、う、うん。ありがとう」
翼と尻尾を隠すのを忘れていた。にしても、普通の人間からしたら有り得ない格好をしている私に相対してこんなに平然としているとは......もしかして、悪魔なのかな、この娘。
「私ね、財布を落としちゃったの。だから、どうしようか悩んでいたのよね」
「そうだったんだ。因みに幾らくらい入ってたの?」
「7万円くらいかな」
「結構入れてたんだ......分かった。探すの、手伝ってあげる。何処から見てない?」
「そうねえ、さっきのレストランでドリンクバーを取りに行って帰ってきたら無かったわ。取りに行く前は絶対にあった筈なんだけど、不思議ね......」
嘘でしょこの子。
「絶対にそのタイミングで盗られてるじゃない」
「あ......。い、いや、でも、人の物を盗んだりする人、この街に居るかしら......」
「思考が性善説に偏ってるわね。良い? 優那、人っていうものの本質は欲望なの」
「ステラも性悪説に偏っていると思うわ」
「欲望を持つことは悪なんかじゃない。欲望を実行に移す力が足りなかったり、他の人の欲望に押し負けてしまった者は損をするしかない。それは極めて自然的な摂理よ」
「す、ステラ?」
「だって、考えてみてよ? 権利は侵されないからこそ、権利なのに。私達はいつも侵されるじゃない。所有権を、自由権を、生存権を......そう、私も侵されたんだ、私の権利を。私は普通に生きる権利を奪われたの。人はいつだって他者から奪うことを止められないのよ」
「......じゃあ、ステラは私を助けようとしてくれているけれど、本当は私から何かを奪おうとしているの?」
「......私は奪おうとする気力さえ奪われたのよ。でも、きっと、それを奪われていなければ私は他者から何かを奪っていた筈。いや、もう既に色々と奪っているかな」
そのとき、『テメエ、面倒臭えんだよ』という言葉が頭に響いた。彼がこの場に居たら、きっとそう言うだろう。
「ごめん。ちょっと、暴走した。取り敢えず、そのレストランまで連れて行ってくれる? もしかしたら、記憶違いで忘れ物をしただけかもしれないし」
「分かったわ。早く行きましょう」
気力に溢れていて、癖がなく、聞き取りやすい綺麗で素朴な声。優那の声を聴くと、何故か少し安心する。
いや、でも、そういうタイプの擬態をする悪魔もいるし......私の姿に殆どツッコミを入れない彼女は少しおかしい。
「ねえ、優那」
徒歩での移動中、私は不意に彼女に話しかけた。
「何?」
「貴方、何の種族?」
ただの人間なら首を傾げるであろう質問を私は投げかける。首を傾げるなら、傾げるで良い。私の疑念が晴れるから。
「そうね......私は人狼。人のフリをした怪物よ。なーんてね」
しかし、彼女は首を傾げることなく微笑みながらそう答えた。心臓がドキリとする。
「......へえ」
そんな種族は初めて聞いた。が、私が知らない種族は沢山いる。きっと、その中の一種族なのだろう。
「逆に聞くけど、ステラ、アナタは何者ー?」
「......私はサキュバス」
同じ悪魔ならバレても問題無い。そう思い、私は答えた。
「サキュバ......え、あれ? 夢魔的というか、リリス的なアレ? へえ......」
パッと見て悪魔だと私が分からなかったということは、優那は相当の手練れなのだろう。最近、私より強いのが増えてて嫌になる。
あの人にも舐められてる気がするし。確かに災厄や守人には敵わないが、だからといって人間一匹くらい小指で殺せるんだってことを教育してあげないと。
「此処?」
「そう」
20分ほど他愛ない会話をしながら歩いていると、私もテレビで見たことのあるチェーン店のレストランが目の前に現れた。流石に羽や尻尾を生やしたままで入店は出来ないので隠すことにする。
山本優那は私の正体を知っているので隠しても驚かない筈だ。
「んしょ......っと」
「え、その羽と尻尾、直せるの?」
「え? ああ、う、うん。ああ、そっか、人狼だもんね......」
サキュバスとは勝手が違うか。
「すみません、先程、此処を利用させて頂いた者ですけど、財布の落とし物とかってありませんでしたか?」
優那は少し恥ずかしそうに聞いた。
「財布の落とし物は預かっておりませんね。申し訳ありません。もしかしたら、後から見つかるかもしれませんのでお電話だけお伺いしても宜しいでしょうか」
しかし、財布が見つかることは無かった。となれば、やはり、何者かに盗まれたと考えるのが妥当か。探し物なんかはマクスウェルが得意そうだが、生憎、彼女は今日も仕事。
私だけでどうにかするしかない。
「......あ」
「どうしたの?」
「私の財布ね、GPSの付いたキーホルダーが付いてたわ」
「何故先にそれを言わない......」




