第六十二話 監禁
吐き気のする油と金属、そして薬品の匂いが鼻腔を刺激する。この匂いには覚えがある。
「お疲れ様でした、ラプラス。貴方には更に追加でアームを取り付けましょう」
「ありがとうございます、姉さん。......ですが、本音を言うと、アームよりも資金の方が......」
そんな会話と異臭が聴覚と嗅覚、二つの感覚を目覚めさせた。どれだけの時間眠っていたのだろうか。
俺は重い瞼を何とか上げる。
「人間、お目覚めになりましたか。おはようございます。ラプラス、報酬に関してはまた後ほど」
「......了解しました、姉さん。それでは兄さんもごゆっくり」
ラプラスはそう言うと、忍者か何かのようにスッと飛び去って消えた。窓が空いているので、恐らく其処から出たのだろう。
意識がはっきりしてくるにつれて気になったことがあった。体が動かない。腕も、足も動かない。それもその筈、俺の手首と足首は金属のリングによって固定されていたのだ。
そして、俺はやっと自分が床やベッドではなく手術台のようなものの上に寝かされていることに気付いた。
「......まさか、またテメエが敵になるとはな、マクスウェル。仕事帰りに拉致とはやってくれるじゃねえか」
「申し訳ないと思っています。こうでもしなければ、頑固な貴方を連れてくることは難しいだろうと思いまして」
「わざわざ、ラプラスを使ったのは?」
「貴方が仕事を終え、帰る頃までに私の仕事が終わりそうもなかったので」
「確か、町工場で働いてるんだったか」
「はい。少し、難しい依頼が入ってきていまして。どうにか完成させて企業に納品したところです」
「成る程......」
「・・・・」
「・・・・」
一分程の沈黙が流れた。
「......違う」
「はい?」
「違う。激しく違う......! 俺が知りてえのは何でテメエが俺を拉致してまで家に呼んだのか、何で俺は四肢を拘束されてんのか、って話だよ!」
拘束された足と手を最大限、動かしながら叫ぶ俺。すると、マクスウェルは沈黙し、俯いた。
「おい、何悩んでんだよ! 頭抱えてえのはこっちなんだよ! マクスウェル、俺はお前のことをかなり信頼しているが、これに関してはきちんと説明がなされなければブチギレるぞ!?」
「......会いたかった」
「あ?」
「私と人間とでは休日も、生活リズムもズレていて、中々、会えないから。......イブくらいお会いしたくて。でも、正攻法で誘ったら貴方はステラと過ごすことを選んでしまう。そのため、このような手段を取らせて頂きました。拘束しているのは暴れられるのを防ぐためです。この家は危険な物が多いので」
何を言っているのかは分かるが、何を言っているのか理解出来ない。
「......俺、ケーキの予約があるんだが」
「ラプラスから聞きました。由香が今、取りに行ってくれていますよ」
「何で由香が」
「妹ですから。心配しなくともケーキ屋には私の方から貴方の声で妹が代わりに取りに行く旨を伝えておきました。ご安心ください」
「つまり、アイツも共犯か」
「全面協力です」
クッソ、あのバカ妹め。
「大体、何でテメエはそんなに俺に執着するんだよ。今まで言うほど関わり合い無かっただろ」
「......だからですよ」
「あ?」
「本当は人間ともっと、お話をしたかった。しかし、貴方と殆ど関わらないまま私は一度、自死を選んだ。『マクスウェル』を構成していたデータは巨大で、消去には時間が掛かりました。少しずつ、消されていく自分に怯えながらもずっと、貴方の顔が私の脳裏にチラ付いていた。もう、人間とは二度と会えない。そればかりか、最後の別れも『敵対』という状態のまま終えてしまった、その絶望たるや......機械の私でも流石に感情というものを自覚せざるを得ませんでした」
淡々と感情を吐露するマクスウェル。彼女がそんな気持ちを俺に抱いていたなんて、全く、知らなかった。
「つっても、お前、ラプラス程では無いにせよ、由香の記憶が最後に少し戻ってたんだろ。それも、ラプラスみたいに朱音の力で無理矢理思い出すんじゃなくて、自然と自分の記憶として。......由香の俺への好意がお前に作用しただけじゃねえのか」
「私は由香の記憶が戻る前から貴方に好意を持っていました。仮にそれが潜在していた由香の記憶が発露したものだとしても、それは私の感情......と言って良いのか、私自身、不安になってきました。本当に『マクスウェル』なんて居るのでしょうか」
理路整然と話していたマクスウェルは突然、顔を青くした。
「......お前はマクスウェルだよ。マクスウェルは居る。お前の考え、気持ち、することなすこと全てお前のものだ。悪かったな。変なこと言って」
俺の言葉にマクスウェルは鳩が豆鉄砲を食らったような、唖然とした表情を浮かべ、直ぐに笑った。
「そういうところですよ、私が貴方に好意を抱く理由。ありがとうございます」
「......おう」
「所詮、機械に過ぎない私はいつ、また、人間の前から姿を消すか分かりません。ですから、もう、あの時のように後悔をしたくないのです。だから、貴方を拉致した。許して頂けるとは思っていませんが......」
「普通なら許さねえけど、マクスウェルだから許す。お前には借りが多い」
「......ありがとうございます。ですが、貴方が許す許さないに関わらず、今日は私と一緒に居て貰いますからね」
