32 突然の来訪
夏休みも着々と過ぎていき、学校まで残り一週間になってしまった。
あの旅行からもおよそ一か月近くが経った。
あの旅行以来さらに少し距離の近くなった白宮。
今日もいつもの様に家に来ているのだった。
「先輩、今日はご予定は?」
「特にないな。ゴロゴロしてるだけ」
「そうですか。なら、一緒に買い物に付き合ってもらえますか?」
「んー、まいっか。分かった。準備するから少し待っててくれ」
少し重い体を動かしながら自室へと戻っていく。まあ重いとは言う物の体重に関してはそこまで変わっていない。最近は白宮の手料理を食べているはずなのだが一向に体重が増えない。世の若者たちからすれば羨ましくてこの上ない事なのだろうが、俺からしてみるといくら食べてもそれがしっかりと体に吸収されていないという事なので燃費が悪いにもほどがある。
「運動でもすれば変わるのか?」
自室で服を脱いで自分の上半身を眺める。相変わらず細い体。恐らく柾あたりが胸部を殴ればすぐに折れてしまうのでは?と思う程頼り無い。
(こりゃあ、白宮にも世話を焼かれるわけか)
その後着替えると今度は髪を整えるために洗面所に向かう。
いつもの髪型で出れば休み明けに何か噂されるかもしれない。そんなになれば、きっと俺は殺されてしまう。たった二か月で百人近くが告白して振られているのだ。つまり、その倍以上は白宮に一目ぼれした男どもがいる筈なのだ。そんな危ない連中に目を付けられないためにも俺はこうしてしっかりと安全を確保しなければならない。
「よしっ。こんなもんか」
「あ、先輩その髪型……」
「なんか嫌だったか?」
「い、いえ……」
少し嬉しそうな顔をする白宮だったが、どうしたのだろうか?
「では、行きましょうか」
「そうだな。今日は何を買うんだ?」
「そうですね。やっぱりお魚が良いですね」
「鯵か?あとは鰯とかか?」
「私としては鯵の方が好きですね」
「奇遇だな。俺も鯵派だ」
「じゃあ、今日は鯵フライにしましょうか」
「俺は野菜多めで頼む」
「先輩っておじいちゃんみたいですよね」
「もう年かな?」
他愛のない会話を繰り広げながら近所のスーパーへと赴く。
もう陽が傾き始め、夏の終わりが近づいていることを知らせてくれる。
その夕日を浴びているとなんだか少し寂しく、切なくなってくる。この休みがもうすぐ終わってしまうというなんとも言えない寂寥感が俺を襲っていく。
「どうかしたんですか?」
「いや。ただ、もう休みも終わりかと思うと凄く、凄く憂鬱になるというか」
「そう、ですね」
珍しく白宮が俺の言葉に賛同する。いつもなら俺の言葉を優しく諫めるのだが、
「学校は正直行きたくはないです」
「白宮でもか?」
「そうですね。以前言った通り、私は皆さんの前では偽りを演じていますから」
偽りを演じる。誰もが抱く『理想の後輩』『学校一の美少女』『学校一の才女』そのレッテルは普段からそう在ろうと無意識のうちに白宮自身が学校中に提示したもので、故に生徒たちはそのレッテルを遠慮なく貼り付けていく。
白宮がどうしてそうしているのか、何を求めているのか、目的は何なのか。それは俺には分からない。でも、それでもここにそのレッテルも、期待も、偶像も抱いていない男がいるのだ。だからもう少し気を楽にしても良いと思う。
「確かに、皆の理想を演じるのは大変だよな。でも、お前の理想の部分じゃなくて、素のお前を俺は見てるから。柾も秋葉もそうだ。だから、そんな気負わなくてもいいんじゃないか?」
「そうですね。ふふっ、先輩は相変わらず先輩です」
いつの間にか到着したスーパーで食料品を買い込んでいく。
最近はこの服と髪のおかげで何とか白宮と歩くことが出来ているが、これもきっとどこかで見られているのだろう。学校に行ったら恐らくだが噂になっていそうだ。
会計を済ませて持ってきたエコバッグをポケットから取り出して、
(って、ナチュラルにポケットからエコバッグとか、俺は主婦か!?完全に白宮に染められてる気がする。まあ、別に悪い事ではないけど)
せっせとバッグに買ったものを詰めてすぐその場を後にしようとする。
段々と暗くなりつつある道を、夕日に照らされながら歩く。
あとどのくらいこいつと歩いていられるのだろうか?そんな柄にもない事を考えてしまう。初めの頃には考えもしない事だったが、今ではこの状態が当たり前すぎてつい考える。
(ま、こいつも他に友達とか彼氏が出来ればきっといなくなるんだよな。それまでは精々料理を御相伴に預かるとしよう)
「え?」
すると白宮が立ち止まってスマホを見ながら動揺を浮かべている。
「ど、どうしたんだよ?」
「せ、先輩、どうしましょう?お、お母さんが、私の家に」
「白宮の母親が?」
「はい」
どうやら白宮の家に母親がいるらしい。
「取り敢えず……どうする?」
「えっと、その……お母さん凄く優しくはあるんですけど、その」
「な、なんだ?」
「えっと、先輩といると、勘違いとか……失礼な誤解をしてしまうような人なので」
あー。なるほど。つまりは結構普通の母親らしい。白宮の言葉を聞いて少し安心した。父親が恐らく相当酷い人なのは確かなので、やはりそこは心配になっていたのだ。
「あ、でもそれだと俺行かない方が良いよな?」
「はい。あ、でも先輩の家に色々置いてるので、その……」
「まずい訳か」
「はい」
今はお互いほとんど何も持ってきていない俺と白宮。
しかも白宮に関しては家の鍵は俺の家にバッグと一緒に置いてあるらしい。
ここから俺の家まで行くのは白宮の家とは逆方向。それに結局白宮の家に戻る時は暗いので送っていかなければならない。
「し、仕方ないか」
少し危ないが、白宮の家にいるならマンションの下まで送れば大丈夫だろう。
「鯵は明日また頼むことにするか」
「はい。すみません」
俺たちは急ぎ足で家に戻ると、買い物の袋を置いて白宮はバッグを掴んで家を出る。
もう既に日は沈んで女の子が一人で歩くにはいささか薄暗い。
なんだか嫌な予感がするが、今は白宮を送ることが先だ。
「着いたか」
「ありがとうございます先輩。じゃあ、また明日。朝から行きますね?」
「朝からじゃなくて昼からでもいいぞ?」
「先輩は気づくとお昼まで寝てるので駄目です」
そうして、白宮が階段を上り、エントランスの自動ドアを開こうとインターオンに近づいたその時、
「あら?祈莉?もう、連絡が来ないから心配したのよ?」
「……!?」
その言葉に固まる白宮。
そして、その声の女性は俺の後ろから歩いてきて、
「あなたは……どちら様?」
(あぁ。なんか嫌な予感がするとは思ってたけど、部屋にいるんじゃなかったんかい!!)




