幸せな罰
百合です。GLです。ご注意を。
私、田村ヒカリには同棲している彼女がいる。
彼女というのは三人称的なものではなく、付き合っている、という意味でだ。
その子と私の関係は少し特殊だから、正確には付き合っていると言えないのかもしれない。ただ、世間一般的な解釈でみれば、間違いなく恋人同士という関係だ。
「明里、おはよう」
「おはよう、ヒカリ。トイレ、行きたい」
「わかった」
私は彼女、明里の手を取り、トイレへ誘導する。
私の彼女は、目が見えない。
生まれつきではない。小学校四年生のときに私が失明させたからだ。
当時の私は中々にやんちゃな性格で、友達は男子ばかりだった。
私はサッカーが好きだったから、休み時間はいつも男子と一緒にサッカーをしていた。
彼女に怪我を負わせたときは、雨の日だった。
私はどうしてもボールで遊びたくて、一緒につるんでいた男子たちと、屋根付きの渡り廊下で、リフティングの回数を競い合って遊ぶことにした。
ちょうど私がボールを蹴り始めたときに、先生の怒鳴り声が聞こえ、驚いた私は誤ってつま先で思いっきりボールを蹴り飛ばしてしまった。
蹴ったボールは窓にぶつかり、窓は盛大な音をたて、割れてしまった。
そして不運なことに、その窓ガラスの向こうには彼女がいたのだ。
彼女のもとに駆け寄って見れば、彼女の顔は血まみれとなり、大声で泣き叫んでいた。
もはや『ごめん』で許されるレベルでないことは明らかで、私はどうすればいいかわからず茫然自失となった。
先生がすぐに救急車を呼んでくれたのか、彼女はすぐに病院へ運ばれた。
私は親呼び出しのもと、校長室でことのあらましを説明したが、何を言ったのかは全く覚えていない。ただ、親の罵声と泣き顔だけは覚えている。
彼女は近くの総合病院に入院したようで、私は両親と一緒に謝罪とお見舞いに言ったのだが、彼女のご両親は会わせてはくれなかった。
私はそのときの会話で、彼女の両目はもう光を見ることができないのだと知った。
私はなんということしてしまったのだろう。
どうしてこんなことに。
なぜ、私はあの時ボールで遊んでしまったのか。
際限ない後悔が、ぐるぐると私の心を覆い尽くし、私は絶望してしまった。
だが、もう二度と光を見ることができない彼女の絶望に比べれば、私の絶望などあまりにも瑣細なものだろう。彼女の気持ちを推し量ることは到底不可能だ。どうやったって謝罪が受け入れられることはない。
私はその後暫くは学校に行っていたが、私に対する風当たりは当然強く、彼女が転校することが周知されたあと、すぐに私も転校した。
それから全く別の校区の小学校に入り、普通の女の子としての友達もでき、そのまま中学校へ進学し、卒業するころには私の罪悪感も大分薄れてしまっていた。
彼女と再会したのは、高校に入学してすぐのことだ。
私はその日、入学の報告を本家へするため、地元に帰ってきていたのだが、小学生のときの通学路などが懐かしくなって、散歩をしていた。
ああ、あの公園ではよく遊んだな、まだあったのか。なんてことを思い出しながら歩いていると、白杖をつき、舌打ちのような音を鳴らして歩いている女の子を見かけた。
背筋がゾッとした。
彼女は転校していたし、成長もしているのだから、目の前の女の子が彼女とは限らないのだが、私の心はそれが間違いなく彼女だと認識していた。
私はその場から逃げようかとも思ったのだが、どうしても目を離せず、あとをつけるように彼女の後ろを歩いていた。
彼女は曲がり角を曲がろうとしたときに、飛び出してきた子供とぶつかり、運の悪いことに白杖がベルトごとスッポ抜けてしまったのだ。子供はまずいと思ったのか、謝りもせずに走って立ち去った。
私はどうしようもない怒りがこみ上げ、子供に注意をしたくなった。昔の自分を思い出してしまったからだ。だが、彼女が屈んで足元を探るようにしているのを見ると、そんなことより早く杖を渡さなければと思った。
私はすぐに白杖を拾い、彼女に声をかけた。
『ありがとうございます。助かりました』
そう言った彼女の顔は、驚くほど可憐な笑顔だった。
医者が優秀だったのだろう。顔の傷はほとんど目立たくなっていた。よく見れば瞼に入った斜めの傷はわかるが、遠目だと全くわからないだろう。
私は彼女を家まで送ることにした。彼女は一人でも大丈夫だと断ったが、さっき起きたことを考えると、とても一人には出来なかった。
彼女は私の腕をとり、『じゃあお願いします』と、可憐な笑みを私に向けてくれた。
顔が熱い。心臓がドクドクとうるさい。
彼女の目が見えていたら、茹でたこのようになった私の顔を見られていただろう。
私は彼女の話を聞きながら、こちらのことも当たり障りのない範囲で教えつつ、彼女を家まで送り届けた。家のネームプレートは、間違いなく私が傷つけた彼女のことを指し示していた。
私がそのまま帰ろうとしたとき、彼女から連絡先を教えてほしいと言われた。
冷や汗が背中をつたった。