微笑を浮かべ、頬を赤く染めながらそんなことを宣うマクスウェル。ちょっと待て、可笑しい。
「反省してねえだろテメエ」
「反省もしていますし、申し訳無い気持ちでいっぱいですが、後悔はありません。......機械に愛されるのはご不満ですか?」
「いや、機械とかじゃなくてだな」
「何故、それほどステラを優先するのです。ステラは貴方を何だと思っていますか? 流石に本気で性奴隷とは思っていないでしょうが、私程、強い好意を抱いているとは思えません。私の方が貴方のことを大切に思っている筈です」
マクスウェルは拘束され、寝かされている俺の上に乗り、覆い被さるような形で体をくっ付けてきた。
「......マクスウェル?」
「ほら、体も機械ではありますが、さほどサキュバスのそれとは変わらない筈です。胸も今は薄型のパーツを使用していますが、努力すれば厚型も開発可。サキュバスの吸精がお好みでしたら私にも再現可能です。そうなればネックなのは容姿ですか? 容姿はまた、新しい予備を作れば幾らでも変えられますよ? 声も貴方の好みの声を......」
マクスウェルのゴーグルのレンズの色が黒から赤に変わる。そして、『Error』の文字が黄色で浮き出る。不味い、非常に不味い気がする。
「チッ、離れろ......! 俺は別にステラを優先してる訳じゃねえ。アイツと共同生活をしてるからアイツを生活の軸に置いてるだけだ。後、容姿や声を変えるのはぜってえに止めろ」
「ステラは淫魔です。貴方を放置しておけば、彼女にその気が無くとも少しずつ貴方の心は彼女に蝕まれていく。今からでも遅くありません、共同生活相手を私に変えませんか。由香も居ますよ」
マクスウェルの体が急に熱くなってきた。相変わらずゴーグルには『Error』が点滅している。完全に正気を失っているらしい。
「一旦、落ち着け!」
俺がそう叫んだ瞬間、俺の四肢を拘束していたリングが突如、外れた。俺は直ぐ様、台から降りて、地面に足をつける。
「そうよ。落ち着きなさい」
その口調から一瞬、ステラを期待したが、残念ながら声がステラとは別物だった。期待なんてするものではない。
「......幾ら守人と言えど、厳しい戦いになりますよ。此処は私の家であり、研究室であり、製作所であり、要塞です」
「ふふっ。ガラクタに私が負ける訳無いわ。楓、私が助けてアゲル」
窓ガラスを破って侵入してきたらしいソイツの名は星加朱音。俺の救世主になり得るかと言われれば、中々に難しい相手であった。
「『熱力学第二法則歪曲開始。エントロピー減少』」
マクスウェルがそう唱えると、部屋中の至る所から機関銃のような武器が出てきて、朱音を撃ち抜いた。機関銃といっても、放たれているのはただの弾丸ではなく炎と氷の魔力弾のようなものだ。成る程。上手く出来ている。本物の銃弾ではないお陰か、地面に当たった瞬間に弾が霧散している。
......そういや、マクスウェルの悪魔って熱力学の話だったか。忘れていた。
「っ。楓! 逃げるわ。私に捕まって」
守人であり、かなりの力を持つ朱音だが、流石に無数に放たれる魔力弾を避け切るのは難しいと判断したらしく、俺の方に朱音が飛んできた。
「させません」
しかし、マクスウェルは朱音の前に立ちはだかる。そして、朱音の銃撃を意図も容易く天井から伸びる無数のアームを使って防いだ。通常の何倍も、マクスウェルが強化されているように見える。彼女が言っていた通り、此処がマクスウェルの城だからなのだろう。
由香、こんな所に住んでんのか......。
「楓の気持ちを考えなさい。自己中心的なロボットなんて、何の役にも立たないわ」
「そういう貴方は人間を助けた後、どうする気ですか」
「勿論、私とイブを過ごして貰うわ。彼もそれを望んでいる筈だもの......」
「......自己中心的なのはどちらですか? 私は彼が拉致され怒っていることを理解していますよ。その上で自分の気持ちをぶつけているのです。そういえば、由香に貴方にピッタリな言葉を教わりました。貴方のように妄想を膨らませ闇雲に人を求める者を『メンヘラ』と呼ぶそうですね」
「ガラクタの癖に言うじゃない。良いワ。互いに死なない程度にやり合いましょう? ただし、楓に流れ弾は絶対に当てたら許さないわよ」
なんて言って、狭い部屋の中で激戦を開始した二人を俺がボォーと見つめていると、俺の足にゴロンと何か重い物が転がってきてぶつかった。
何かと思うとそれは生首......。
「なっ......」
「静かに。今のうちに逃げるよ。あの二人が争ってる間に窓から出て!」
いや、ロッテの首だった。彼女は限りなく小さな声でそう言う。窓の方を見ると、『こっちこっち』とロッテの顔より下の部分が手を振っていた。
俺は頷くと直ぐに窓へと駆け出す。
「人間、聞いていませんでしたか。此処は私の城です。侵入者の存在も、貴方の動きも全て把握可能......」
「させない......!」
「アナタ、悪魔ね。誰の許しを得て私のテリトリーに入ってきているのカシラ!?」
「ココ、テメエのテリトリーじゃねえだろ!」
マクスウェルが俺を捕まえるため、天井から伸ばしてきたアームをロッテは鋭い剣筋で切り裂いた。ボトッ、ボトッと切られたアームの先が地面に落ちる。俺はそのままロッテに抱えられ、マクスウェルの家から脱出した。
それ以上、彼女達は追ってこなかった。




