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55 ただいま

 自宅の最寄り駅についてから柾と結城たちはそこで別れる。

 柾と結城は同じ方向らしいが俺は逆方向だからだ。


 もう見慣れた光景。

 一年以上もここで生活しているので流石にどこにどんなものがあるのかはあらかた把握している。

 

 もう既に日は沈み、大きな満月が空に浮かんでいる。

 街中はというと、月末のハロウィンに向けて色々な飾り付けが始まっている。

 コンビニに立ち寄っても、中にはハロウィンを意識した商品が多く立ち並んでいる。

 お祭りごとが好きではない、というかほとんど意識したことも無かったので、そんなハロウィンの事なんかを考えている自分を珍しく思う。


 「今まで考えもしなかったもんなー」


 考えてみれば夏休みの海も、夏祭りも、修学旅行に至るまで、今までだったら特に何か特別な気持ちになったりはしなかった。

 それでも今年は今までとは大きく違っている。

 祈莉と出会ってから本当にいろんなことが変わってきていた。

 海だって今までなら行こうとも思わなかった。祭りだって柾たちに誘われようとなんだかんだと理由を付けて結局行かなかった筈だ。修学旅行だってさっきまでの様に楽しさなんて感じなかったかもしれない。


 祈莉と出会ったことで、少しずつ俺の中で考えが変わっているのが分かる。

 それと同時に、多分祈莉に対する思いも、きっと変わり始めている。


 (でも、やっぱり俺に祈莉は……なぁー)

 自分と祈莉。もはや宇宙と地中並みに違う俺達。

 柾には、それとなく気持ちを伝えた方が良い、みたいなことは言われたがそれでも俺はまだこの関係を壊したくはない。

 俺にとっては、今の関係で十分なのだから。

 祈莉にしても、俺から好意を向けられるのはきっと本意ではない。あの日からなぜか俺の世話を焼いているものの、それでもあの一件が無ければほとんど関係すらなかった筈の相手なのだから。


 「ま、とりあえず早く帰るか」


 体のあちこちが痛い。

 新幹線の中では結構熟睡していたからか、余計に腰も痛い。やはり椅子に座って寝るのは体に良くないらしい。

 今も足は力を抜くとそのまま崩れてしまいそうなほどプルプルしている。さっきから筋肉が微妙に痙攣していたりもする。


 早く帰って風呂に入って今日は疲れを取るためにもさっさと寝た方が良い気がする。

 

 家の前に着き、そのまま玄関の鍵を開けようとする。

 

 「いるか?いや……流石にいないか」


 祈莉はいるのだろうか?そんな事を考えて、そして考えるのをやめる。

 わざわざ俺がいない家にいる筈もない。今日は流石に自分の家に帰っているだろう。

 お土産は明日にでも渡せばいいだろう。


 そんな風に考えて鍵を回し、ドアを引く。

 

 「ただいまー」


 いつも通りの誰もいない家にそう帰宅を告げる。

 そうして靴を脱ごうと下を見ると、そこには見慣れた靴が綺麗に揃えて置いてある。

 

 「あれ?え?」


 するとほどなくしておくからぱたぱたと小走りで走って来る音が聞こえて、そしてやがてその音の主が俺の前に現れる。


 「祈莉?」

 「はい。お帰りなさい、奏汰君。ご飯、出来てますよ」

 「あ、それは、ありがたいんだけど……なんで?」

 「と言いますと?」


 俺のその問いかけに向こうも問を返して。

 

 「いや、だって俺修学旅行だったし」

 「はい知ってますよ?」

 「帰る時間とかも伝えてないぞ?」

 「はい。でも、大体の時間は分かりますし」

 「でも、俺家にまだいなかったし……」

 「はい。でも、帰って来るのならご飯があった方が良いかと思いましたし。それに、奏汰君は目を離すとすぐにご飯を抜いたりするので」

 

