第三十話 失血
『災厄』、また新出の用語だ。悪魔ではないらしいが、だったら何なのだろう。
「けほっけほっ......コンクリの粉吸い込んじまったじゃねえか。テメエもフィーネと同じクチか?」
銀髪少女はコクリと頷いた。一応、対話の意思はあるらしい。大剣二本をこっちに突き出してきてはいるが。
「名前は?」
「無い」
「じゃあ、周りからは何て呼ばれてる?」
「災厄」
だから、その用語まだ習ってないんだよ。
「ねえ、私の方からも質問良いかな......?」
相当、焦っているのだろう。ステラの声は震えていた。しかし、必死にそれを隠している。
「何」
「あなたのターゲットに、この人間は含まれていないよね......?」
「うん。でも、ちょっと、欲しい。サキュバスと、仲良くしてる人間の魂」
無邪気に、優しく、可愛らしい声でそんなことを言う災厄。確かにこれは災厄だ。
「......向こうの一番の狙いは私、それは変わらない。早く逃げて」
ステラは低い声でそう言うと翼を大きく広げ、自殺に使おうとしていたあのナイフを片手に持ち、災厄へと突撃した。
「......まだ戦いたくない。私の質問にも答えて。答えたら、其処の人間は逃してあげる」
ステラの攻撃を易々と回避し、災厄は不満そうにそう言った。ステラは呆気に取られながらも、頷く。
「約束は守ってね」
「うん。じゃあ、質問。『何時も戦闘状態の二つのカタカナってなーんだ』」
「「は?」」
俺とステラの声が重なる。当然だ。彼女の質問は質問というより......。
「なぞなぞか? それ」
「うん。私も答え、分からない。教えて」
「災厄サマのすることがなぞなぞかよ。お前、分かるか?」
俺は顎に手を当てて、本気で答えを考えているステラに聞いた。すると、彼女は『ちょっと待ってね』と言うと、スマホで誰かに電話を掛け始めた。
「あ、マクスウェル? 何時も戦闘状態のカタカナ二つって分かる......? あ、うん。ありがとう。......『バ』と『ル』。バトルだから」
「あ、正解。良いよ、君、逃げて」
盛大な不正が見えていたし、聞こえていたが、災厄サマ的にはオーケーらしく、彼女は俺にそう言ってきた。
これは、素直に逃げた方が良いのだろうか。実際、俺が居たところで戦力にはならないし、足手纏いかもしれない。......それは分かっている。分かっているのだが、此処で逃げたら何だか一生、後悔しそうな気がする。
というか、マクスウェルと言えば......。
「分かった。ありがとう。じゃあ、逃げさせて貰うわ」
「うん」
俺は安心した様子のステラを横目に、其処から立ち去る......フリをして、突如、災厄に切り掛かった。武器はこの前、マクスウェルに貰った、高圧電流のオプション付きソード。
マクスウェルは向こうの世界の奴から自分とステラを守る為にこの武器をくれた。きっと、何か凄い力が......。
「折れた」
災厄がポツリと呟く。
「ウッソだろオイ! コラ! マクスウェルうっ! 聞いてねえぞ!」
マクスウェルソードはいとも容易く、ポッキリと、彼女の大剣に弾かれて折れた。俺の腕が悪かったのかもしれないが、だとしてもこれは無いだろ。これは。
奇しくもマクスウェルのお陰で逃げるチャンスを与えられ、マクスウェルのせいでそのチャンスを失ってしまった俺は引き攣った笑みを浮かべることしか出来なかった。まあ、半分くらい俺も悪いのだが。
「......あなた」
ステラが無表情ながら物凄い軽蔑と怒りの視線を此方に送ってくる。まあ、これで俺は完全に逃げられなくなった。死ぬならば、ステラと一緒に死のう。
「君も戦うの? 分かった。君の魂も、私の中に入れてあげる」
そう言うと災厄は俺に向かって距離を詰めてきた。速い。駄目だ。大剣で首を刎ねられる。
「させないっ!」
ステラが厄災の前に立ちはだかり、紫で半透明の壁を貼った。魔法で作った防御壁のようなものだろう。
「......やっぱり、より欲しい方から殺す」
厄災はステラの防御壁を軽々と蹴り破り、そう言った。まるで、ガラスのようにその壁は砕け散って気化するかのように消えてしまう。
そして、次の瞬間、俺の視界は全てが紅に染まった。見えなかった、何も。気付けば、ステラは俺の目の前にはおらず、俺の体にはベッタリと赤い液体が付着していた。
「ステ......ラ?」
歯をガタガタと言わせながら俺は徐に首を回す。痛みは無い。怪我もない。この紅は俺のじゃない。
「これ、やっぱり、無理だな......」
