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3話  男爵令嬢はときめいた

「あの、ベルンハルド様。質問していいですか?」

「……いい」

「ありがとうございます。……ベルンハルド様は、野花がお好きなのですか?」


 花壇に咲いている花もベルンハルド様の胸の花も、普通の貴族の屋敷で育てられる上質な花ではない。探せば近くの野にでも生えていそうなもので――そんなところが、私は気に入っていた。


 ベルンハルド様が、ゆっくり私を見た。青の目が少し細まって、何か考え込んでいるかのように眉間に皺が寄っている。


 ……至近距離で見て改めて気づいたけれど、ベルンハルド様はかなりの美形だ。ちょっと冷たさを感じさせるような容貌だけど、切れ長の目や薄い唇、高い鼻など、さすが名家のご子息と唸ってしまう。


 私の髪は毛先だけくるんと外向きに跳ねたオレンジブラウンで、目は茶色。

 どっちもリネリア王国ではありふれた――しかも一般市民に多い色合いで、顔つきも目が少し大きいだけで我ながら地味だと思う。ドレスとかの色も、暖色系はまだましだけれど寒色系は絶望的に似合わないとよく言われるな。


 そんな私とは対照的に、淡い金髪に青の目のベルンハルド様は寒色系が似合う人だ。

 今日は白のシャツに黒のスラックスという出で立ちだけど、この前の初めましてお茶会では空色のジャケットに少し濃い青のスラックス、グレーのシャツというシックな色合いの服装で、彼の美貌や雰囲気によく似合っていた。


 ベルンハルド様は、返事の内容にかなり悩んでいるようだ。「野花が好きですか?」という問いの答えにそれほど悩むものかと思うけど、黙って待つべきだろう。


 そうして待つこと、しばらく。


「……好きだ」


 男らしい声ではっきりと言われ――不覚にも、私の心臓が興奮とときめきで大きく跳ねてしまった。


 いや、だって、「好きだ」って真剣な表情で言われたら、誰だってどきっとしてしまうよね!?

 それがさっきの「野花が好きですか?」という質問に対する答えだとしても、修飾語を外されるものだから――つい、「おまえが好きだ」と言われているのかと錯覚してしまった。


 ……ああ、だめだ、だめだ!

 ベルンハルド様はただ返事をしただけなのに勝手にときめくなんて、恥ずかしい!

 思い上がるのも大概にしろ、私!


 幸い、一瞬だけぎくっと体を震わせてしまったけれどみっともなく赤面したりすることはなく、微笑みを返すことができた。


「そうなのですね。私も野花、好きです。派手じゃないけれどたくましいし可憐だから、ああやって花壇に植えて愛でたくなりますよね」

「……そうだな」

「私の家でも、花を育てているのです。通いの庭師が世話をしてくれるのですが、小さな植木鉢に移し替えて部屋のベランダで育てたりもするのです。といっても、私は世話をするのが下手くそなので、すぐに枯らしてしまうのですが……」

「……そうか」


 相変わらず、ベルンハルド様は言葉少なだ。私が喋る量を百とすると、ベルンハルド様の割合は五くらいだろうか。


 でも、私が積極的に話しかけても嫌そうな顔はしないし、ちゃんと目を見て話を聞いてくれる。表情は動かないし時々目線を逸らしたりもするけれど、私の言葉には絶対相槌を返してくれていた。


「お花、またここから見せてもらってもいいですか?」

「……構わない」


 ベルンハルド様が言ったので、私は笑みを返した。

 ベルンハルド様の顔の筋肉は動かないけれど、彼が胸に挿した蕾が代わりに返事をしているかのように、優しく揺れていた。











 ベランダで話をした後、応接間でティータイムを過ごした。

 今日のお茶もお菓子もとてもおいしくて、感想を素直に伝えるとイアンが「光栄です。アーシェ様のために選んだ甲斐があります」と言ってくれた。


 やっぱりお茶を飲みながらの会話はあまり弾まなかったけれど、もう既に私はこの状況に慣れつつあった。


 私たちは、既に書類を提出している婚約者同士だ。よほどのことがない限り、私はいずれベルンハルド様と結婚する。


 ベルンハルド様が無口なのは、私の力でどうこうできるものではないだろう。むしろこれも彼の特徴、性格の一つだと思えば、ベルンハルド様は無口なお方だと割り切って接することができた。


 幸い、私がぺらぺら喋ることについて不快に思われている様子はない。帰り仕度をしているときにこそっとイアンに聞いてみたけれど、「ベルンハルド様は、アーシェ様のお話を聞くのがお好きだそうですよ」と笑顔で教えてくれたので、ほっと一安心だ。


 コミュニケーションを取るのは大切だけど、会話だけが全てではない。

 目を見て、同じ空間にいる。それだけでも、ベルンハルド様と一緒に過ごす意味はあるはずだ。


 ……最初のうちは不安ばっかりだったけれど、いざ婚約者として会ってみると、なんだかうまくやっていけそうな気がしてきていた。


 お茶を飲み終えて仕度を終えたところで、迎えの馬車が来た。


「今日はありがとうございました。また今度、お茶を飲みましょう」

「……ああ」

「あ、そうだ。よかったらお手紙を書きましょうか? ベルンハルド様はお仕事でお忙しいでしょうから、時間の空いたときに返事を書いてくだされば十分ですので」

「……そうする」

「ありがとうございます! では、また後日――」

「待て」


 日傘を手にきびすを返そうとしたら、思いがけず厳しい声音で呼び止められた。


 まさか制止を掛けられるとは思っていなくてびっくりして振り返ると、玄関ポーチに立つベルンハルド様は少し気まずそうに視線を逸らした後、ポーチの隅に置いていた小さな植木鉢を手に取った。

 そこには、淡いピンク色の小さな花が五輪ほど植えられている。


 ……そういえば、訪問時にはこの植木鉢、置いていなかったような……?


 ベルンハルド様は植木鉢を大切そうに両手に持ち、少ししかめ面でそれを私に差し出してきた。


「……これを、おまえに」

「えっ」

「……」

「そちらは庭で植えていた、アンネリエの花です。リネリア王国の高原地帯に咲く野花で、世話がしやすく枯れにくい品種です」


 沈黙してしまったベルンハルド様の背後から、イアンがひょっこり顔を覗かせて教えてくれた。


「先ほどアーシェ様が仕度をなさっている間に、ベルンハルド様が手ずから植え替えをなさったのです。朝と夕方にさっと水をやるだけで、すくすく育ちますよ」

「……いただいていいのですか?」


 思わずそう言うと、ベルンハルド様はこっくりと頷いて、私の隣にいたヒルダに植木鉢を渡した。

 二人きりのときはお喋りなヒルダも今は神妙な顔で植木鉢を受け取って、馬車で運ぶ途中に割れたり土が零れたりしないように布でくるんでくれる。


 ベルンハルド様を見ると、彼も目を細めて私を見下ろしていた。


 ベルンハルド様が、私に贈り物をくださった。

 とても可愛い、アンネリエの花。

 それも、ベルンハルド様自ら植え替えてくださったなんて……。


「ありがとうございます、ベルンハルド様。大切に……枯れないように育てますね!」

「……ああ」


 ベルンハルド様の返事は、素っ気ない。

 でもその声音は優しいし、口調もゆったりとしている。


 ……今気づいたけれど、訪問時は硬い蕾だった彼の胸の紫の花が少しだけ蕾が膨らみ、柔らかくほころんでいるように思われた。

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