38 『理想の後輩』に名前呼びをされ始めました!
ベンチに座る。辺りは暗く、数秒間隔で弾ける花火の光だけがこの真っ暗な広場を照らしている。街灯はあるにはあるが、壊れているのか光はついていない。
隣では祈莉が残りのかき氷を食べ終えて花火を見ては感嘆の声を上げる。初めて下から見上げる花火は今まで見ていた花火とはまた違う風に見えるのだろう。
一人ではなく、隣に誰かがいて、誰かと一緒に花火を見る。聞いたことはないが、きっと彼女は長い事一人でいたのだろう。だからこそこういう物に興奮を隠せないでいる。
その年相応のはしゃぎ様は見ているこっちまで微笑ましく思えて来る。
花火でここまで喜ぶのは幼稚園児ぐらいだと思っていたが、そうでもないらしい。今日はさっきからすっと目を輝かせていろんなものを見ていた祈莉。きっといろんなものが初めてで、こうして誰かと何かを見るというのは新鮮なのだろう。
「花火、綺麗だな」
「はい。いつも見ている花火より、良いものですね」
いつも見る花火。きっと花火自体は変わらない。どこから見ても見え方はほとんど同じ。
でも、きっと祈莉が言いたいのはそう言う事じゃない。
俺も、一人で見る花火を知っているから、祈莉の言葉の意味がよくわかる。
「誰かと見る花火って言うのは、いいもんだろ?」
「一人で見るより何倍も良いものです」
ここに、誰か大切な人、例えば家族なんかがいればもっと綺麗に見えたはずだ。
別に、昔の人みたいな感情論大好き人間てわけじゃない。努力すれば、諦めなければ、心が挫けなければ、どうにかなる。とかいう暑苦しい熱血キャラなわけでもない。
それでも、あの時は本当に綺麗だと感じたから。そして、あの時は何も感じなかったから。
心の浮き沈みで景色はここまで変わるのかと今では関心すらしてしまう。
花火の乾いた音が辺りに響いている。
それ以外には何の音もせず静寂が立ち込める。
と、花火の明かりに目を向けていると、不意に横から声が聞こえる。
「少し、肩を借りても良いですか?」
「好きにしろ」
その言葉の後にゆっくりと祈莉の頭が俺の左肩に乗っかって来る。
その仕草も、何もかもがいちいち可愛い。
(ほんとこいつ心臓に悪いわ。絶対わざとだろ?俺を殺そうとしてんのか?)
フローラルなシャンプーの甘い香りが俺の嗅覚を刺激する。
ここまで女子が至近距離まで接近するのはほとんどないので心臓がバクバクと音を立てて脈打っている。
「先輩、なんか動きがおかしいですよ?」
「女性不信どころか人間不信だからそういったスキンシップは心臓に悪いんだよ」
「人間不信。それって昔に何かあったんですか?」
そう聞かれて少し押し黙る。ここで話していいのか?確かに祈莉とは仲が良くなった。柾や秋葉と同じくらいには仲良くなれていると思っている。
だが、では果たしてこの事を話すことが正しいのか?そんな事を考えてしまう。
「でも……減るもんじゃ、ないし、いいのか?」
話しても特に何かが変わるわけではない。
寧ろ何も変わらないだろう。昔の出来事なんて、話したところで昔に戻れるわけでもない。
なら、このくらいなら。この話ならしてもいいかもしれない。
「俺さ、実は、小学校から中学校までいじめられてたんだ」
「……そう、ですか」
「まあ、いじめって言っても、そんなテンプレないじめじゃない。少し無視とか、爪はじきにされたりとかそう言う少し陰湿ないじめだ」
「薄々そうだろうなとは思ってました」
「ま、そう言う事だ。別に何か特別何かがあるわけじゃない」
「そう言って、また隠しましたよね?」
「鋭いな」
「当たり前です。伊達にほぼ毎日一緒に居るわけじゃありませんから」
毎日一緒に居る。普通に考えればかなりおかしなことだ。成人もしていない高校生が、毎日の様に一緒に居て、なんなら祈莉は自宅よりも俺の家に泊まることの方が多い。
「考えてみれば結構おかしな関係だな」
「今頃ですか?」
「今頃だな」
いろんなことがあった。本当にいろんなことが。
「なあ、祈莉。一つ、聞いても良いか?」
「はい?」
「なんで、今も俺の世話を焼くんだ?あの日、俺が倒れたから、責任を感じて。みたいな事かとも思ってた。でも、違うよな?」
「……海に行ったとき言ったじゃないですか。最初は興味が湧いたんです。私に靡かない。寧ろ煩わしそうに私をあしらう先輩に」
「じゃあ、なんであの日、俺の原稿を?」
そう言えば、と思って聞いてみる。恐らくあの原稿は俺の机の中に入っていたもの。それをなぜ祈莉が持っていたのか?俺の机を漁ったのは確定だろう。だが、なぜ漁ったのかはいまだに謎のままだった。
「そ、それは、その……」
そこまで言いにくい事なのだろうか?