そんな声が遠くから聞こえて来る。俺は目の前に居る厄災に目もくれず、声の方に視線を向けた。其処には体を真っ赤にしながら自動販売機と一緒に倒れているステラの姿があった。どうやら、自動販売機の方に投げ飛ばされるか、蹴り飛ばされるか、何かされたらしい。
叫んでも何にもならないのに、俺は彼女の名前を叫んでいた。悪魔の、淫魔の血も、鉄の匂いがするのか。
「そんなに、あのサキュバスのことが好きなの?」
「......まあな。テメエはなんでそんなにステラに固執するんだ」
「あの子の魂、くすんでいるけど、暖かくて、綺麗だから。私の中に入れたい」
そう話す災厄の言葉から一切、温度を感じないことに俺は気付いた。冷たくも、暖かくもない、無機質な......いや、無機質というのも違う。マクスウェルは無機質な声ではあるが、『無機質』という個性が、温度がある。
しかし、災厄の言葉にはそれすら無かった。『無』だ。形容することも、批評することも出来ない完全に『無』な声をしている。
「そんで、俺の魂をテメエの中に取り込む気か」
「うん。あの子と一緒になれるんだから、君も嬉しい筈」
俺は頭を掻きむしる。駄目だ。話が通じない。恐怖や怒り、焦りも一周、回って何処かへと行ってしまった。
「でもな、生憎テメエにくれてやる魂は......」
「下は洪水、頭は真っ白、これなーんだ」
その時、下半身に猛烈な痛みを感じた。
「は?」
斬られたのだろう。慌てて視線を下に移すと、太腿の当たりが抉れていた。
「正解は今の君」
「ぎっ......ぐうっ、あああああっ!」
俺は後からやってきた猛烈な痛みと、絶望感に頭が支配され、悶え苦しんだ。体からどんどん血が流れていくのが分かる。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
「止めて!」
ステラはそう叫ぶが、此方には来ない。実際は見た目以上に致命傷を負わされたのだろう。クイーンサキュバスが出血如きでどうにかなる訳がない。
「痛覚が麻痺したり、気絶したりしないようにしてあげる。人間は直ぐに死ぬから、せめて叫び声くらいは楽しみたい」
「ふっ、クッ、ソ。ぎいっ......はあっ、はあっ。くうっ」
「もっと、叫んで」
そう言って彼女は黒い大剣で俺の腹を軽く切り付けてきた。
「ああああああああああああああっ! うっ、うううっ......」
痛みのあまり、嘔吐してしまった。既に俺の周りはステラの血と自らの血、そして吐瀉物が混ざり合ってグロテスクなことになっている。
死ぬ。死ぬのだ、今から。火事で死ぬ訳でも、自殺で死ぬ訳でも、ステラに喰い殺される訳でもなく、突如、現れた『災厄』と呼ばれる少女に殺され、俺はまもなく死ぬ。
脳裏に浮かぶのは『家族』の顔。両親に由香、ステラ、もう一度、会いたい。いや、向こうに行けば会えるのか。自らの意志と関係のない強制的な嘔吐と、絶叫、啼泣をしながら俺は走馬灯のように蘇る記憶を追った。駄目だ。もう、意識が......。
「公道の破壊に、自動販売機の破壊......血とか吐瀉物で公道汚すのも悪質ですね。今回は誰も居ませんでしたが、出血多量で倒れている人間なんて見たら、普通の人はPTSDになるかもしれない。......そういった配慮をしていない以上、貴方は一般人への不干渉に努めるつもりさえないということになります。そんな存在を私は認めない」
冷たい、というより風鈴の音の様に涼しい声が俺の耳に届く。そして、体中の痛みが忽ち引いていった。
「誰?」
「名乗るほどの者でもありません。貴方も名乗らなくて結構です。早々にこの世界から立ち去りなさい。そうしなければ、排除します」
痛みの引いた体を起こし、声の主の方を見て俺は目を疑った。
「守人。欲しい、その魂」
「その選択肢を取るのですね。良いでしょう。お相手します」
其処にはペスト医の仮面を被った、あの女性が立っていたのだ。
「一つ、お願いなのですが、場所を変えては頂けませんか? 此処でやり合うと一般人に被害が出る恐れがありますので」
「......其処の淫魔と人間も連れて行くなら良い」
「勿論です」
「勝手に決めんなよ!?」
俺はすっかり、血が止まり、痛みの引いた体で女に抗議した。
「私は貴方がたの命よりも、一般人の命を尊重します。それに、死にかけのお二人を治療したのも私ですよ。どうせ、落とす筈だった命です。惜しまないで下さい」
「一般人て......俺は聞いてねえぞ。悪魔を召喚したら保険が効かなくなるなんて。テメエ、何の説明もせずにあの魔法陣渡しやがっただろ」
「説明無しの代わりに特価でお売りしたじゃないですか。ほら、早く行きますよ」
「テメエ......」




