第二話 捕食
夢を見た。懐かしい、暖かい夢だった。内容は覚えていないが、思わず泣きそうになる程、幸せな夢だったのを覚えている。
体をよじった。まだ、目を開けたくない。もう少し、寝ていたい。この柔らかなベッドの感触を感じていたい。何せ、ベッドで寝るのも数日ぶりだ。
......柔らかなベッドの感触? 俺は昨日、山の中で寝落ちした筈だ。アレも夢だったのだろうか。だとしたらかなり辛い夢だったことになるが。
「んうううううう」
徐にベッドから起き上がると勢いよく伸びをした。程よい反発力のあるマットレス、柔らかな布団、そしてベッド以外に何もない空間、紛れもなく俺の寝室である。
「......起きたんだ。おはよう」
俺が首を捻りながら唸っていると、そんな言葉が聞こえてきた。部屋中を見回す。すると、寝室の入り口に見知らぬ少女が立っていた。
「おは......よう?」
俺は無数の疑問符を頭上に浮かしながら、そう返答した。少女の姿は何とも奇抜。髪型は腰に届く程長いツインテールでオマケに髪色は濃い紫。極め付けには、右目が髪で隠れている。この寒い冬に肩と鎖骨が露出したブラウンの服を着ているのも謎だ。
しかも、まるでアニメの世界から飛び出してきたかのような髪型に気を取られて気づかなかったが、頭には控えめにツノが生えている。丸っこいので一瞬、猫耳と間違えかけた。そして、よくよく見れば手には黒い手袋を装着している。
視覚からの情報量、多過ぎだろ。
「珍しいのは分かるけど、容姿の観察はそろそろ切り上げてくれる?」
「悪い。マジで物珍しくてな。......お前、アレか。昨日、俺が召喚した悪魔か」
「ええ。というか、あなたの見た目もかなり物珍しいわよ。目つき悪いし。顔色悪いし。スラム街出身?」
「違うわ!? ざけんな。てか、お前の名前、聞いてねえな」
目が覚めるにつれてどんどん記憶が戻ってきた。確か昨日、ペスト医の仮面を被った女から買い取った麻紐で悪魔を召喚したんだったか。昨日は暗くて見えなかったが、こんな面してやがったのか。かなりの美形だ。
てか、昨日の晩飯を思い出す感覚で悪魔を召喚したことを思い出すの相当、ヤバいな。
「......真名をそう簡単に明かす訳ないでしょ。暁楓」
不機嫌そう、というか心底、呆れ返った様子で彼女はそう言う。そう言えば、昨日、名乗ったら『何の代償も無く本名を明かすなんて愚か過ぎ』って言われた覚えがある。
悪魔はともかく、人間の名前なんて幾らでも調べられると思うが。
「チッ、完璧に覚えやがって。俺も教えたんだから悪魔様も教えてくれて良いんじゃねえのか?」
「どうしてわざわざ、自分に不利になるようなことをしなくてはならないの」
「でも、自殺しようとしてたんだろ? どうせ、死ぬなら名乗っても名乗らなくても同じだろうが」
「自殺しようとしていたのはあなたも同じじゃない。これから死ぬのだから、私の名前を知っても知らなくても同じでしょ」
確かに。
「じゃあ、二つだけ聞かせろ」
「質問の内容によるけど」
本来なら森の中で寝ている筈の俺が自宅のベッドで寝ていたのは、この悪魔が俺を運んできたのが原因だろう。それは分かったが、とすると、また疑問が生まれる。
「どうして、俺を家に運んできた。というか、どうやって俺の家の位置を知った?」
「運んだ理由はただの親切心。一応、あなたは私にとって召喚者にあたるから。魔法陣を投げ捨てたり、本名を軽率に名乗ったり、契約の代償を持ってなかったり、契約の交渉中に寝たり、どう考えてもその資格は無かったけど......」
好き勝手言いやがって。
「俺の家の位置を知った方法は?」
「あなた、私の前で爆睡してたからね......。夢の中に潜り込んで、夢の中のあなたに聞いたわ」
「何そのトリッキーな住所特定」
「私、これでも夢魔、サキュバスだから」
「サキュバスう?」
突然のカミングアウトに驚いた俺はそう叫んだ。サキュバスってあれか? 日本人に見つかった結果、それはもうありとあらゆる方面からの需要により魔改造されて日本のオタクカルチャーの主にエロい方の代表にまで上り詰めたあの悪魔か?