 それは確かに一理ある。さっきも、頭の片隅で今日の夕飯はいらないな、なんて考えていた。

 いや、今はそう言う話ではない。

 

 「でも、お前だって暇じゃ……」

 「こういう時の為に鍵を渡してくれたんですよね?」

 

 そう言って俺がこの前渡した合鍵をポケットから取り出して小首をかしげる。


 「ま、まあ、そうだけど……」 

 「私がいて何が不思議なんですか?」

 「いや、でもいないと思って」


 そうだ。確かに考えてみると逆に鍵まで渡していたのだからいても不思議ではないのだ。

 なんでそこでそんなに不思議に思うことがあるのだろうか?


 ……いや、やはり考えてみれば俺からすると、これは不思議な事なのだろう。

 今まで、自分が帰ると誰かが家にいるなんてことは無かったのだ。

 そう、そんなのはとっくの昔から、ずっと。

 だから当たり前の様に祈莉が家にいることに驚いているのだ。


 そういえば、祈莉だって俺が帰る前から家にいたのはこれが初めてなのだ。

 今までは鍵を持っていなかったわけだし、俺より先に家にいることはまずなかったのだ。


 よく見ればいつもとは違い髪は後ろに束ねられて、服の上にはエプロンを付けているのだ。

 これは何も知らない人からすれば夫婦に見えるのだろう。

 (そう考えると、うん。恥ずかしくなってきた。ていうか、髪後ろで束ねても可愛いんだもんな)


 「少し、なんか俺より先に祈莉が家にいるのが新鮮だと思って……」

 「?……そうですか。まあ、私も……」

 「ん?今最後なんて言ったんだ?」

 「いえ、なんでもありません」


 だんだんと小さくなっていくその声は、最後の方になるとほとんど何も聞こえない。

 

 「それに、奏汰君は修学旅行で疲れているんですし、いつもお世話になっているんですからご飯を作ることくらい当然です。それに、勝手に上がっていいからこの鍵を渡してくれたのでしょう?」

 「ま、まあ、はい」

 

 半分は毎日いちいち玄関を開けに行くのが面倒だから、というのもあったりするが、それでも祈莉になら預けても良いだろうという信頼感から渡しているのだ。そこは何も問題ない。


 「では、私がいることに関してのお話はこれで終わりです」

 「あ、はい」

 

 胸の前でパンと手を合わせて話を区切る。


 「それじゃあ、鞄は下ろして、そうですね……先お風呂にしますか?」

 「あ、じゃあ……」


 そこで、そういえば祈莉がエプロンをしていることに気づく。

 きっと今さっき出来たばかりの夕飯がテーブルに並んでいるだろうことを考える。

 せっかく出来立てが食べられるのに、わざわざ風呂に入って時間を置くのはもったいない。


 「いや、先に食べるよ」

 「そうですか?疲れてませんか?」

 「疲れてるけど、出来立ての方が良いだろ。それに、こうやってわざわざ作ってもらったんだし、先に食べなきゃ勿体ないだろ?」

 「わ、分かりました。じゃあ、準備しますね」


 機敏な動きで後ろに振り返る祈莉。振り返りざまに顔を抑えていたが……まあ、いいか?


 「それじゃあ、私は準備してきますね」

 「あ、ちょっと待った」

 「な、なんですか?」


 俺の方を向かないまま立ち止まる。

 たぶん、これを人に言うのは数年ぶり……いや、十数年ぶりかもしれない。


 「ありがとう。あと、ただいま……」


 言っていて少し恥ずかしくなり、最後の方は少し声が小さくなる。

 我ながら本当に何を言ってるのか分からなくなってくる。

 

 が、どうやらその言葉は祈莉には受け入れてもらえたようで、祈莉はもう一度俺の方に振り向く。

 そこには、いつもより尚眩しい笑顔があって、

 

 「お帰りなさい、奏汰君!」


 (これは……やっぱり、俺には高嶺の華過ぎるんだよなー)


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