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6話  お手をどうぞ

 お誘いの手紙が来た約十日後、うちの屋敷の前にエストホルム伯爵家の家紋の付いた馬車がやってきた。


「お迎えが来たわよ、アーシェ」

「うん……」

「ちょっと、まだ尻込みしているの?」

「……」


 上機嫌な母様に問われた私は正直に頷き、壁に掛かる大きな鏡を見やった。


 今日のために仕立て屋が急いで作ってくれたドレスは、ヒルダと母様がデザインしたものだ。

 今流行のお尻を膨らませるシルエットで、レースの覗くスカートの裾はくるぶし丈。淡い緑色の布地はとても肌触りがよくて……万が一にでも破ったりしたらいけないと、肩に力が入ってしまう。


 帽子やグローブ、ブーツも全て今日のために新調した。いつもは外出時以外は適当に結っている髪もヒルダが念入りに手入れをしてまとめ、耳の横から一房ずつもみあげを下ろすだけで後は帽子の中に入るように結っている。


 顔にも白粉を叩いて、血色がよく見えるようにほお紅も付けられた。

 ヒルダは何種類もある色とりどりのほお紅を前にしばらく幸せそうに唸っていたけれど、すぐに「お嬢様の肌には、この色!」と淡いピンク色のものを選んだ。

 そうして頬に付けた紅は少し青みがかっている私の肌色にぴったりで、さすがヒルダと称賛を送った。


 胸には、薄ピンク色の花を模したブローチを着けている。もちろんこれはアンネリエをイメージしたもので、いかにも造花だと分かるけれどつやつやとしている。


 ドレスも、ブローチも、とても綺麗だ。

 父様も母様も、この一式を揃えるためのお金を惜しまず、仕立て屋に上質なものを作らせていた。


 それには、すごく感謝するけれど……。


「……私、ドレスに着られているよね」

「そんなことないわよ。ほら、胸を張りなさい。どんなに綺麗な服でも、それを着るあなたが湿気た表情をしていたら台無しでしょう」

「私、そんなに湿気た顔をしているかな……」


 母様の指摘は容赦ないけれど――改めて鏡を見ると確かに、そこに映る私はこれからデートだというのに落ち込んだ顔をしていた。


 ……今日は、ベルンハルド様とのデート。


 前にヒルダが言っていたようにベルンハルド様を虜にできる自信は皆無だけど……今日のお出かけを楽しみたい、ベルンハルド様に少しでも綺麗な自分を見てもらいたい、という気持ちは偽りではない。


 そう考えていると、鏡に映る自分の顔が、少しだけしゃんとしたように思われた。


「……よし。それじゃあ、行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい。……いくらベルンハルド様と盛り上がったとしても、お泊まりはまだ早いからね」

「分かってるわよ!」


 母様は真剣な顔で釘を刺してきたけれど、まさかこれでやっと顔合わせ三回目になる人の屋敷に泊まることなんてあるはずがない。


 恋に積極的な令嬢の中には、メイドたちを巻き込んでこっそり恋人の屋敷に泊まったりする方もいるそうだけど……私の両親はそういうことには厳しめだし、私自身もいくら婚約者とはいえ、出会って間もない相手の屋敷にいきなり泊まろうとは思わない。


 今日の目的は、一緒に庭園を散策して仲を深めること。

 うん、それだけだ。









 ヒルダを伴って庭に出ると、立派な馬車の前でイアンが待っていた。


「こんにちは、イアン。今日はよろしく頼むわ」

「こんにちは、アーシェ様。こちらこそ、よろしくお願いします。ベルンハルド様も、今日をとても楽しみにしてらっしゃいましたよ」

「そう……それは嬉しいことね」

「ええ。……では、こちらへ。メイドの方は申し訳ありませんが、私と一緒に御者台に乗っていただきますね」

「かしこまりました」


 イアンはそう言って、ヒルダに向かって申し訳なさそうな顔をする。でもヒルダはあっさり頷いただけじゃなくて、心なしか嬉しそうだ。


 ……そういえば、ヒルダは結構町の男の子たちから人気があるそうだけど、冷たくあしらっている。

 本人曰く、「男は三十を超えてこそ魅力的になる」とのことだから、若い子には興味ないそうだ。


 イアンは多分三十代半ばくらいだろうし落ち着いた大人の男性、っていう感じだから、ヒルダのタイプにぴったりなのかも。今日屋敷に帰ったら、聞いてみよう。


 イアンが馬車のドアをノックすると、内側から開いた。そこにいたのは、ベルンハルド様。


 今日の彼は、動きやすいジャケットとスラックス姿だった。非番だけれど騎士だからか、腰には細身の護身剣を提げている。

 ウエストはサッシュベルトで引き締められていて、乗馬用の編み上げブーツに包まれた脚の長さがよく分かった。


 今日も彼は、胸に紫色の花を付けている――けれど、前よりも花が大きく開いているみたいだ。

 やっぱりスミレのようで、引き締まったベルンハルド様の胸元で慎ましく咲いていて上品な感じだ。


 ベルンハルド様は外出用の帽子のつばを持ち上げ、じっと私を見下ろしてきた。青の目を細めていて、眉間にも少し皺が寄っているみたい。


 何か、不快に思われているのかな……と不安になったけれど、彼はしばらくしてゆっくり唇を開いた。


「……久しぶり、アーシェ嬢」

「ごきげんよう、ベルンハルド様。本日は庭園散策にお誘いくださり、ありがとうございました」

「……。……手を」


 相変わらず言葉は少ないけれど、さっと手を差し出してくれた。


 今日の彼は、手袋を嵌めていない。

 おそるおそる手を差し出すと、優しく握られて――大きな手の平は思ったよりも硬くて、一瞬びくっとしてしまった。


 それを見逃さなかったようで、ベルンハルド様はさっと私の手を離してしまった。


「……すまない。嫌か」

「えっ、いえ、嫌じゃありません! すみません、誤解をさせるようなことをして……」

「……だが、手が」


 遠慮がちに言われて、私は首を横に振った。


「少し、びっくりしただけです。その……ベルンハルド様の手が大きくて硬かったので」

「……」

「私、家族以外の男の人の手を握ったことが、ほとんどないので。ベルンハルド様は騎士ですし、男の人の手はこんなに大きくてたくましいのだと気づいて……緊張してしまっただけなのです。すみません」

「……」


 私が謝ると、ベルンハルド様の綺麗な形の眉が寄った。


 彼はそのまましばらく黙っていたけれど、背後でイアンがわざとらしく咳をすると、我に返ったようにまばたきして私に再び手を差し伸べた。


 私が微笑んで今度こそしっかり手を預けると、ベルンハルド様は小さく頷いて、私を馬車に誘ってくれた。


 彼の胸元で、スミレがふわりと花びらを膨らませた。

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