第百三話 無力
どれくらいの時間が、経っただろうか。彼が居なくなってから。時計の長針は朝の7時を示している。夜は既に明けてしまった。
マクスウェルも、ラプラスも、朱音さんも、フィーネさんも、ステラさんも、ロッテさんも......皆、皆、必死に彼を探してくれている。そんな中、私は一体、何をしているのだろう。
『もしかしたら、人間が帰ってくるかもしれません。貴方は、家で彼を待っていてあげて下さい』
その言葉が彼女なりの気遣いであると、私が理解していることを彼女も知っていただろう。空をヒーローのように飛び回れる彼らに対して、ほんの少しの吸血鬼の血と生命活動を維持するための機械パーツを持っているだけの私はあまりにも非力。はっきり言って捜索の邪魔だ。
彼に残された唯一の肉親である私が、私に残された唯一の肉親である彼の力になれない......そのことが、嫌で、嫌で、仕方がなかった。私は夜も寝ずに彼の帰りを待ち続けた。しかし、彼女らからは電話の一つもない。
「兄さん......私は、戻ってきたよ。それなのに、今度は兄さんが居なくなっちゃうの......?」
自己嫌悪と激しい恐怖に体を震わせながらそう呟いたときだった。家のインターファンが鳴ったのは。
「今、行きます!」
僅かな期待を静かに膨らませながら、私はドタドタと走って玄関へ向かう。しかしながら、当然、扉の向こうに居たのは私の兄などではなかった。
「え、えと、暁楓さんの、妹さん、ですよね?」
玄関の向こうに立っていたのは私と同じくらいの身長の少年であった。髪は黒く、短髪で、武器を携帯している訳ではない、至って普通の人間に見える。
「えっと、確かキミは星加千隼君?」
「は、はい。ナコの......災厄のパートナーみたいな、感じです。暁さんには色々とお世話になってて......」
「それで?」
「あの、暁さん、行方不明なんですよね? ステラさんから聞きました。その、僕の方も実は、ナコが、災厄が行方不明で......。この家に来たら、何か分かるかなって」
オドオドした様子でそう語る千隼。つまり、私も彼も大切な人が行方不明という点では同じ訳だ。ついでにどちらも、非戦闘員であるという点も。
「ごめんなさい。私も、何も知らなくて。......でも、兄さんと天使ちゃんと、後、天使ちゃんと敵対してたナコさんが同時に消えたのは、絶対に無関係じゃ、ないと思います......」
私の言葉にそうですか、と肩を落とす千隼。わざわざ、この家まで来て何のヒントも無かったことに落胆しているのだろう。その気持ちは痛い程分かった。
「暁さんの勤め先に、守人さんが居ますよね? 魔女の」
お互い、落胆した雰囲気を出しながら黙っていると、突如、千隼がそう切り出した。
「あ、うん。十さんでしたっけ。兄さんがステラさんを召喚する為の魔法陣を買ったのもあの人からだとか......」
「僕、此処に来る前にその守人さんに協力してもらおうと思って、行ってきたんです。でも、何故か守人さん、何かあの、ボーっとしちゃってて......」
「ボーっと?」
「はい。鬱みたいにこう、心此処にあらず、みたいな感じで。だから、お話出来ませんでした。平沢さんが付きっきりで様子を見てらっしゃったんですけど......」
守人である十さんが放心状態になってしまったことも、きっと、一連の騒動と関連があるはず。もし、十さんが無力化されることで得をする人物が居るなら......。
「千隼君」
「は、はい!」
「兄さんとナコさん、後、天使ちゃんの三人を攫った黒幕が居るとは考えにくいです。状況証拠ですけど、此処はやはり、ナコさんが以前から警戒していた天使ちゃんが黒幕ではないかと、由香は思います」
グルグルに回る頭を整理しながら私は口を動かす。私はアニメや、漫画のキャラ達の真似っこのように、この状況を解決する為の推理を必死にした。
「......災厄は、あの天使は嫌な魂を持っている、と。言っておりました」
「私、実は先程から気になっていることがありまして」
気付いていないフリをしていた、仮にそうであっても、私には何も出来ないからと目を逸らしていた、スマホの液晶に映った地図を私は彼に見せた。
東京の某所の地図の上に、青い点と水色の点が示されている。
「コレ、マクスウェルとラプラスの現在の位置状況なんですけど、おかしくないですか? 兄さんを探すなら、散らばって広範囲を飛び回った方が良い筈なのに、もう、何時間も同じところに二人で固まっているんです」
「......何か、異常自体が起きているということですか」
彼の言葉にコクリと私は頷く。それが分かったところで、何になるのか。私も、千隼も、何の力も無い。せめて、救援を......とは思うが、優秀なマクスウェルとラプラスのことだ。既にステラさん達を集めているだろう。
何か、私に出来ること。私に出来ることはないか。私の命に代えても、彼の命を、救いたい。
