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2話  無口な婚約者

 私が何か言っても「ああ」「そうか」「まあ」くらいしか返事をもらえなかった、あのティータイム。

 これは間違いなく断られるだろうと思っていたのに、前向きに進めましょうとの返事が来た。しかもその手紙を読む限り、ベルンハルド様ご本人も私との結婚に乗り気だとか。


 ……いや、なんでそうなるの?


「どう考えても、会話の弾まないお茶会だったのに……」


 馬車に揺られながら私がぼやくと、向かいの席に座っていたヒルダが首を傾げた。後頭部の高い位置で揺った赤毛が揺れて、首筋に髪の房が掛かっている。


「案外ベルンハルド様にとっては、最高に楽しいお茶会だったのかもしれませんよ。世の中、いろんな趣味の人がいますし」

「……そうは思えないんだけどね。せっかくヒルダと破談確定記念パーティーを開いたのに……」

「あ、ケーキ代お返しした方がいいですか?」

「まさか。あの日一日ヒルダのお世話になったのは間違いないのだから、気にしなくていいし……これからも振り回すことになるんだからね」


 私は苦笑して、馬車の窓から見える風景に目をやった。


 私はこれから、ベルンハルド様の屋敷への二度目の訪問をする。そのために朝から綺麗に肌を磨き、化粧もして、母様が注文した新品のドレスに袖を通した。


 何を思ったか、ベルンハルド様は私のことを気に入ったようで、あれよあれよという間に私たちの婚約が成立してしまった。

 まずは書類を提出して、「こういうことになりました」という報告をする。そしていずれ婚約宣誓式を行ったらいよいよ、結婚に向かって準備を進めることになる。


 ということで、これからは婚約者としてベルンハルド様と親交を深めなければならない。

 たかが男爵家の娘である私には荷が重すぎるけれど、予想外の展開に驚いているのは父様も母様もだし、間違っても伯爵家の反感を買うような真似をしてはならない。


 ……後から分かったんだけど、エストホルム伯爵はかなり気難しい人で、我も強いので付き合いも慎重にしなければならないらしい。父様も、これまで伯爵と話したことは皆無だったから、相手がどんな方なのか分からなかったそうだ。


 まあ確かに、普通にやっていれば成り上がりの男爵家が由緒正しい伯爵家と知り合うことなんてないし。うちに財産がなかったらそれこそ、同じ王都で暮らす貴族だとしても、関わることすらなかっただろう。


 そうしている間に、馬車は郊外にあるベルンハルド様の屋敷に到着した。

 ここに来るのは半月ぶりくらいだけど……まさか、戻ってくることになるとは。そしていずれ、ここが私の住む場所になるとは、前回は露ほども思わなかった。


 ベルンハルド様は今年で二十四歳になられた、エストホルム伯爵家の三男だ。だけど幼少期は体が弱くて、伯爵領で暮らしていたそうだ。その後王都に戻り、騎士団に入って頭角を現した将来有望株らしい。


 本人はとっても物静かな人で、住んでいる場所も実家ではなく郊外の小さめの屋敷を与えられていて、使用人と一緒に暮らしている。それも中年の従者が一人と、メイドが三人、護衛を兼ねた御者が一人だけ。でも前回の訪問時も皆、私のことを温かく迎えてくれたので、屋敷の雰囲気はいいと感じていた。


 屋敷には、ちんまりとした庭がある。煉瓦を組んで作った花壇には、季節の花が咲いているのだけど――どちらかというと小振りで可愛らしい感じの花がたくさん植えられているから、前の訪問時からちょっと気になっていた。

 私、豪華な薔薇とかよりも、こういう可愛い花の方が好きなんだ。


 芝生広場の先には、前回お茶を飲んだテラスがある。

 ……そこに、シンプルなシャツとスラックス姿のベルンハルド様がいらっしゃった。


 衣装は前回のようにフォーマルではなく、むしろ気軽な感じがする。

 彼は私を見ると立ち上がり、テラスから降りた。


 背後にヒルダを伴った私は、そういえばベルンハルド様と向き合って立つのはこれが初めてだと気づいた。前回は、どっちかは座っていたから。


 騎士団に所属しているからか、ベルンハルド様はすらっと背が高い。父様も大柄な方だけどベルンハルド様はもっと高くて、私の目の高さに胸元がある。私は平均身長くらいだけど、ベルンハルド様は男性平均よりも高そうだ。


 ……あっ、シャツとスラックスはシンプルだけど、胸ポケットに花を飾っているみたい。まだ蕾だけど、開花したら綺麗な紫色の花が咲きそうだ。これは……スミレか何かかな?


