一夜の過ち
お祖父様との勝負に際し、実はとっておきの秘策があった。
それは昨夜の出来事に遡る。
「ねえ、ルベ! ちょっと来て!!」
いつも通り、わたしはルベを部屋に呼んだ。
コックス村のミルクをお気に召したルベは、いつも以上にすぐに来てくれる。
「なんだよ? チビ、お前本当にばかだな。どうしようもない勝負を、あのじじいとやる約束をしてたな。お前みたいなチビに、男を誑かすことなんてできるわけないだろ?」
ルベがどうしてその話を知っているのかというと、お祖父様とのやりとりを隠れて見ていたらしい。
「ふふ、ルベは本当にそう思う?」
「ああ」
「わたしが本気になれば、ルベのことだって、夢中にさせられるんだからね!」
「ふっ」
ルベはわたしのことを馬鹿にしたような顔で吹き出した。可愛いけれど、やっぱり少しだけイラッとした。
だから、すかさずルベを抱きしめた。
「ルベの心を盗む!!」
「!?」
わたしのとっておきの秘策が、油断していたルベに繰り出された。実をいうと、この必殺技を試すために、契約を明日にしてもらったのだから。
必殺技--それは、相手の心を盗むこと。
トレンチコートのよく似合うあのお方の、あの名言が思い出される。
「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
そう、わたしはとんでもないものを盗みました。ルベの心です。
もちろん【盗】のスキルで。
心を盗まれたルベは今……めちゃくちゃわたしに甘えてくれている。わたしはもうメロメロだった。
「可愛い、可愛すぎるよ! ルベ〜!!」
わたしに抱きしめられているルベは、普通ならば絶対にやらないであろう行動を、わたしにしてくれている。
わたしの頬に、すりすりと顔を擦り寄せているのだから。
このルベの仕草に、わたしの猫ちゃんばかは、大爆発。
「ルベ! 大好き! 愛してる!!」
わたしは幸せだった。
これが心を盗んだことで生じた偽りの愛、魅了に似た魔法の力だとしても。例え、相手の心が伴っていなかったとしても。
「幸せすぎて、キュン死にしそう!!」
一度味わってしまったこの高揚感は、きっともう抜け出せないと思う。
それからわたしは、思う存分ルベを愛でた。
「ふふ、擽ったいよ、ルベったら!」
ルベは構わずペロっとわたしの唇を舐めた。
ルベがただの猫ちゃんだったなら、この行為に何も問題はなかったのだけれど……
わたしはまだ、気付いていない。
その夜、いつもはツンとしたルベの、デレっとした姿を堪能した。
「ルベ、今日はもちろん一緒に寝てくれるよね?」
わたしの言葉に、ルベ自らわたしの隣に来てくれて、丸くなってくれる。
あろうことか、一緒のベッドで寝てしまった。一夜を共にしてしまったのだ。
朝になり、鳥さんたちのチュンチュンという囀りで目が覚めたわたしは、ようやくルベに盗んだ心を返した。
「にゃにしやがったぁぁぁ!!」
その瞬間、正気に戻ったルベが真っ赤になって怒りだした。心を盗まれている間の記憶はあるようだ。
「ち、チビ、お前、自分が何したか分かってるんか!?」
「うん! 大成功だね」
わたしは心を盗むことはできると思っていた。
けれど、きちんと元に戻る自信がなかったので、ぶっつけ本番をする前に、一度ルベで試してみたかったのだ。
本当ならすぐに盗んだ心は返すつもりだった。けれど、あまりのルベの可愛さに、心を返すことを躊躇ってしまった。
死んでも治らなかった猫ちゃんばかは、自制心も見事に突破した。
同じベッドで、もふもふが寝ているという幸せ、これ以上にない至福の時間だった。
「ばか、チビ、お前、本当に信じられない。嫁入り前で婚約者もいるのに。お前の貞操観念はどうかしてる!!」
ルベが今も真っ赤な顔をしながら怒り、狼狽えている。
コックス村の人たちは貞操観念がおかしい、というセリフを言っていたはずなのに、今度は同じようなことをルベに言われている。
「ルベったら、どうしたの? 猫ちゃんと一緒に寝るなんて普通のことじゃない?」
普通の猫ちゃんとなら……
「猫、猫じゃ……ああ、もう俺は知らん!!」
取り乱すルベに、わたしはさらに追い討ちをかける。
「ルベ、めちゃくちゃ可愛っかったよ。わたしの頬にすりすりしてくるし、チューまでしてきたんだから! わたしのファーストキスの相手はルベだよ。なんちゃって!」
「!?」
「ふふ、照れてるの? 一緒のベッドでいっぱいもふもふしながら抱きついて寝たし、一夜を一緒に明かしたのも初めてだね。わたし幸せだよ。また一緒に寝ようね。そうだ! 今度は一緒にお風呂に入ろうよ!」
「ぜ、ぜ、ぜ、絶対に、絶対に、あのガキには言うなよ!!」
ルベはミルクも飲まずに逃げるように去って行った。
「ルベったら、照れちゃって。よーし! 【盗】のスキルも使えるみたいだし、これで今日の勝負は余裕だね。祝杯が代わりに今夜もルベのもふもふを堪能しようっと!」
被害猫ちゃんの苦悩は、当分の間続くことになりそうだ。