44 テスト勉強と、ご褒美
テスト期間。
それは恐らく大半の学生にとってはまるで地獄にも等しいであろう魔の期間。
普段は友達や恋人と粋っているであろう陽キャたちですら全力を尽くして事に当たる。
そんな人格すらも一時的ではあるが変えてしまう。それがテスト期間だ。
と、そこまで大仰なものでもないがようやくやってきたテスト期間。
テストまではあと2週間。早い人ならそろそろ勉強を始める頃だろう。
そして俺の目の前には、今日もせっせと机に参考書を広げて勉強する少女、祈莉がいる。
祈莉の場合はそんなに勉強はしなくても良いと思うのだが、毎日予習復習を欠かさない。
そのため祈莉は1学期のテストでは二回とも学年一位を取っている。
なぜそこまで頑張れるのか。それは分からないが、最近では自分も何かした方が良いのでは?と思うようになってきた。
と言う訳で、俺も今日から勉強しようと思う。
他にもやるべきことはあるが、学生の本分は勉強なのでそこは気にしない。
本当ならパソコンを広げるべきなのだろうが、俺は鞄から取り出した教材を机に広げる。
そう、これは一種の逃げだ。
最近ではインスピレーションが湧かないために、こうして逃げるしかないのだ。
今も勉強している祈莉の向かいに座る。
カーペットはあるが、それでも床に座りながらやるのは結構きつい。
「おや、奏汰君も勉強ですか?」
「そろそろテストだしな」
「でも奏汰君はそこまでテストに拘って無かったですよね?」
「それは、まあ、そうだな」
確かに今までの俺はほとんどテスト勉強なんてしてこなかった。
授業を普通に聞いて、分からないところは学校で解決させる。
そうやって楽な方法を取っていた。
おかげで前日勉強だけでテストは済んでいたのだが、それでもこうして毎日目の前で勉強されると自分もしなくてはいけないように思えて来る。
しかも、祈莉の場合は学年一位を取っておきながらもこれなのだ。
そんな祈莉が慢心せず、こうして日々努力をしているのに、何もしないのは気が引けて来る。
「それに、お前が毎日勉強してるのに、お前より出来ないはずの俺がやらないのはおかしいかと思ってさ」
「そうですか。奏汰君も学年一位目指してみますか?」
「いいや、俺はいつもより少し上を目指すよ」
「奏君なら勉強すれば一位も取れると思うんですが?」
少し不思議そうな顔をする祈莉。
だが、別に一位を取りたいわけではない。確かに、取っておけば楽になることがいくつかあるが、それでも一位を取りたいとはあまり思わない。
「一位なんて取ったら周りから注目されるしな」
「いいじゃないですか。奏汰君はもう少し注目されて然るべきです」
「嫌だよ、注目されたらもしかしたら噂の事もバレるかもしれないし」
「それは考えすぎです。でも、上位五位くらいは目指してみては?」
「まあ、そのくらいを目指してみるよ」
俺はそう言って教材を開く。
後はひたすら問題を解いたりしていくだけ。実に単純な作業だ。
途中少し詰まりながらもそれでも特に問題なく問題を解いていく。
授業を聞いているんだ。つまりはそれでテスト勉強もほとんど出来るという事だ。
柾の様に授業中に寝ていたりしなければ特に問題なく出来るレベルの勉強だ。
しばらくして、ようやくひと段落したところで時計を見ると、22時を回っていた。
「祈莉、コーヒー飲むか?」
「はい、お願いします」
「分かった。今日はもう終わりにしよう」
「そうですね。私もひと段落しましたし、そうしましょう」
こんなに集中して勉強したのはいつぶりだったか?