 私が蕾をじっと見ているからか、ベルンハルド様が小さく咳払いをする声が聞こえた。


「……アーシェ嬢」

「……あ、す、すみません! えっと、本日はお招きいただきありがとうございます、ベルンハルド様」

「……ああ」

「それと、婚約することにもなりまして……なんというか、ちょっとくすぐったい気持ちがします」

「……そうか」

「これから、よろしくお願いしますね」

「……ああ。よろしく」


 あっ、珍しく相槌以外の返事をもらえた。低くて艶のある、素敵な声だ。

 でも喋る速度はかなりゆっくりで、一音一音を丁寧に言っているようだった。


 紫色の蕾からベルンハルド様の顔へと視線を動かすと、彼は少し気まずそうに目を逸らした。

 でも、私に見上げられて不快になっているのではなくて、ただ単に戸惑って、緊張しているのではないかと感じられて……少しだけ、肩の力が抜けた。


 もしかすると、この紫色の蕾を見たからかもしれないけれど、前回よりもベルンハルド様に親しみを感じられた。









 今日はテラスではなくて、屋敷の中に案内してもらってから応接間でお茶を飲むことになった。


 ベルンハルド様の屋敷は三階建てで、一つの階につき部屋は三室程度。敷地面積も広いとは言えない。

 でも内装は洒落た感じで、廊下の花瓶には瑞々しい切り花が生けられている。壁に掛けられた絵画は貴族のお屋敷でよく見る抽象的なものではなくて、のどかな田園風景や果物の静物画、動物の絵など、温もりが感じられるタッチのものばかりだ。


 一階が主に使用人用のエリアで、二階以上がベルンハルド様の生活空間だった。さすがに個人的な部屋は見せてもらえなかったけれど、三階の角部屋だけはドアを開けて通してもらえた。


 そこは、日当たりのいい空き部屋だった。

 それほど広くないけれどベッドやデスク、クローゼットくらいなら十分置けそうだし、南と西にある窓が大きいので、室内は明るい。


「ここ、いい部屋ですね。空き部屋みたいですが……」

「……そうだ」

「こちらは先日まで物置でしたが、急ぎ片づけました」


 ベルンハルド様に代わって説明してくれたのは、この屋敷で従者をしている中年男性。

 灰色の髪をオールバックにして黒のお仕着せを着ている彼の名前は……確か、イアン。ベルンハルド様が生まれる前から、小姓として伯爵家本邸で働いていたんだったっけ。


 イアンは今日もむっつり無口なベルンハルド様の隣に立ち、室内を手で示しながら教えてくれる。


「こちらは……いずれアーシェ様が嫁いでこられた際に、奥様用の私室にする予定です」

「え、あ、そ、そうなんですね」

「はい。ここは屋敷の中でも一番日当たりがいいのですが、ベルンハルド様はそれほどこだわっていらっしゃらなくて。しかし奥様が来られるのでしたら、明るくて庭も見下ろせるこの部屋がよいだろうとおっしゃったのです」

「……イアン」


 低い声でベルンハルド様が唸るけれど、イアン様は微笑んで「本当のことでしょう?」とかわしている。


 そう、か。……ここが、私の部屋になるんだ。

 日当たりがよくて見晴らしもいい、この屋敷の一等室を私のために――


「ベルンハルド様。あのベランダに出て外を見てみてもいいですか?」

「……ああ」


 ベルンハルド様の許可を取り、私は部屋の南にあるベランダに向かってガラス戸を押し開けた。

 ベランダは半円形で、せり出すような形になっている。きちんと汚れの落とされた手すりに手を乗せて辺りを見回すと――本当に、ここに立つと屋敷の庭が一望できるのだと分かった。


 今は春なので緑の芝生が生い茂っていて、長方形の花壇がお行儀よく並んでいる。赤や黄色、白の花が春風を受けて、気持ちよさそうにそよいでいる。


 門の向こうには、他の邸宅が並んでいるのが見えた。多くの屋敷はがっしりとした門と薔薇などの生け垣で囲まれているけれど、ベルンハルド様の趣味なのかこの屋敷は全体的にさっぱりしていて、見晴らしがいい。


「素敵な風景ですね」

「……そうか」


 部屋のドアの前にいるだろうベルンハルド様に向かって言うつもりで大声を上げたら、思いの外近くから返事が返ってきた。


 いつの間にかベランダの入り口に立っていたベルンハルド様は相槌を打つと、私の隣に並んだ。

 私と同じように手すりに右手を乗せたから、その手が大きいだけでなく、剣を握って戦う人らしい厳つさがあり、手の甲に細かな傷痕があるのも分かった。


 相槌を打ったっきり何も言わないで庭を見下ろしているので、私は花壇の花とベルンハルド様が胸に挿している蕾を交互に見つつ、話題を振ってみることにした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 新連載嬉しいです!初日から読めませんでしたが……くっ。 また新たな二人の物語を、楽しみに拝読します。
[一言] 伝えるべきことはしっかり口に出して伝えないと大切なものを失うぞぉ まあそういうお話では無いようだけど
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