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第六十七話 嘔吐


「わりいな......ちょっと、気分が悪い。外の空気吸ってるから、続けといてくれ」


 俺はそう言うと口を抑えて裏口から庭に出た。外はやはり、寒かった。体の内側から凍りつきそうな程に冷たい空気とそれを運ぶ風は俺の気分をほんの少しだけ軽くする。かと思えば、急にまたあの声が頭に響く。こんな幸せあり得ない、いずれ裏切られる、と。


「う、うる......うるせえよ......俺は、俺はもう......何が嘘で何が本物かなんて、分からねえよ......,」


 吐き気が戻ってきた。今回は冷たい空気で収まることもなく、一気にその場に吐いてしまう。一種の自暴自棄に陥ってしまったのだろう、と自分を俯瞰で眺めるように客観視しながら俺は頭を地面に叩きつけた。

 痛い。その痛さでまた胃の内容物が上ってきそうになる。案の定、また吐いた。

 俺は夢を見ているのだろうか。由香が戻ってきてくれたのも、全部、幻なのだろうか。起きたらあの会社なのだろうか。いや、精神病院かもしれない。どちらの可能性も非常に高く、全くもって否定出来ない。でも、一つだけ否定したくないことがある。


「ステラあ......ステ、ラァ......」


 地面に頭を擦り付け、泣きながら俺はそう叫んだ。ステラ・フォン・フォーサイス。破滅的に面倒臭くて、口が悪くて、倫理観も少しズレている、それでも健気で優しく、魅力的な少女の名だ。

 アイツのことだけは、嘘だと思いたくない。アイツと過ごした日々をただの妄想に、夢にしたくない。


「あなた、死ぬ気......?」


 後ろからそんな声が聞こえてきた。紛れもない彼女の声だ。


「こんなに苦しいなら、その方がマシかもな......」


「あなたも相当、面倒臭いよね......。まあ、分からないでもないよ、今のあなたの状況。自分が不幸じゃないのが不安なんでしょ?」


「・・・・」


 分かったような口をきくステラ。あながち、間違いでもないので俺は沈黙してしまった。


「良いんだよ。もっと、泣いて。不幸に慣れたら、幸せは怖いよね。あなたの感じている通り、絶対に揺るがない幸せなんて無い。いつ、不幸が襲ってくるか分からないものね」


 ステラは地面に座り込んでいる俺を後ろから抱き締め、優しい声で耳元でそう言った。


「お前は、生きてる、よな......? 俺の作り出した妄想なんかじゃ」


 俺の話を遮るかのように突如、ステラは俺の耳たぶを口に含んできた。


「どうだろうね。もしかしたら、私はあなたの妄想なのかもしれないし、あなたは私の妄想なのかもしれない。そんなこと、証明のしようがない。でも、少なくとも私の言葉は貴方に届いている......ステラという悪魔はあなたの後ろで今も、あなたの魂を狙っているわ」


「・・・・」


「そんなに心配なら、ほら......この温度も偽物だと思う?」


 ステラは更に俺を抱き締める力を強め、肌を密着させてきた。暖かくはないが、冷たくもない。これなら、さっきの由香の温度の方がしっかり感じた。


「お前平熱幾らだよ」


「35.6」


「ひっく」


「じゃあ、ダメ押しもしてあげる。ん......」


 昨日のことがあって、抵抗が無くなったのかステラはナチュラルに俺の口に口付けをしてきた。


 俺は無言で抵抗せず、なすがままになった。


「精気ご馳走様。これで納得出来そう? 少なくともある程度の信憑性はこの世界にありそうだって」


「......まあ、な。てか、何でわざわざお前、抜けてきたんだよ」


「あなたの様子が明らかにおかしかったからよ。ペットの......単純にあなたが心配だった」


 『ペットの体調管理をするのは当たり前』とでも言おうとしたのだろうが、彼女は珍しくそう言い直した。


「あそ」


「......私も、よくあるんだよ。あなたとの生活がかなり、楽しいせいで」


「は?」


「自分がこんなに幸せで良い筈がない、絶対にまた不幸のどん底に突き落とされる、ってね。不幸慣れなんだろうね。不幸じゃないと落ち着かない。それで、変な思考に取り憑かれて、頭がおかしくなりそうになる」