そういえば今まではほとんど集中して勉強なんてしてこなかった。
まず、勉強に対する気力すらなかったからだ。
「不思議なこともあるんだな」
今まではやろうとも思わなかった勉強。
それでも、こうしてやってみるといいものだ。やはりそれもこれも祈莉のおかげだろう。
ここ最近は祈莉のおかげでいろんなものが変わったように思える。
生活も、考えも、優先順位も何もかも。
「感謝、しないとだな」
祈莉と出会ったおかげで俺はこうして変わってこられたんだと思う。
柾や秋葉と出会って、大きく変わった俺の考えが、また祈莉と出会うことで今度は細かい部分が変わっていっている。
そう考えると今までの自分が嘘の様に思えてきて、思わず笑えて来る。
あの何に対しても無気力だった俺が、今ではこうして勉強に集中して取り組めるようになったのだ。
豆をフィルターに入れてお湯を上から注いでいく。
丁寧に、それでいてあまり遅くなり過ぎないように。
淹れ終わったところで祈莉に声をかける。
「祈莉、砂糖いるか?」
「あ、お願いします」
「分かった」
取り敢えず砂糖と、牛乳も一応持っていく。
最近になって祈莉が料理で使ったりするため買ってあるのだ。もちろん本人もホットミルクなどにして飲んでいるのをよく見る。
俺は牛乳を飲むと確実にお腹を下すので飲まないが、見ている分には結構おいしそうに見えるものだ。
「ほい」
「ありがとうございます。いい香りですね」
「ああ。ここに来た時、いい店見つけたからそこで買ってるんだ」
「奏汰君てこういうもの結構好きですよね?服とか無頓着なくせにこういう部分は意外とおしゃれというか」
「おしゃれ?別に俺は美味しいものを食べたり飲んだり出来ればそれでいいんだよ」
どの辺がお洒落なのかはよく分からないが、やはりコーヒーは俺の癒しの一つだ。
カフェインもまあまあ入っているから意外と眠くなりにくい。
とは言っても、それも一時的なものでカフェインの効果が切れれば恐ろしいほどの睡魔に襲われ、そのまま死んだように眠るわけだ。
若い俺たちは大体1~2時間程度でカフェインが切れるらしい。
量や個人差にもよるが、大体コーヒー一杯ならそのくらいだろう。
ちょうど寝る頃には物凄い睡魔に襲われるという事だ。
「結構入れるんだな」
「えっと、そうですね。私あまり苦いものは得意ではないので」
「あ、まさかコーヒー嫌いだったか?」
祈莉は女子なのだから苦いものが苦手でも別に不思議ではない。
なんなら先に聞いておくべきだったか。
「い、いえ。コーヒーの香りは大好きなので、こうしてミルクと砂糖を入れればちゃんと飲めます!」
「それなら良いけど。無理するなよ?」
「いえ。本当に大丈夫です。ありがとうございます」
砂糖をまあまあ入れて、牛乳を注いでいく。
牛乳を注いだおかげでカップは結構なみなみの状態になっている。
が、それを飲んでホッと一息つく様子を見ると、どうやらコーヒー自体は嫌いではないようだ。
そのあとも静かな時間が流れていく。
ふと、祈莉の方を向くと、
「奏汰君、ちょっと、こっちに来てください」
「え?」
自分の横をぽんぽんと叩いて俺にそこに座るように促してくる。
「わ、分かった」
どうするのだろうか?
何か相談事でも?でも、それなら別に向かい合っての方が、
そう思いながら祈莉に言われた通り、その横に座る。
シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。
「奏汰君」
「な、なに?」
「少し寄りかかっても良いですか?」
その言葉に少し押し黙る。
寄りかかるのなら後ろにあるソファにでも寄りかかればいいのでは?
というか、何ならベッドに行けばいいんじゃないのだろうか?
「ま、肩でよければ、俺は良いけど」
「はい。奏汰君の肩が良いんです」
その言葉に心臓が跳ねる。
「そういうのは、心臓に悪い。人には無闇矢鱈にやるなよ?」
「やりません。でも、私は勉強を頑張っているので、このくらいのご褒美はあっても良いと思うんです」
「ご褒美?そう言う事ならもっと他のものでも」
「奏汰君が横にいて、肩を貸してくれる。こんなこと、今までは無かったので、私はこれで満足なんです」
「本当にこれだけで?」
「奏汰君はこれ以上の事は駄目というので、これで良いんです」
満足そうに満面の笑みを浮かべてご満悦な様子の祈莉。
本当にこれでいいのか?と思いながらも本人がそれでいいなら、としばらくそのままでいる。
「奏汰君」
「は、はい」
「今度のテスト、また一位を取れたら、ご褒美をください」
「お、俺にできる事なら」
「ふふっ。私、聞きましたからね?」
「い、祈莉には確かにご褒美は必要だしな」
祈莉は俺の肩に寄りかかったまましばらくそのままでいる。
俺はというと、いい匂いと祈莉の頭がすぐ横にある緊張からあまり動けないでいる。
今までなら特に何も感じなかった筈なのに、最近になってこういうことをされるとつい体が強張ってしまう。
その後、静かな寝息が聞こえてきて、祈莉の顔を覗き込むと穏やかな表情を浮かべながら幸せそうに眠っている。
「全く。無防備過ぎるだろ」
どうしようか迷ったものの、仕方なく祈莉を抱えてベッドに寝かせる。
その寝顔はやはり綺麗で、
「んー……かなた、くん……」
俺の名前を寝言で呼ばれ、一瞬体がビクッと跳ねる。
「ほんと、心臓に悪いから、やめて欲しい……おやすみ」
それだけ言い残し、俺は自室に戻っていく。
祈莉の言っていたご褒美の事を考え、まさかさっきよりも何か危ない事をされるのでは?
と考えながら、俺は覚悟を決める。
「ま、まあ。まだ一位を取れるとは決まったわけじゃ、ないしな。焦るな、焦るな俺」