私も正直いうと彼女とこれきりで別れたくはなかったが、そうなると私が誰なのか、必ず分かってしまう。なるべく優しく断っていたのだが、中々彼女は折れてくれず、結局連絡先を教えることになった。
私は彼女のスマホを借りて連絡先を登録しようとしたのだが、『目は見えなくても扱えるんです』と、得意気にスマホを扱い始めた。音声補助機能でなんなく使えるらしい。正直驚いたし、心のどこかで盲目な人を"下"に見ていた自分に気付かされ、心底恥ずかしくなった。
私は自分の番号と『ヒカリ』という名前だけ伝えた。
小学校のころの私は男子枠だったから、たぶん下の名前までは覚えていないだろうと思ったからだ。そしてその予想は当たっていた。
連絡先を交換してから、明里は頻繁に電話をかけてきた。私からもかけることはあるが、彼女からのほうが圧倒的に多かったと思う。
私の"声"がとても好きらしい。
正直自分の声のどこがいいのか全くわからないが、彼女からそんなことを言われたら、恥ずかしいやら嬉しいやらで舞い上がってしまい、私の方から電話をかける頻度もどんどん増えていった。
そんな電話だけのやり取りをずっと続け、あっという間に時が流れていったのだが、ある時、明里が両親に紹介したいといい出した。私と直接会って、生の声が聞きたくなったそうだ。
私だって直接会って、明里の笑顔をみたいが、ご両親に会うことはとてもできない。直接会うことはどうしても出来ないと何度も断ったせいか、次第に連絡を取らなくなっていった。
そうして月日が経っていったのだが、三年生になったとき、そういえばちょうど二年前に彼女と再会したんだったな、とその時のことをぼんやりと思い出した。一度思い出すと歯止めが聞かなくなり、もう一度彼女の声が聞きたいし、やはりあの笑顔をもう一度見たいと強く思ったのだ。
私は両親に、実は失明させた子とずっと電話をしていたこと、普通に友達として会いたいことを伝え、一緒に彼女の両親に謝りに言ってほしいと頼んだ。
両親は昔のように怒鳴ることはなく、一緒に謝りに言ってくれると承諾してくれた。
私は明里のご両親に誠意を見せる必要があった。調べたら、ちょうどその時期に視覚障害者のガイドヘルパーの資格講習があることがわかり、すぐに講習に応募して資格を取得した。
そして明里に電話をかけ、ご両親に会うことを約束したのだ。
当日私は、両親と共に常に頭を下げ、どうしても友達として明里と付き合いたいことを話したのだが、中々話しを受け入れてもらえなかった。
当然か。と諦めかけていたときに、明里が激怒したのだ。
『そんなに罪を償わせたいのなら、ヒカリに私を介助させろ! 朝も、昼も、夜も一緒にいさせろ!』
と。
いつも柔らかな声で話す明里が、ここまで大声で怒りをあらわにするとは思わなかった。
それはご両親もだったのだろう。その場は一気に静まり返った。
その後明里のご両親は血がのぼって頭ごなしに私達を非難していたことを謝罪し、話しを聞いてくれたのだ。
私がヘルパーの資格を取得していたことも幸いして、会って話しをすることも、一緒に遊ぶことも赦してもらえた。ただ、私が地元を離れていたこともあり、結局高校のときはあまり会うことは出来なかったが。
明里とはほとんど電話だけだったが、お互い思い合っていることは分かっていたから、私は地元の大学を受けることにした。どうせなら明里と同棲したいと思い、両親に話したのだが、何をバカなと最初は話を聞いてもらえなかった。
私が事あるごとに延々とお願いしていると、ついに折れて、明里のご両親に話しをしてくれることになった。当然難色は示されたが、明里が私を大切に思っていることは分かってくれていたから、親の目が届く範囲でという条件で許可を貰うことができた。
そうして今がある。
「ヒカリ、顔、触らして」
「ん」
私は明里の両手を自分の顔に持ってこさせる。
明里はこうして私の顔に触るのが好きらしい。
どんな顔になっているのか想像するのが楽しいのだとか。
くすぐったい。
明里は私の声が好きだと言ってくれるが、私は明里の手が好きだ。
すこしひんやりとした手は、女の子らしく少しふっくらとしていて、触れるとどこか気持ちがいい。
ひとしきり触って満足したかと思ったが、今度はキスの雨が降ってきた。
まずい。
これは、まずい。
明里は口にキスを落とすと、そのままキスを続けながら私のシャツに手を伸ばしてきた。
「待って。私、今から学校だから」
そう言って彼女を静止するが聞いてくれず、シャツの中に手を入れてきた。
「ホントに待って! 帰ったらちゃんとするから!」
「ホントに?」
「ホントだって」
「わかった。早く帰って来てね」
「講義終わったらすぐ帰るよ」
危ない。このまま続けていたら学校に行けなくなるところだった。
昨日していなかったから、明里のフラストレーションが溜まっているのだろう。
明里はちょっと、いや、かなりそっちの欲が強い。
明里と朝食を簡単に済まし、化粧をして学校へ向かう。
「じゃあ、行ってくるね。家の中でも気をつけてね」
