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40 後が無くなってしまった

 学校が終わる。

 柾の絡みから逃れて俺は家路を辿っていく。最近では日課になっている祈莉との今日の献立の相談をスマホでしながら家に帰る。

 

 もう夏も終盤。夕焼けは秋の到来をゆっくりと、静かに伝えて来る。

 その日差しも多少は眩しくはあるものの、あの真夏の日差しとは違い、少し暖かく感じる。もう本格的に夏は終わり秋へと向かって行く。

 

 色々あった一学期も終わり、二学期が始まる。 

 祈莉と出会って約5か月だろうか?5月の終わりくらいに出会ったはずだ。

 あれから色々あって、今ではこうしてスマホで献立を相談し合う程の仲になっている。


 今までほとんど誰にも心を開かなかった俺に、いつの間にかここまでの友達が出来るとは思っていなかっただけに少し嬉しくも感じる。


 俺は決定した今日の夕飯を見て、頬を綻ばせながら歩いていく。


 どうやら、今日の夕飯は麻婆豆腐だそうだ。


 ――――――


 家に到着する。

 鍵を開けて中に入る。手を洗いうがいをして、自室に戻って着替えをする。

 そして、下に戻ってはキッチンの冷蔵庫を開いてお茶をコップに注いでいく。

 このお茶も祈莉の好きな少しお高めなお茶になっている。


 もう家の中はいつの間にか祈莉の痕跡で溢れている。

 キッチンも、前までは全然使っていなかったのに、今では生活感が溢れ、そこには食器が積まれている。キッチンだけではなく、至る所に祈莉の存在が刻まれている。


 「いつの間にか凄い浸透してるな。まあ、俺が良いって言ったからだけど」


 このお茶だって、俺は祈莉が来るまではまず、こんな自分で作るお茶なんて飲んでいなかった。いつもコンビニでペットボトルを買って帰って、なくなれば買いだめしてあったペットボトルを使う。洗い物だってほとんどしないからキッチンなんて新品そのものだった。


 まさかここまで変わるとはな。

 なんて感心してると、インターホンが鳴り響いて来客を告げる。

 どうやら祈莉が来たらしい。

 インターホンを確認することなく俺は玄関に向かう。一秒でも待たせるのはなんだか悪い気がしたから。俺はすぐに玄関へ行き、鍵を開け、扉を開く。


 すると外からいつもの祈莉……ではなく、一人の女性が立っていた。

 スーツに、その若々しい美貌。流石20代後半。しかもそこには子供らしさは一切なく、かなりクールで男の俺ですらかっこ良さを覚える、そんなクールビューティな女性が立っていた。


 そして、そこで俺は背筋がピンと伸び、冷や汗をかき始める。

 今まで、祈莉や柾、秋葉と一緒に過ごすあまり忘れかけていた。その俺のやらなければならなかったこと。


 「こ、これは田中さん……こ、こんにちは?」

 「先生。そろそろ、次巻の原稿書きあがってますか?」


 やはり、そろそろ次巻の原稿についての話だった。ここで得意げに「もちろん!俺は仕事が早いので!」とイケボで言ったらさぞかし驚かれるだろう。

 そして、それには今それが出来る。前に書いた一巻分のストック、それがまだ残っているからだ。

 だが、ここで得意げに出来てますと言ってしまえば、俺はその時点で次の逃げ道がなくなる。もう一冊分ストックがあるという安心感から解き放たれ、不安に心を支配されることになる。


 だから、もう少し、あと少しだけ期間を延ばすべきだ。幸い、9月に発売する分はもうこの前渡してあるのだ。これは12月分。つまりあと数か月の猶予は全然あるのだ。

 この間の仕事が早かったためにこうしてやってきたのだろう。

 だが、俺はしっかりと自己保身が出来る男。出来てる物も出来てないと言い張れるし、締め切りだって、伸ばす術はあらかた熟知している。小学校の頃、どうしても出せなかった宿題を俺は最長で半年も出し渋った男だ。大丈夫、俺なら出来る!


 「あ、えーっとですね。俺、まだ一文字も書けてなくて……」

 「……やっぱりですか。いえ、分かってはいたんです。先生がこの前凄い速さで仕上げたのがおかしかったんですよね。そうですよね。私はやっぱり……クリスマスは彼氏と過ごす予定でしたが、そうですね。仕方が無いです。仕事なら……フッフフフフフ……」


 うわ、凄い。なんかどす黒いオーラ見たいのが出てきてるよ?やばいよ?もう凄い申し訳なくなってきた。


 分かった。分かったよ!分かりました!出せばいいんでしょ?出せば!


 「分かりました……はぁー、少し待っててください」


 俺はそう言って自室に戻ると、その原稿を以て玄関へと降りて来る。俺の最後の希望。頼みの綱を、ここで田中さんに手渡す。


 「せ、先生、これは!?」

 「以前、仕事が早かった時、その時もう一つ分仕上げておいたんです。なんか、もう少し粘って、11月くらいになったら渡そうと思ってましたけど、良いです。持って帰ってください……なんか、いつもすみません」


 もうさっきの田中さんの病みっぷりが凄すぎて居たたまれなくなって渡してしまった。

 これで俺は逃げられない。これから数か月はしっかりと仕事に向き合わなければ、次の締め切りに間に合わなくなる。


 「それじゃあ、俺は執筆に移ろうかと、」

 「……」


 あ、絶句してる。そうだろう。だって俺が一度だけでなく二度までも締め切りより遥か前に出来上がらせていたんだから。


 全く、本当に感謝して欲しい。俺の尊い犠牲によって田中さんはクリスマスに恋人と……


 「あ、せ、先生!」

 「それじゃあ、失礼します」


 俺はそう言って扉を閉める。

 それから、俺はとんでもない虚無感に襲われながら執筆作業をする。が、その喪失感は凄まじく、全く手に着かない。


 一つ、それでもこれだけはしっかりと覚えている。今日の麻婆豆腐もとても美味しかった。

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[気になる点] 単純な疑問なのですが小説家ってこれほど締め切りに追われているのでしょうか?週刊誌、月刊誌などに連載している人が締め切りに追われているのは分かるのですがあまり連載ではない小説で締め切りに…
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