 

 ステラの言っていることは、先程の俺の症状と全く同じだった。


「二人揃って精神疾患かよ」


「二人とも、ついこの間まで自殺しようとして訳だしね。今も自分が死にたいのか、死にたくないのか、よく分からないし......。私も、出来るだけあなたのことを支えてあげるから、私がおかしくなった時はあなた、お願いね」 


「......おう」


 何時にも増してステラが妖艶で魅力的に見えて、俺はつい、彼女に見惚れてしまった。彼女の声がもっと聞きたい。彼女の温度をもっと感じ取りたい。彼女のことが堪らなく好きだ。

 全てをステラに捧げてしまいたい。


「そろそろ、戻る? それとも、外で月でも見ていようか」


「......このままが良い。疲れた」


「そう。良いよ。一緒に居てあげるわ」


 この日のステラは何時もと違い、棘が無く、不気味な程に優しかった。俺を小馬鹿にしたり、見下したり、傷付けて反応を伺ったり、そういった様子が全く無かったのだ。

 

「ステラ」


「......どうかした?」


「俺のこと嵌めようとしてねえか」


「どういうことよ」


「お前が憎まれ口の一つも叩かずに俺に寄り添っているのが気持ち悪くて仕方がなくてな。俺が油断した隙に魂でも抜き取ろうしてんじゃねえかと思って」


 俺がそう言うと、彼女は分かりやすく不機嫌になり、尻尾で俺の額を叩いた。


「そっか、そっか。偶には純粋にあなたのことを労ってあげようと思ったのに。あなたはそれじゃ物足りないんだね」


「は?」


「あなたは背徳的で、冒涜的で、恐怖と快楽が伴う刺激的な悪魔との駆け引きを望んでいるんだよね。そういうことなら、もっと......」


「いや、違うから。偶に悪魔スイッチ入ってサディストになるの止めろよ」


「つまんないの」


「テメエは俺を何だと思ってるんだ......」


「玩具?」


「玩具の使い方が荒すぎんだよ。玩具は大切に使えって習わなかったのか」


 というかコイツ、俺のことをペットであり、玩具だと思っているのか。ペット=玩具という認識、やはり、悪魔だ。


「......心外ね。これでもあなたのこと、大切にしてあげているつもりよ。ただの人間には勿体無い程に。好き放題嬲って、動かなくなったら廃棄でも良いのよ?」


「・・・・」


「あなたは悪魔を召喚して、契約までしている訳だから守人にあなたを防衛する義務はないしね」


 と、優しく笑うステラ。本当に可憐だ。


「......お前になら、使い潰されるのも悪くねえかもな」


「ああ、頭おかしいもんね、あなた」


「悪口直球だな」


「当分はあなたのこと、ある程度大切にするつもりだよ。面白いし。......まあ、本当にあなたが望むなら、殺してあげても良いけど?」


「俺も当分はテメエと付き合っていきてえな。面白いし。由香のこともあるから、そう簡単には死ねねえ」


「妹想いだね......」


 少し不満そうに彼女は言う。


「んだよ、嫉妬か」


「......どうだろうね」


「否定しないのかよ」


「恋愛感情の有無に関わらず、淫魔は意外と嫉妬深いよ? 他の淫魔やメスにオスを取られないようにするための本能なんだろうけど」


「はあん。だからといって、妹相手に嫉妬するなよとは思うけどな」


「でもあなた、ブラコンだし......」


「しばくぞ」


「ま、妹さんが大事なら私に殺されないよう、精々楽しませてね」


 その後、暫くして俺とステラは家の中に戻った。朱音達は俺の体調を気遣ってくれたが、由香やフィーネは俺とステラが外で何か人には言えないことをしていたのではと邪推してきた。

 全く、自分の妹ながら何故、こんな風になってしまったのかと苛立ちを覚える。が、まあ、こういうのも悪くはない。


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