第五十四話 由香
「ふっ、ふわあ......ねむ」
何時ものベッドではなく、和室に敷いた敷布団の上で目覚めた俺の意識は浅い眠りから覚めていった。流石に12月中旬にもなると冷え込むと思いながら、右を見る。死んだように安らかな顔で寝ている淫魔の姿があった。
俺は軽く彼女の体を揺する。
「ん、んう......おはよ。起きてたんだ」
柔らかく、フニャフニャとした表情を浮かべ、目を擦りながら彼女は起きた。
「今起きたとこ」
「そう。よく眠れた?」
「お陰様でな。良い夢見れた」
「良かった。疲れたよね」
そう言ってステラは有無を言わさず俺に抱きついてきた。
「離せ」
「嫌よ。私だって、疲れたんだもの」
「何で疲れたら抱き合わねえといけないんだよ」
「精気吸えるし」
「おいコラ」
「冗談よ。弱っている乳牛から無理やり搾乳するつもりは無いから安心して」
「誰が家畜だ、誰が。......何で今日、そんな機嫌良いんだよ」
「久しぶりにあなたと過ごせる休日だもの」
「サキュバス様はそんなに俺との時間が好きかい」
「久しぶりに犬と一日中遊んであげられるんだから、当然」
「......もう何も言わねえ」
寝巻きを着たステラからは独特の甘い香りがして、俺は何だかもう一眠りしたいくらいにリラックスしてしまった。それにしても、本当に整った顔をしている。それもクールで冷たく、それでいて心を奪われてしまいそうな、そんな美しい顔。
「......どうかした? 顔に何か付いてる?」
首を傾げる彼女の体を俺はギュッと力の限り抱きしめた。
「生きててくれてありがとよ」
「......変なの」
「偶には良いだろ。素直になるのも」
「あなたの魂欲しいな」
「......素直になり過ぎんのも考えもんだな」
クスクスと笑うステラ。相変わらず表情は硬いが、声は笑顔だった。自然と俺も心が笑顔になる。無論、表情は硬いままだろうが。
「オイコラ、オイ。何イチャついとんねん。オイ、聞いてんのか? オイオイ」
突如、背後からそんな声が聞こえてきて背中を突かれた。振り返ると、先程まで俺の左側で寝ていた機械娘が不機嫌そうな表情で此方を睨んできていた。
「イチャついてねえわ。搾乳だの、魂くれだのといった浮世離れした会話聞いて何でそんな思考に辿り着くんだよ」
「おっ、おおう......さ、流石、闇堕ち兄。威圧感パねえな。後、朝起きてまず起こすのは血の繋がった妹じゃなくてご主人様の方なんですね。由香、よく分かりました」
「おいふざけんな。コイツがご主人様なら俺は何なんだよ」
「性奴隷......?」
「妹さん、物分かり良いね」
「両方、一回、ぶん殴るぞ」
「うわ、暴力に訴えかけるとか流石闇兄」
「その呼び方何なんだよ。俺は闇でも何でもねえよ。これがデフォだ」
「いやいやいや、前の兄さん、もっと優しかったって絶対! もっと、優男だったもん! これは6年くらい目を離してしまった由香の責任もありますね......」
唇を噛みながらそんなことを宣うアンドロイド娘。彼女の話し方は明らかに『暁由香』だ。昨日、突如、目覚めた彼女は自殺を試みる朱音に食い下がり続け、朱音の自殺を思い留まらせた。そして、一旦、解散ということにして皆を帰らせ、疲れたので三人で寝ることを俺達に提案してきたのだ。
そのため、俺はコイツについて何も理解していない。ついでに言えば、朱音に荒らされた家の修理も済んでいない。
ガラスだけは片付けたが。
「......そろそろ、話せよ。お前の状況を」
「由香って呼んでくれよ其処は。私、紛れもないアンタの妹ぞ。まさか、兄さん、この期に及んで信じてないとか無いよね? 流石に目の前に居るのが、自分の一人妹かそうじゃないかくらい分かるよね?」
思い出した。唯一の妹と両親を亡くしたショックで忘れていたが、コイツ、普通に面倒臭い奴だったな。
「ステラ、コイツどうにかしてくれ」
「妹さん相手にタジタジのあなた、面白いね......」
駄目だ。周りには敵しかいない。
「あー、めんどくせぇ。由香、お前の現状について教えろ。どうして急に蘇ったんだ」
頭を掻きながらそう言うと、由香は『オッケー話すね』と言って、話を始めた。
「えーまずですね、私、うっすらだけど『マクスウェル・ラプラス時代』の記憶もあるんだよね。あ、便宜上、第二のマクスウェルは兄貴の命名リスペクトでラプラスと呼ばせて貰います。多分、蘇ったのは朱音さんの蛇に取り込まれて眠っていた私の魂が覚醒したのと、ラプラスがそれを受け入れたから、かな」
『ほら、朱音さんって私の魂を覚醒させることで私の記憶を戻そうとしてたじゃん。あの力が蛇の中では強かったのかなと』と、由香は補足を入れる。
「じゃあ、何だ。俺がマクスウェルやラプラスとしてた会話の内容も覚えてるって訳か」