「......千隼君、キミは此処で兄さんの帰りを待っていてください。由香は今から、お出かけしてきます」
「ま、待ってください! 行く気ですか!? 無理ですよ! 由香さんも、僕と同じ普通の人間なんですよね!?」
「いいえ」
「......へ?」
「暁家の人間は楓を除いて、本来、全員、火事で焼死してたんです。私が生きているのは、昔、フィーネさんの気まぐれで吸血鬼にされたから。それに、一部、アンドロイドにも改造されてます。千隼君よりは、戦えますよ」
そう言って、外に出ようとした時だった。
「嘘ですよね」
そう、千隼か言ってきた。
「何故?」
「由香さんが吸血鬼なのも、アンドロイドなのも、確かに本当なんでしょうけど......貴方の身体、震えているじゃないですか」
「......あ、ホントだ」
確かに唇から腕、足に至るまで全ての部位がガタガタと震えていた。
「足手纏いにならないという、確信はあるんですか」
「......ある。というか、心当たりがあります。当たりが外れたら、現地には行きませんよ」
「なら、僕も連れて行ってください。ナコと暁さんを救うために、何か出来るなら、僕もしたい」
「......危険だから連れて行けない、と断ったら」
「無理矢理にでも付いて行きます」
「......はあ、仕方ないですね! 分かりました! 向かう先はウチのバカ兄の職場です! 早く行きますよ!」
私は千隼を連れて走り出した。
⭐︎
「平沢さん! こんにちは!」
「ご、ご無沙汰してます」
私達が訪れたのは兄の勤め先、『魔女の誘い』。この地域一帯を守護する守人の十理央が経営しているパン屋である。今までの千隼との会話と、前に兄が教えてくれた情報から、現状を打破するヒントが此処にあると私は踏んだ。
「な、何や千隼君、また来たんか。十は見ての通り、変わりないで。そっちは......えー、暁の妹とやったっけ」
兄の親友、平沢悠生。彼は店の奥の部屋、従業員の休憩室のような場所で椅子に座っていた。その横には仰向けで寝ている十理央の姿がある。
「はい。暁由香です。兄と災厄さんが行方不明なのはご存知で?」
「あ、ああ......知ってる。ワイも力になりたいんやけど、ただの人間のワイやと出来ることはほぼ無いし、何より十がこんな状態やからな......」
「兄と災厄さんの行方不明、そして、十さんの放心状態......その全ての黒幕が居るかもしれないんです。そのために、平沢さんに力を貸して欲しい」
「そ、そりゃ、何らかの関連性はあると思ってたけど、黒幕? それにワイに貸せる力なんて......」
「ごめんなさい。時間がないので詳しい説明をしてる暇はないんです。私を信じてくれるなら、十さんが副業で経営しているマジックアイテムショップに、連れて行ってくれませんか」
動揺と困惑の表情を浮かべる平沢さんに私はそう畳み掛ける。兄がステラさんを召喚するにあたり、用いたという魔法陣、それを購入した場所。其処に行けば、まだ魔法陣が残っているかもしれない。その魔法陣で悪魔を召喚して、私の命を対価に契約を......。
「え、ええ!? いや、アソコは危険なものが多いから入るなって十に......」
「親友なんですよね、兄と。大切なんですよね、十さんが」
「ああ......んー、分かった! 分かった! 注意しいや! 付いてき!」
そうして辿り着いた、摩訶不思議なアイテムが並ぶ不思議なお店。紫色の照明が店内を怪しげに照らしているその店はパン屋である魔女の誘いと直結していた。店の中まで付いてこようとしてくれていた平沢さんを、もう戻って良いと帰らせ、私は千隼と二人で店の中の商品を漁った。
「千隼君! あった!? 魔法陣!」
「ま、魔法陣ってどんなのなんですか〜?」
「分かんない! 多分、六芒星とか幾何学模様が描いてある円形のやつ! イメージですけど!」
「ええ〜......」
「無いなあ。兄さんが買ったやつで売り切れだったのかな。あいてっ!?」
私が小指をぶつけたのは如何にも魔女が薬草や薬をしまっていそうなサイドボード。その上には小瓶や壺が沢山、置いてあった。そして、それらにふと、何故か私は興味を持った。
小瓶をよく見てみると、何やら日本語で文字が書かれている。
「吸血鬼の血? ふむ......おああああああああっ! コレだあっ!」
「へ!? 見つかりましたか!?」
「見つかってないけど、良いモノ見つかった! こっちは吸血鬼の爪でー、こっちの壺には吸血鬼の髪......ええい、ままよ! 全部、経口接種じゃ! ゴクコク
むしゃむしゃ......んがあああああ!? 痛い! 頭が! 腕が! 足があっ!?」
「由香さん!? 一体、何して......」
「おえええええっ! いってえ! 背中いってえのコレ! もし、私が暴れ出したら容赦なく葬ってくれて良いですからね!」
「はいいいい!?」
待っていて。次は私が助けるから。