そう思って顔を覗き見る。
「そ、そんなに見ないでください。そうですね。言いますよ。先輩に少しでも近づきたかったんです」
「そのために俺の机を漁ったと?」
「……そうですね。でも、最初は先輩の席の近くに行っただけなんです。そしたら、原稿が机からはみ出してて、それで……」
「読んでしまったと?」
「ちょっとした出来心で、えへへぇー」
「ま、もう良いけど。今じゃ祈莉の料理が食べられて毎日満たされてるから」
「そうですか?ならこれからも先輩の胃袋を掴んで離さないように頑張りますね?」
「これ以上頑張られるとお前から抜け出せなくなりそうだわ」
これはお世辞でもなんでもなく本心だ。今でも抜け出せないのに、これ以上料理の腕を上げられたら卒業の時なんてあまりのショックで死にかねない。
「まあ、ボチボチ頑張って欲しい。というか頑張らないでいてくれると俺としても助かるんだけど」
「無理です!」
「だろうな……」
そこでまた少し静寂が流れて、
「ぷっ!」
「アハハハ!!」
思わず今までの事を考えて二人して大笑いをする。
こんな所まで息ピッタリなのもあって余計に笑いが込上げて来る。
しばらくして笑い終えると、祈莉が俺の手を握って来る。
「なんだよ?」
「いえ、なんとなく握りたかったので。駄目でしたか?」
「いや、俺ので良いならいつでも貸すけど」
「やっぱり先輩は優しいです」
「普通だろ?」
花火もそろそろ終盤に近付いてきたのか弾数が多くなって、空に咲く花の数がさっきよりも増していく。
「先輩、私また学校が始まってからも先輩の家に行ってもいいですか?」
「寧ろこっちから頼みたいぐらいだけど、大丈夫なのか?」
「私は全然大丈夫です!」
「そうか。なら俺もなんの問題も無いな」
正直これで急に祈莉が来なくなったりしたら、俺は餓死する危険がある。それほどまでにあの料理は俺を駄目にする。胃袋掴まれたどころかがっちり鍵かけられてるわ。
「それに、私は……」
「何か言ったか?」
「いえ。今のは聞こえなくていいんです」
「ん?まあ、良いけど」
最後の花火が一斉に咲き乱れる。轟音と共に様々な色の光が空で光り輝く。
昔、家族と見たこの眺めは、今でも鮮明によく覚えている。あれほど綺麗で、心に残る物は層内だろう。
あれから何もかもが壊れて、挙句の果てに一時は自分自身まで壊れた。
でも、今は隣には祈莉がいる。家族とはちょっと違うが、それでも今の俺にとっては何よりも大切な3人の中の一人。
だからこそ今のこの瞬間が心地いい。
忘れていた、花火が綺麗だ、という感覚を今日久しぶりに味わうことが出来た。
前までは、色は分かっても、それでもフィルターが掛ったように灰色に見えていた景色が、今でははっきりと鮮明に色づいている。
俺の手を、強いくらいにギュッと握り締める祈莉。
不思議な縁。決して出会う事なんて無かったはずなのに、なんの因果かこうして出会って、こうして一緒に花火を見ている。
願わくば、この平穏がこれからも続いていきますように。と、そんな柄にもない事を考えてしまう。
「最後に一つ、いいですか?」
「別に二つでも三つでもいいぞ」
「では、お言葉に甘えて……」
そう言って立ち上がる祈莉。それと同時に最後の花火が大きく派手に今までで一番大きな音を立ててその光を散らす。
それとちょうど同時。まるで狙ったかの如く祈莉の言葉と重なって何も聞こえない。
「え、ちょ、聞こえ」
「って言う事なので、これからも骨抜きにしてあげるので覚悟しててくださいね?奏汰君!」
「いや、だから聞こえな……え?」
そこで俺は祈莉が口にした言葉を聞いて固まる。
俺の口にはそっと祈莉の人差し指が添えられて、そこにはいつも通り、少し意地悪な小悪魔めいた笑みが浮かんでいる。
(はぁー。これだからこいつは分からない。何を考えているのかも、何がしたいのかも。でも、そんな俺でも分かることがある。俺は、もう既に、確実に……)
「これ以上骨抜かれたら、俺崩れるっての」
「そうですね、ふふっ!じゃあ、行きましょうか、奏汰君!」
「……あー、もうわかった。わかった。行くぞ、祈莉」
そうして二人で柾と秋葉の元へ戻っていく。
時間にして約一時間。
真っ暗だったはずのそこは、少し明かりがともったように感じて、
花火の余韻。久しぶりに目に焼き付けたその花火は、きっと今までで見た中でも五本の指に入るだろう。
(まあ、花火見た回数も別にそこまで多くないんだけどな)
そんな考えを抱きながら、俺達は柾と秋葉の元へと帰っていく。
こうして、今年の夏休みは幕を下ろしたのだった。