「こんな見た目だから驚くのも無理ないかもね。サキュバスにしては地味だし」
彼女は自嘲気味にそう言った。
「真冬に肩出し鎖骨出し服は十分奇抜だけどな」
「あっちの世界では夏だったの」
ムッとした様子でそう反論するサキュバス。あっちの世界とはどっちの世界なのだろうか。
「あー、何だ。日本ではダウナー系貧乳サキュバスも全然、需要が無いことはねえ。あんま気にすんな」
今でこそ、やる暇すら無くなったが、もう少し休暇があった頃はストレスをエロゲやギャルゲーで発散することもあったため、俺はコアなオタク文化についての造詣がかなり深い。
「変な同情は止めて」
サキュバスは溜息を吐き、苛立った様子でそう言った。
「それよりお前、自殺は?」
「......召喚された悪魔は契約を交わすか、召喚者を殺さない限り、自死を選べないようになっているの。あなたは?」
「俺なあ、俺は何か死ぬ気が失せた。久しぶりにぐっすり眠ったから正気に戻ったのかも知れねえ」
依然として仕事のことを考えると寒気がするし、現実から逃げたい気持ちも変わってはいないが、だからといって死ぬかと聞かれると、首を振りたくなる。楽に死ねるなら死にたいが、痛みに耐えてまで死ぬ勇気は完全に消え失せた。
「ああ......あなた、死んだんじゃないか疑うくらい寝てたもんね。もう夕方の7時よ」
「マジで」
昨日、寝たのが24時として、俺、19時間も寝てたのか。19時間も睡眠時間を欲している体で仕事をしていたら、そりゃあ、精神状態もおかしくなる筈だ。
「......ずっと、うなされてたから良い夢を見られるようにアプローチしてあげてたんだからね、私。一応」
「何だそれ。それこそ、お前にとってメリットの無い行為じゃねえか」
あの妙に懐かしく、温かい夢はコイツが見せてたのか。
「あまりにも酷い悪夢を見てたから仕方なくね。とてもじゃないけど、夢魔として、見てられなかった」
「名前一つ名乗るのも渋るお前がどうにかしてやろうと思う夢って、どんな夢だよそれ」
「聞かない方が良いよ、多分」
「おい待て。どうして目を逸らす。気になるんだが」
俺はサキュバスの肩を掴んで揺らすが、彼女は目を逸らして口を噤むばかりで答えようとはしない。
畜生、一体、どんな夢見てたんだ俺。
「つーか、もしかして、寝てから自棄に精神が安定してるの、お前が夢をいじってくれたお陰か?」
「......どうだろうね。私は、あなたが出来るだけリラックス出来るような夢を見られるように手助けしてただけだから」
スッと顔を逸らしながらそう言うサキュバス。初めてあった時は喰い殺すとか物騒なことを言っていたが、意外とコイツ優しいな。
「で? お前は俺を殺すか俺と契約をしないと自死出来ないんだっけか」
「うん。死ぬ気が無くなったのなら、なるべく代償が少なくて済む契約をさっさと交わして欲しいんだけど。肩揉みとか」
そんなんでも良いのか。
「需要ねえよ。悪魔の肩揉み。嫌ではないが」
「じゃあ、もうそれで良いでしょ。肩揉み程度なら代償は寿命一時間とかで良いから」
「いや、敢えて俺は契約をしない選択肢を取らせて貰う」
「......は?」
サキュバスはギロリと赤い目で俺を睨み、今まで彼女の後ろに隠れていたらしい黒色の尻尾を此方へと向けてきた。
「死ぬなら俺を殺してから死んでくれ。俺は殺されても良いし」
サキュバスのドリームセラピーによって、死への欲動はある程度収まったが、それでもまだまだ現実は辛い。コイツに殺されるなら悔いは無い。
「......そう。なら、ごめん。殺すね。言っておくけど、安らかには殺せないよ」
そう言うとサキュバスは俺の方へ尻尾を伸ばしてくる。そして、仕組みは分からないが、尻尾の先は巨大化し、裂けて口のような形になった。まるで丸呑みしてくるタイプの触手のようだ。
......待て。もしかしなくても俺、アレで丸呑みされるのでは。嘘だろオイ。流石にその死に方は嫌なんだが。
「っ......」
目を瞑り、彼女の尻尾に捕食される『その時』を俺はジッと待った。確実に尻尾は俺へと近付いてきている。アレに食べられたらどうなるのだろう。出来ることなら頸椎ごと一撃で噛み砕いて欲しい。ゆっくり酸で溶かされるとかだったら絶望である。
そんなことを考えながら固まっていると、大きな溜息が聞こえてきた。
「......呆れた。おぞましい方法で殺されるのを分かっていながら、抵抗すらしないなんて」
「・・・・」
軽蔑の混じった彼女の言葉にも俺は反応せず、ジッと待つ。
「目、開けて。もう食べないから」
すると、彼女の口からそんな言葉が飛び出した。
「あ?」
言われた通り、目を開けると巨大な捕食器官は可愛らしい尻尾に戻ってプラプラと揺れていた。
「私の自殺のために、あなたを殺す気にはなれない。第一、あなた、不味そうだし」
「じゃあ......?」
「こっちの世界にも、あなたにも興味があるし、もう少しだけ、契約の交渉期間を伸ばしてあげる。それまでにあなたは何を契約するかでも考えておいて」
彼女は笑顔とはまた違う、何処となく満足げな表情を浮かべてそう言った。その表情が何とも可愛く、美しく、何処となく妖艶で、彼女のサキュバスとしての片鱗が見えた気がした。
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