猫嫌い
どうしようも何もなかった。答えは決まりきっているのだから。
「無理に決まってるじゃない。わたしには大好きな婚約者様がいるもの」
ズバッっと一刀両断だ。いっそ清々しいくらい。
(いくらカルが会いに来てくれるかもしれないからって、浮気なんて絶対にだめだもの。それに悪いことしてる時って、大抵誰かが見てるものだって言うしね)
「どうしてじゃ? お前、俺のこと……って呼んだじゃけえ?」
「は?」
よく聞こえなかったのか、わたしの耳が聞くことを拒否したのか、おそらくどちらもだと思う。
わなわなと震えながら、領主の息子は真っ赤になって叫んだ。
「お前、俺のこと、ダーリンって呼んだじゃけえ!!」
「ああ、確かに呼んだかも」
相変わらずの塩対応。けれど、あれはモノマネだ。ダーリンという言葉になんの意味もない。
「だったら……」
「でも、仮にそういう関係になったとしても、わたしとあなたでは絶対にうまくいかないよ?」
「どうしてじゃ?」」
領主の息子は首を傾げた。
まだ出会って間もないのに、なぜそんなことが分かるのか、と。俺の何を知っているのか、と。
「だって、わたし猫ちゃんが大好きで、猫ちゃんのいない生活なんて、絶対に考えられないもの」
「なに!?」
領主の息子は「猫」という単語を聞いただけで、明らかな拒否反応を示した。徐に、身体中を掻き掻きぽりぽり。
(もしかして……もしそうなら、やっぱり今のうちに諦めてもらおう。命に関わったら大変だもの。それに、思わせぶりな態度とか、二股なんて絶対にあり得ないし)
そうと決まれば、即行動。わたしはルベを呼んだ。
「ルベ〜! おいで〜!!」
ルベはいつも通り華麗にスタッっとわたしの足もとに現れた。
先ほど、領主の息子がわたしに近づいてきた瞬間に慌てて逃げて、近くで様子を窺っていたのだ。
「くっしゅん、うわっ、くっしゅん、猫じゃ、くっしゅん」
わたしは確信した。ルベが現れた途端に、くしゃみをし始める領主の息子を見て、間違いないと。
(猫アレルギーか、体質的なものなら仕方がないんだよね。きっと小さい頃に猫アレルギーが発症して、生死が危ぶまれたことがあったんだね……)
わたしは、領主の息子が猫ちゃんが恐怖だと思う理由は、過去のトラウマだろうと納得した。
それでも、領主の息子は逃げずにわたしに真正面から立ち向かう。できるだけルベをその視界に入れないように、細心の注意を払いながら。
「スーフェ、くしゅん。俺の婚約者に、はっくっしゅん!!」
一生懸命に猫アレルギーと戦おうとする、領主の息子の健気な姿を見たルベは、さすがに不憫に思えてならなかったらしい。
故に、領主の息子の肩を持つ。
「チビ、お前、本当に見境ないな」
「まあ、失礼しちゃう。わたしの想い人はカルだけだよ。もちろんルベも大好きだから、きちんとお断りをしたところなんだから。それに、ルベを見れば諦めてくれると思ったの。でも諦めが悪いみたいだね。ルベ、もう一度向こうで待っててくれる? それとも……」
わたしが抱っこしてあげようか、とわたしはルベを抱き上げようとした。もちろんルベは逃げる。
逃げた先は、領主の息子の足もとだ。堪らず領主の息子は叫び声をあげた。
「ね、猫!? 死ぬ!! 殺されるっ!! はっくしゅん!!」
「命に関わったらさすがに大変だから、やっぱりルベは向こうで待っててね」
ルベも素直にその場を離れた。
領主の息子には、わたしを口説く気力も体力も残っていない。けれど、今ここで諦めたら試合は終了してしまう。
領主の息子は、涙ながらに最後の悪足掻きを申し出る。悲しいんじゃなくて、目が痒いらしい。
「せ、せめて、最後にもう一度だけ……と呼んでくれ」
涙ながらのリクエストに、わたしは意気揚々と準備に入る。
実は、修行の合間にモノマネの練習もしていた。その成果を披露するのにちょうど良い。それに、レパートリーも少しだけ増えたし。
「では、披露させていただきます。……ダーリン、バイちゃ!」
(ん? ア◯レちゃんが混ざっちゃった! けれど、上手くできたから、まあいっか! うほほーい!)
そうして、領主の息子の儚い恋は見事に砕け散った。
「なんか可哀想な気もするから、そのうち、猫アレルギーの原因でも盗んであげようかな。猫ちゃんと遊べない人生なんて、わたしだったら耐えられないもの」
その様子も近くで見ていたルベは言う。
「チビ、今起きたことは絶対にあのガキには言うなよ。俺が八つ当たりされそうだ」
「カルに? カルは優しいから八つ当たりなんてするわけないじゃない。カル元気かな? 会いたいなあ」
「呼んだ?」
わたしの願いが届いたのか、突然カルが現れた。もちろんわたしは満面の笑みを浮かべて喜んだ。
「カル!? どうしたの?」
「手紙に書いたでしょ? お仕置きしに来たんだよ」
「ふふ、カルったら、冗談が上手いんだから! カルに会えて嬉しいな! ずっと会いたかったんだから!」
もちろん、カルは転移魔法が使えないから、時間をかけて馬車で来た。
時間をかけてでも会いに来てくれたことが、わたしにとって、これ以上にないくらい愛を感じて嬉しさが爆発する。
けれど、カルの様子はおかしい。しかも、わたしに何を聞いても無駄なことが分かっているらしい。だから、わたしではなくルベに問う。
「それで『何を』僕には言わないつもりなの?」
カルが不穏な笑みを浮かべた。一瞬にして、ルベは固まった。逃げようとしても、もう手遅れらしい。
すでにカルの手が、ルベを撫で始めてしまっていたから……