第二十六話 実験
「で? 今から行くつもり? あの子の家」
「何でちょっとピリついてんだよ。早い方が良いだろ」
まだ研修段階ではあるが、一先ず初仕事を終えた俺は帰宅し、椅子に座ってステラに淹れてもらった茶を飲んでいた。少し休憩をしたら、直ぐにマクスウェルの家に向かうつもりである。
「......あなたみたいに愚かで、何の力も無くて、大した代償も差し出せない人間と契約してあげる悪魔なんて私だけだと思ってたから、何だか悔しいだけよ」
「マクスウェル、俺が代償払わせろって言うまで代償は要らないって言ってたもんな。負けてるぞお前。ケチ淫魔」
「今すぐあなたを喰い殺しても構わないんだけど?」
久しぶりに聞いたな、その台詞。
「そろそろ行く」
俺は立ち上がり、玄関へと向かう。
「......もしかして、あなた、私のこと軽んじてる? 舐めてる?」
「じゃあな。良い子でお留守番しとけよ」
「私が何もしないと思ったら大間違いだから」
青筋を浮かべ、此方を睨むステラを無視して俺はガチャリと扉を閉めた。......ヤバい。このままでは夕飯が彼女の唾液入りになる可能性がある。
俺はもう一度、扉を開けた。
「あー、何だ。一応、感謝してる。何時も喰うことなく、俺みたいなのと一緒に居てくれて。ケチ淫魔とか言って悪かった。晩飯楽しみにしてるから」
その言葉を聞いたステラは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、次に頬を少し赤くして目を逸らした。
「......あなた、流石に私を怒らせたままだと何されるか分からない、って扉の外で思い直したでしょ」
「読心術も使えんのかよ」
「はあ......」
呆れたような、軽蔑したような表情を浮かべながら溜息を吐くステラ。しかし、幾らか機嫌は改善したようであった。
「まあ、良いよ。許してあげる。捻くれ者のあなたがお礼を言うことなんて珍しいし」
「捻くれ者じゃねえ」
「どうだか。......マクスウェルの家、私も着いて行くから。早く行こ」
「着いてこなくて良い。家に居とけ」
「マクスウェルは吸血鬼とサキュバスのハーフなんだよ......? 自分の家畜を一人で肉屋に行かせるような真似はしたくない」
「俺とマクスウェルのことを何だと思ってんのか小一時間問い詰めさせろ」
「まあ、あの子からはサキュバスのオーラを感じられなかったんだけどね。何故かは分からないけれど。本当にサキュバスの血、流れているのかな」
「俺も普段のお前からサキュバスのオーラ感じないぞ」
「いや、オーラってそういうのじゃなくてもっと魔力的な......。いや、あなたに言っても分からないか」
「何かムカつくな」
「あなたはどう思う? もっと、私、サキュバス感出した方が良い?」
「今のままで良いんじゃねえの。......少なくとも、すっげえ小さいブラジャーとパンツだけ着けて痴女みたいな格好で生活するのは止めて欲しい」
「貴方のサキュバスのイメージどうなってるのよ。そういう姿にあなたは欲情するの?」
ぶん殴ってやろうか。
「あのな、そもそもお前、自分の容姿を鏡で見たことあるか? 年齢は知らねえが少なくとも容姿はガキなんだよ、お前。俺はガキに欲情するような社会不適合者じゃねえ」
「ふうん......」
俺の心を見透かしたような、何とも言えないジトっとした視線を彼女は俺に向ける。
「何だよその目。言いたいことがあるならはっきり言え」
「何にせよ社会不適合者なのは間違いないなと思って」
「お前に言われたくない。サキュバス社会不適合者」
「......不適合者同士、仲良くしようね」
「史上最悪のコンビ止めろ」
⭐︎
「人間と......ステラ・フォン・フォーサイスですか。ようこそ」
「おう」
「あの、マクスウェル」
「はい」
「フルネームで呼ばれるの気恥ずかしいからステラって呼んでくれないかな」
ステラの言葉を受け、マクスウェルは俯き、暫し、考え込んだ。そして、何度か頷くと口を開いた。
「了解致しました。貴方の呼称をステラ・フォン・フォーサイスからステラへと変更します。どうぞ、二人とも、奥へ」
マクスウェルが住んでいたのはごく普通の小さなアパートだった。しかし、幾つか普通ではないところがある。それは、玄関から奥の部屋までずっとブルーシートが敷かれていることだ。部屋の中にはシンナーのような薬品臭が漂っており、まるで研究室か何かのようだった。
「何か凄え変な匂いするんだが大丈夫なのかこれ」
「人体に害は無いのでご安心ください。もし、不快でしたらマスクをお渡ししますが」
「いや、害無いなら良い。早く実験台にしてくれ」
「了解です。では、人間、此方の椅子にお座り下さい」
俺が座るように指示されたのは広いリビングにポツンと一つだけ置かれている安楽椅子だった。心臓の鼓動が速くなるのを感じる。まるでドラマで見たことのある死刑執行用の電気椅子の様で非常に不気味だった。
「殺されねえよな? これ」
「身体に害は与えぬことをお約束致します。精神は別ですが」
は?