「うん。いってらっしゃい」
可愛い。私の彼女の笑顔が可愛すぎる。
私の家は大学から徒歩十分と行ったところで、非常に近い。明里の実家も徒歩十分圏内だ。
明里は私がいない間は大体読書をしているらしい。電子書籍を読み上げてくれるソフトがあるようだ。
今日は水曜日だから、お昼前に明里のお母さんが家に来て、お昼ごはんを作ってくれるだろう。明里はずっとわたしと二人きりがいいようだが、さすがにそうはいかない。平日は基本的に学校に行ってしまうし、その間は一人になってしまう。
明里は一人でもまったく問題ないようだが、親心を考えればそうもいかないだろう。月・水・金の週三日は明里のお母さんが様子を見に来ることになっている。
学校に着き、受講する講義室へ入り、入り口のカードリーダーに学生証をかざす。うちの大学は出席確認として、講義前と講義後でそれぞれリーダーに学生証をかざす必要がある。
私が入学する前は、講義前だけでよかったようだが、それで不正が多発してしまって今の形になっている。その辺りに厳しい教授は、リーダーに加えて昔ながらの出欠もとる。『〇〇さん』『はい』という点呼だ。この場合は都合三回の出席確認になる。
だが、私はこれでも真面目なほうだ。正直そのへんの仕組はあろうとなかろうと関係ない。
私は前の方の席を見渡し、いつものお団子ハーフアップを見つけ、隣に座る。
「おはよ」
「おはよう。ん? 昨日はエッチしてないの?」
「朝っぱらから言ってくるな。一応答えてやるとしてない。そして何故分かる」
「顔みればわかる」
そうですか。
「した翌日は私の顔どんなになってるわけ?」
「化粧のノリがかなり悪いか、かなり良いかのどっちか。今日は普通」
そうですか。
爽やかな朝のノリとは思えない会話を、普通にふってくるこいつは谷口という。
大学に入って、大体前の方に座るといつも同じ席にいるから、次第に話すようになった。いわゆる友達というやつだ。こんなのでも私より成績がいい。
「姫さんのご機嫌悪いんじゃないの?」
「悪くない。むしろいい」
帰ったらちゃんと相手するって約束しているからね。
「あんたも大変ね。まあ私が口出すことじゃないか」
「だったら最初から口出すな」
谷口は私が"彼女"と同棲していることを知っている。そして明里のことを"姫さん"と呼ぶ。谷口は明里に会ってみたいと言ってくるのだが、私が頑なに断るから『ナイトに守られた姫だね』と言ってからかってくるのだ。
そんな谷口にも"彼女"がいるらしく、そういうことも手伝ってすぐに仲良くなった。まあ私は谷口の"彼女"の名前は知らないが。
朝の二コマを消化し、お昼休みだ。私は家で弁当を作っているから持参だが、谷口は学食で食べる派だ。食堂は組合が運営しているところと、別の系列会社が運営しているところの二箇所がある。前者は値段が安くて味がそこそこ、後者は値段が普通で味はいい、といった評判だ。人の入りは五分五分といったところか。
谷口は組合の食堂派なので、私は先に席を確保し、彼女がカウンターから昼ごはんを持ってくるのを待つ。明里に電話を掛けたいが、今はゆっくり話せないので掛けるのは食べ終わったあとだ。
「おまた」
「谷口がいうとエロい。言い直して」
「エロいと思うからでしょ。そっちのほうがエロいじゃん」
そう言われるとそうかもしれない。いつの間にか谷口に毒されてしまったか。
「まあいいや。それなに? 美味しそうじゃん」
「これ? 魚のフライの卵とじ。欲しい?」
「欲しい。半分頂戴。私自慢の角煮と交換でどうよ?」
「のった」
谷口から魚のフライを半分もらい、豚の角煮を彼女のお皿に渡してあげる。
「ヒカリは今日三限で終了だっけ?」
「うん。次で終わり。谷口は?」
「私は次が空いて四限で終了」
「途中空くの嫌じゃない?」
「別に。その間勉強すればいいし」
変態のくせに変なところで真面目なやつだ。
お昼ごはんを食べ終わり谷口と別れる。
私は次の講義室に行く前に明里に電話を掛ける。昼休みに必ず一回掛ける約束だ。
ワンコール……ツーコール……
『ヒカリ!』
明里は必ずツーコールで取る。彼女なりのルールがあるらしい。待ってましたと言った声が実に可愛い。大好き。
「明里、お待たせ。お昼食べた?」
『うん。食べたよ。ヒカリが作ってくれた角煮で、お母さんがラフテー丼にしてくれた』
「え、私も食べたい。残ってる?」
『ちょっとまって、……さ……ラフ……そう……材……った、あ、もしもし? 材料はあるからレシピ書いてテーブルに置いておくって。お母さんが』
「ホント? ありがとう。おばさんにお礼言っといて」
『うん。わかった。ヒカリはもうすぐ帰ってくるよね?』
「あと二時間だよ」
『待てない。すぐに帰ってきてね』
「尽力します。そろそろ移動しないとまずいから」
『わかった。楽しみに待ってるから。すぐに帰ってきてね』
「うん。すぐ帰るから。また」
"待てない"ときましたか……。せめてお風呂と夕飯食べるくらいの時間はあるよね?
