4話 男爵令嬢は婚約者と仲よくなりたい
ベルンハルド様から、花をもらった。
「んふふへへへ……」
「姉上……だらしない顔になってるよ」
「し、失礼な!」
リビングのテーブルに置いた植木鉢をうっとりと見ていると、容赦ない声が降ってくる。
声のした方を見やると、呆れた顔の弟がリビングの戸口に立って私を見ていた。
「ベルンハルド・エストホルム……だっけ。その人からもらえたのが、そんなに嬉しかったの?」
「当たり前じゃない。ほら、リオンも見てよ。こんなに綺麗な花なんだよ」
「……でもそれって野花だよね? 普通、男が婚約者の女性に贈るものっていったら、薔薇の花束や宝飾品とかじゃない?」
「そういう人が多いだけで、別に野花をもらってもいいじゃない。私のために、枯れにくいものを選んでくださったみたいだし」
テーブルに頬杖をついて言い返すと、弟・リオンはふんっと鼻を鳴らした。
「どうだか。……案外、おまえには雑草がお似合いだ、って意味かもしれないよ」
「ちょっと、それはさすがに失礼じゃない?」
「姉上に対して?」
「ベルンハルド様に対して!」
指摘したけれど、リオンはつまらなさそうな顔でそっぽを向いてしまった。
「……どうだろうね。父上と母上はともかく、僕はそのベルンハルド様とやらがいまいち信用できないんだよ」
「何よそれ。リオンはベルンハルド様とお話ししたこともないくせに」
「ないけど、エストホルム伯爵家はあんまりいい噂を聞かない。……長男や次男よりは三男はマシって言われているけど、少々マシなだけだかもしれないよ」
……なんだかやけにリオン、攻撃的だな。
子どもの頃はもうちょっと可愛げがあって、私と顔がよく似ているからお揃いの服を着て遊んだりしたのに、最近のリオンはツンツンしている。
それも父様や母様たちには普通で、私に対してだけ当たりが強い。反抗期なのかなぁ。
私は植木鉢をそっとテーブルの中央に移動させてから立ち上がり、リオンの正面に向かった。
「リオン、噂に踊らされるんじゃないわよ。それにあなた、さっきから何をカリカリしてるの?」
「……別に、カリカリなんてしていないし」
口ではそう言いつつ、私がずいっと顔を覗き込むと、気まずそうに目を逸らした。
これは、自分が悪いと分かっていても認められないときの、彼の癖のようなものだ。
「とにかく、そのベルンハルド様ってのも何を考えているのか分からないよ。だいたい、姉上と二回もお茶会をしているのに全然喋らないんだろう? その人も姉上との婚約を望んだということなのに会話をしようと努力しないなんて、間違っている」
「……ご本人の性格の問題かもしれないでしょう」
「さあね。……とにかく、のほほんと幸せに浸ってる場合じゃないかもしれないよ、とだけ言っておく」
「さっきからなんなの、本当に。もしかして、学校で女の子にフられた?」
「そんなわけないだろう!」
それまでは少しけだるげだったリオンは途端にかっと噛みついてきて、ぷんぷん怒りながらリビングを出て行ってしまった。
うーん……どうにも棘があるなぁ。
なんだか、私以上にベルンハルド様に関して当たりが強いというか、なんだかんだ言ってベルンハルド様のことをよく調べているというか。
リオンの足音が遠ざかったところで私はソファに戻り、植木鉢を手に取った。
淡いピンク色の花が可愛らしい、アンネリエ。
イアンは、ベルンハルド様が手ずから植え替えをなさったと言っていた。
屋敷にはメイドがいたのだから、ただ私にアンネリエを贈りたいだけならメイドたちに命じればよかったというのに。
「……ベルンハルド様」
ここにはいない人の名を呼び、そっとアンネリエの花に触れる。
指先越しに伝わる花びらの感触は柔らかくて、小さくて目立たないけれど懸命に咲く花が、とても愛おしいと感じられた。
ベルンハルド様からいただいたアンネリエの花を枯らすわけにはいかなくて、私はヒルダに植物の育て方に関する本を取り寄せてもらった。
「お嬢様が園芸に目覚めるなんて、このヒルダは思ってもいませんでした」
「私自身もびっくりよ」
ヒルダがのほほんと言う傍ら、私は本のアンネリエに関する箇所を開いた。
アンネリエはリネリア王国の北部原産の花で色々な品種があり、主に春から秋にかけて咲く。
土地が肥えていない高原地帯でも育ちやすくて、水も少量で済む。逆に水をやりすぎると根が腐って枯れてしまうそうだから、水やりは晴れている日なら朝に一度、湿気ている日ならしなくてもいいくらいらしい。
植木鉢を自室の窓辺に置いて、せっせと世話をする。ヒルダが買ってくれた花用の肥料を丁寧に蒔いて、土が平らになっているかもまめに確認する。
花を枯らすことには自信のある私だけど、ちゃんと本を読んで世話をしているからか、アンネリエの花は一週間経っても枯れることなくて、むしろぽんぽんと蕾を増やしていた。
「可愛い……」
「ベルンハルド様に、アンネリエの成長の様子についてのお手紙を送るといいかもしれませんね」
「……そういうのを送って、迷惑がられないかな?」
ヒルダの提案は素敵だと思うけど、ベルンハルド様を困らせたら……と思うと不安になる。
でもヒルダは微笑んで、瑞々しいアンネリエの花をツンツンと指先で撫でた。
「きっと大丈夫ですよ。お嬢様も、ベルンハルド様と仲よくなりたいのでしょう?」
「……うん。いつか結婚するのだから、婚約期間中に少しでも人となりを知っておきたいし……私のことも知ってほしいな」
「でしょう? それなら、コミュニケーションを取るのが大事ですよ。基本的に暇なお嬢様と違って、ベルンハルド様は騎士団で働かれていますからね。だから、お手紙だったら時間の空いているときに読んだり返事を書いたりできますし、あちらも都合がいいんじゃないでしょうか」
「……それもそうね」
私は二年前に講師補助の仕事を辞めてからは、基本的に家にいる。実家の手伝いもするけれど主に会計や手紙書き、帳簿の管理などだから、普段からあまり外に出ることもない。
まあ、私はどちらかというと元々外遊びはそこまで好きじゃないし。
でもベルンハルド様は騎士団所属で、私とのお茶会も仕事の合間に時間を作ってくださっているんだ。
お忙しい中でも私との時間を取ろうとしてくださっているのだから、感謝しないと。
「……それじゃあ、手紙を書こうかな」
「そうしましょう。……ベルンハルド様は園芸に興味がおありなのでしょう? それなら、アンネリエ以外にも色々話題を振ってみるといいかもしれませんね」
「そうね。……いつか、庭園のお散歩とかにも行けたら楽しいかも」
ベルンハルド様は無口だけど、ひょっとしたら花に関することならお喋りになって、色々教えてくださるかもしれない。
……よし。こうなったらベルンハルド様と仲よくなれるよう、私の方でも頑張ってみよう!