45話 嵌められたのは
皆の注目を集めながら会場に現れた男女はイアンの先導のもと、主催者であるヘンリクソン侯爵夫人の前までやって来て、揃ってお辞儀をした。
礼法において何のケチも付けられない、完璧な所作である。
「到着が遅れましたことをお詫びします、ヘンリクソン侯爵夫人」
「いいえ、よろしいのですよ、ベルンハルド・エストホルム様。ちょうど、あなたの父君と立ち話をしていたことですし……」
ねぇ? と侯爵夫人に微笑まれて、エストホルム伯爵は戦慄した。
息子が遅れてくる可能性は、考えていた。
だが、隣にいる女は――
引きつりそうになる顔を必死に制御しながら、伯爵は息子の腕に掴まる女を見て――生意気にもじっと見つめ返されたため、歯を噛みしめた。
この、生意気な態度が気にくわなかった。
たかが成り上がり男爵家の娘なのだから、伯爵家である自分たちの前にひれ伏し、命令だけを聞き、金さえ出していればよかった。
だというのにこの女が無気力状態だったベルンハルドに余計なことを吹き込んだ結果、ちょうどいい駒だったベルンハルドまで生意気になり、父親である自分にまで楯突くようになった。
楯突くだけならまだしも、出生のことをばらされれば今後の自分の立ち位置にひびが入る。
それだけは避けたくて、だから息子たちを使ってこの女を嵌めようとしたのに――
「――ご歓談中失礼します、伯母上。報告したいことがございます」
一見和やかだがその実ぴりりとした緊張の空気が流れている中、割り込んできたのは若い男性。
伯爵はその顔に見覚えがなかったが、彼が侯爵夫人のことを「伯母上」と呼んだことから、彼がヘンリクソン侯爵夫妻の甥だと知った。
「何かあったのですか、ルーカス」
「先ほど裏庭で、不届き者たちを捕縛いたしました。どうやら舞踏会の賑わいに紛れ、参加者の令嬢に暴行を働こうとしていたようで……」
ルーカスがはっきりとした声で告げたことで、周りで立ち聞きしていた客たちがざわつき始める。
「まあっ! 侯爵邸でなんということを!」
「被害に遭われた令嬢は誰だ!?」
「ご無事だといいのだけれど……」
周りから聞こえてくるのは、第三者としては当然の意見で――しかし伯爵にとっては都合の悪い声ばかり。
怒りと混乱と迷いで立ち尽くす伯爵をよそに、ルーカス・カンプラードは伯母に対して滑らかに状況報告を行っている。
「私たちが駆けつけたため、令嬢とそのお付きのメイドは軽傷を負ったものの無事でした。そして、うら若い女性たちに暴行を働こうとした連中を縛り上げたのですが――町のごろつき程度の彼らを雇っていた者の身柄も拘束しました」
ルーカスの言葉に、伯爵は心臓が止まるかと思った。
ごろつき共は捕まったとしても、息子さえうまく逃げていれば罪に問われることはないと思っていた。
だが、これでは――
「カンプラー――」
「主犯者の名は、ハンス・エストホルム。そちらにいらっしゃるエストホルム伯爵の次男でした」
慌てて叫んだ声は、ルーカスの声にかき消された。
ざわつく会場と、だんだん体温を失っていく己の体。
半分血の繋がった兄の名が晒されたというのに、目の前にいるベルンハルドはどこまでも落ち着いており、その隣にいる女も冷めた目でこちらを見てきている。
――嵌められた。
伯爵は今になって、気づいた。
「どうやらハンス・エストホルムは会場で一人で行動していた令嬢を裏庭まで連れ出し、ごろつき共に暴行させようとしたようです。……ああ、皆様。令嬢の名誉のために彼女の名は伏せさせていただきますが――既に彼女のご家族ならびに関係の方には報告しておりますので、ご安心ください」
ルーカスが振り返り、周りの者たちを安心させるような優しい笑顔で言ったことで、ざわついていた客たちの顔にもほんの少しの安堵の色が見えた。
もしかして自分の娘が、妹が、恋人が――と思っていた者たちも、自分に連絡が来ていないことから無関係である、と分かったようだ。
ヘンリクソン侯爵夫人は鷹揚に頷くと、ゆっくりと伯爵を振り返り見た。
先ほどまではにこやかだったその顔に笑みは一切なく、伯爵の背筋を冷たい汗が流れる。
「……これはどういうことでしょうかね、エストホルム伯爵?」
「そ、それは、甥御殿の――」
「ルーカスは騎士団にも身を置いていることから、我がヘンリクソン侯爵家の私兵を動かす権利も与えております。……甥の言葉を疑うおつもりで?」
「そ、そういうことでは!」
「……もう、やめましょう、父上」
言葉に詰まる伯爵の名を呼んだのは、それまでずっと黙っていたベルンハルドだった。
彼がイアンに指示を出すと、忠実な従者はお辞儀をしてから手に持っていた鞄を開き、中の書類をベルンハルドに渡した。
仮面舞踏会の客たちが興味津々の表情で見つめる中、ベルンハルドはイアンから受け取った書類の束を手に、じっと伯爵を見つめた。
「……今宵をもって、あなたと兄上たちには伯爵家から出ていただきます」
「な、何を言っている、ベルンハルド! あろうことか、ヘンリクソン侯爵家の舞踏会で、そのような――」
「あら、わたくしは気にしなくってよ?」
伯爵が顔面蒼白になりながら逃げ道を探っていると、ヘンリクソン侯爵夫人はおっとりと言うと、群衆に向かって「ヨーランはどこ?」と声を上げた。
すぐにやってきたのは、金縁の仮面を身につけた若い男性。彼は仮面を外すと、侯爵夫人に向かって「お呼びですか、母上」と言う。
「おまえは、法廷で働く官吏ですね。今から起きることを記録し、上に報告なさい」
「かしこまりました」
いきなり呼び出されてそんなことを命じられたというのに、ヨーラン・ヘンリクソンは一切動じた素振りを見せず、傍らにいたメイドに筆記用具を持ってこさせた。
……伯爵はそのときになって、自分たちを嵌めたのはベルンハルドやルーカスだけでなく、ヘンリクソン侯爵夫人たちもだったのだと気づいた。
周りの客たちはさすがに無関係だろうが、貴族たちは皆噂話が大好きで――中でも醜聞などの方が話の肴になるのは、昔から変わらないことだ。
この場を興味津々の様子で見守る者はいても、わざわざ体を張って止めようとする者がいないことは、伯爵も分かっていた。