電話を終え、すぐに次の講義室へ向かう。
じれったい九十分が終わり、急いで家へ帰る。
「ヒカリ! おかえり!」
「ただいま、ちょ、ちょっとまって。荷物置かせて……」
手をわたわたやって抱きついて来た彼女を背にまわし、一緒に部屋へ行く。明里のお母さんはもう帰っているらしく見当たらない。
「明里、まだ明るいし、寝るときにしよう」
「待てない。帰ったらするって言った」
ぅ……。可愛い……可愛すぎる。でも、今はダメだ。化粧落としてないし、お風呂も入ってない。今行為に及ぶわけにはいかない。
「でも、今したら夜が出来ないよ?」
「今して、夜もすればいい」
ええ……。明里は良いかもしれないけど、私はそこまで体力ないよ……ってっちょ、まってホントにまって、化粧くらい落とさせて、あひっ、あ、ダメだって、あ、あ~~~!!……
――
くそぅ。結局負けてしまった…。あのあと一緒にお風呂入って、夜ご飯食べて、今は布団の上だ。明里はもう一戦する気満々といった顔で、私の顔をこねくりまわしている。
明里はそもそも巧すぎる。目が見えていない分、触覚と聴覚が優れているから、すぐに私の弱いところを探し当ててくる。しかもキスもやたらと巧い。
このあと私の顔にキスの雨が降ったあとは、それが全身に広がるのだ。私の大好きな手と共に。私の体で彼女が触れていない場所はもはやないだろう。手でも、唇でも、完全に彼女が染め上げている。
幸いなことは明里が痕をつけないことか。彼女は目が見えないから視覚的な印には興味がないらしい。これでもし痕を残すようだったら、私の体は全身蜂に刺されたようになっているに違いない。
正直、明里がどうしてここまで私に執着するのかはわからない。私が明里に執着する理由はあれど、彼女からすれば、私は両目から光を奪った仇敵だろう。声が好きだと言ってくれるが、それだけで目を潰した相手にここまで出来るだろうか。
小学生の頃の彼女は物静かで大変可愛らしく、男子の好きな人ランキングでは常に一位だった。当時の私は男子枠だったからよく知っている。そんな皆のアイドルを私は傷つけたのだ。一生残る傷を。
私はその責任を取る必要がある。一生を掛けてだ。
私は本当は大学には行きたくはない。講義もサボりたい。でも、今後明里を養うには高卒の給料だと不安だし、何より就職できるところが限られる。いいところに就職するには、大学に行く必要があるのだ。
明里を一生養う。
それが私の罪に対する罰だ。
でも、それは罰であると同時に褒美でもある。
私は明里を愛しているし、愛されている自覚もある。
この先彼女と一生いられるのなら、これほど幸せなことはないだろう。
私はそんな甘美な罰を受け入れ、一生を掛けて罪を償っていくのだ。
この罰はだれにも渡さない。絶対に、誰にも渡さない。
「ヒカリ、何考えてるの?」
「ううん。なんにも。ただ、幸せだなと思って」
「ホントに?」
「うん。ホント」
彼女はそのあと何も聞いてこなかった。満足したのか上機嫌で私の顔にキスを降らせ始めた。
明日の化粧のノリは間違いなく悪いに違いない。
でも、それは幸せの証拠だ。
化粧のノリくらい、幸せに比べれば、なんでもない。
私はこれからも、この幸せな罰を受けるのだ。
明日も、明後日も、この先ずっと、ずっと。