「マクスウェル、貴方......」
「契約は契約です。交わした契約は必ず履行して頂きます。もし、不履行を宣言するというのであれば構いませんが、その場合は強いペナルティを受けて頂きます」
冷徹にそう言い放つマクスウェル。彼女がどんな目をしているかは、相変わらずゴーグルのせいで分からない。
「お前には恩がある。恩は返す」
俺はそう言ってその安楽椅子に座った。特に体に変化は無い。
「それでは実験を開始します。直ぐに終わりますのでステラは其処で暫しお待ち下さい」
「ちょ、おい、せめて、実験の内容くらい説明してくれよ」
今から自分の身に何が起きるのか、それが分からないまま実験台にされるなんてあまりにも恐ろし過ぎる。
「では、簡潔に今回の実験についてご説明致します。前提として、私にはサキュバスの血は流れているもののステラやフィーネのような『魅了』は使えません。吸血鬼の血を強く受け継いだのが原因でしょう」
ステラが先程、言ってた『マクスウェルからはサキュバスのオーラが感じられない』って奴か、と納得しながら俺は相槌を打った。
「私は思いました。『科学技術で魅了を再現出来ないだろうか』と。今日、貴方に試させて頂くのは『擬似魅了』のプロトタイプです。恐らく、サキュバスの魅了とは異なるのでフィーネの魅了を跳ね除けた貴方にも効果はあるでしょう」
「聞いてる限り、そんな危険じゃなさそうだが?」
「実際、安全第一に努めて開発をしておりますので。ただ、動物実験はまだなので確実に安全とは言い切れません。先程の発言はそれを考慮してのものです」
治験、みたいなものだろうか。安全第一に努めて開発されたものを試すだけで良いのなら、やはり、マクスウェルは非常に破格の値段で力を貸してくれたことになる。
「分かった。じゃあ早いところその擬似魅了とやらを掛けてくれ」
マクスウェルはコクリと頷くと、椅子に座っている俺に顔を近付けた。そして、ゆっくりとゴーグルを外し、目を露出させる。
「私の右目......貴方から見て左目を見つめて下さい」
俺は黙って彼女の言う通りにする。すると、不思議と体が熱くなってきた。掛かるの早いな。風邪をひいた時の様に頭がボーッとする。
「体温の上昇を確認。37.8℃ですか。人間、体調は?」
「頭に靄が掛かってるみたい。体が怠い。ワクチン接種後の副反応みたいな感じ」
「成る程......」
興味深そうに俺を観察するマクスウェル。ヤバい。マクスウェルが物凄く魅力的に見える。
「マクスウェル、何か、その、ヤバイんだが」
「構いません。どうぞ、欲動のままに」
軽く笑みを浮かべながら腕を広げるマクスウェル。俺は彼女の体に飛びついた。
「あなた、負けるの早過ぎない? 私の魅了にも抗った癖に」
「サキュバスの魅了と私の擬似魅了は本質的には全く異なります。サキュバスの魅了が本当の意味で対象の心を奪い、虜にするのに対して擬似魅了はただ、対象に暗示を掛けているだけですので。即効性はありますが、応用性はまだまだ......」
「暖かい」
マクスウェルの胸部ユニットはステラと同じく薄型ではあるが、とても暖かかった。恐らくこれも擬似魅了のせいなのだろう。
懐かしい匂いが彼女からする気がする。
「あなた」
「・・・・」
ステラが俺のことを呼ぶ。しかし、俺はマクスウェルから離れられなかった。
「暁楓」
「......んだよ」
「無様だね」
「お前のせいだからな。マクスウェルと契約しないといけなくなったのは」
結局、それから十分程の間、マクスウェルのデータ収集に俺は付き合った。後遺症などは特に無く、マクスウェルの目をもう一度見れば直ぐに魅了は解除された。
......サキュバスの魅了より便利な気がするのは気のせいだろうか。
「今日はありがとうございました。土産に此方をどうぞ」
そう言って、玄関でマクスウェルが俺に渡してきたのは団子の串程の長さと細さの鉄の棒であった。
「何だこれ」
「握って念じて頂ければ、その棒は人間でも扱えるように軽量化された剣になります。更に高圧電流を流すオプション付きです。ああ、機械である私は高圧電流を流されたらショートして即死しますので、くれぐれも私には使わないようにお願いします。......自衛のため、あなたの『家族』を守るため、役立てて頂けると幸いです」
「使う日が来ないことを祈る......」
幾ら軽量化されているとは言え、そもそも、俺には剣術の心得など一切ないのだから。