「うっすらだけどね。あ、マクスウェルの擬似魅了で兄さんがメッロメロになってたのはしっかり覚えてるよ」
「......クソが」
「逆にマクスウェル・ラプラスはあまりステラさんと接触してないから、ステラさんについての情報が無いんだよね。あ、暁由香と申します。何時も、兄がお世話になってます。不出来な兄ですがペットでも何にでもして頂いて構わないので、どうぞ、仲良くしてあげて下さい」
由香はステラの方に向き直ると礼儀正しく頭を下げた。
「......ステラ・フォン・フォーサイスよ。ごめんなさい。貴方の兄に乱暴ばかりしているわ」
「いえいえ、全然、良いんですよ! 殺し以外なら何でもやっちゃって下さい。それがサキュバスさんの本懐でもあると思うので!」
「......ねえ、私が言うのも何だけど、妹さん、変じゃない?」
ステラが若干、引き気味に俺の耳元でそう言った。
「安心しろ。前からだ」
そんな彼女に俺はそう耳打ちをする。
「......ふうん」
「あの、後、ステラと兄さんさんに一つ質問なんですけど」
「ん?」
「何?」
「兄とステラさん、冗談抜きでどういう御関係ですか? 何キッカケで知り合ったとか、全然、分からないものですから......」
「俺が店長の店で買った魔法陣を使ったら自殺を試みてたコイツが出てきた。俺も自殺願望があったから殺してくれって頼んだけど、そうはしてくれなくて何か色々あって今に至る」
その『色々』の中には一言で言い表せないような事件がたくさん含まれているので追々、話すことにしよう。
「私達の関係は、そうだね。まあ、人間で言うところの同棲中の恋人に近いんじゃないかな」
「何言ってんだテメエ」
「何でも脊髄反射でキレないで。外から見た時の話。同棲していて、家事の分担もしていて、よく同じベッドで寝てるんだよ。それくらいしか言葉が見つからない。実際は私が精気を吸い、あなたは私に精気を捧げるという明確な上下関係が存在しているし、二人とも互いに恋愛感情は無いけどね」
『恋人』という表現に噛みついてしまったが、ステラのその言葉は割と如実に俺達の関係を言い表していた。
「んー、成る程。つまり、お二人は恋人ということで」
「お前はコイツの話の何を聞いていたんだ」
「それだけは絶対に無い。淫魔と人間の恋愛なんて、本当にロクでもないものよ」
「というと?」
「淫魔と人間の恋が今までの歴史上、無かった訳ではないんだけどね。下等生物であり、餌でしかない人間に恋をするような頭の可笑しい淫魔と、淫魔の容姿に魅了されたのか何なのか、淫魔に心を奪われた人間がくっ付くことは少なくない」
『でも』とステラは言う。
「淫魔と人では寿命が全然違う。死にかけの老齢淫魔なら兎も角、ほぼ確実に淫魔は人間を看取り、それから何百年も生きていかないといけない」
「あー、ラノベとかでよくあるエルフと人間の恋的な奴ですか」
「まあ、そういうこと。それに淫魔と人間では価値観も、倫理観も何もかもが違う。特に面倒臭いのは一見、人間と近いような感覚を持っていて、ある程度の常識を兼ね備えた淫魔ね」
「お前のことじゃねえか」
「気付いた? その通りよ。私みたいにある程度、人間界での生き方を心得ている淫魔に対して人間は『この淫魔なら人間とそう変わらないだろう』と思って近付く。でも、それは表面上だけで根底ではやはり、淫魔の倫理・価値観は人のそれとは大きく異なっている。......あなたも、覚えがあるんじゃない?」
確かにそうだ。ステラは一般的に想像出来る淫魔と違い、非常に常識的で、フィーネのように価値観や行動がぶっ壊れている訳ではない。
かと言って、ステラが人間と完全に同じような感覚の持ち主かと言われればそれは違う。彼女と生活していると、要所要所で彼女の異常さ、というか、淫魔としての本質が垣間見えることがある。
それでも、俺はそういうところを含めて彼女を......いや、言うまい。
「それに貞操観念も淫魔は低いからね。結婚した相手を放って他の男から精気吸って、それが破局の原因になったり。後、喧嘩しても男側は絶対に勝てないから自然と淫魔優位になって、男側が後悔したり。明るい未来は絶対に無いよ」
『まあ、私とあなたの場合、貞操観念と上下関係はクリアしてそうな気がするけど......』とステラは溢す。
「成る程です。まあ、兄さんは頑張りな」
「どういう意味だよそれ」
それから俺達は軽くリビングを片付け、ステラに朝食を作ってもらって食べた。すると、ご馳走様を言うなり由香は立ち上がって
「突然で悪いけど、私、ちょっと用事あるからマクスウェル宅に帰ってるね。兄妹水入らずの時間はまた取ろ」
と言い、そそくさと家を出て行ってしまった。
「変な妹だろ」
「あなたと真反対なのは確かだね」




