修行のはじまり
「さあ、今日から修行だ! 気合入れて頑張るぞ!!」
待ちに待った冒険者になるための、本格的な修行が始まった。
わたしは王都の別邸には戻らずに、お祖父様と一緒にコックス村という辺境の村の外れにある別邸で暮らすことになった。
もちろん、カルとはさらに遠距離になってしまったのだけれど。
「カルにアイテム袋を預けておけば良かったかな? でも、普通の遠距離恋愛を一度くらいはしてみるのも良い経験だよね」
とりあえず、お父様に手紙だけは託しておいた。すでに返事が待ち遠しい。
「浮気は絶対にしちゃだめだよ、って書いたけど、カルは絶対に心配いらないよね」
それほどわたしはカルのことを信用している。
「チビ、本気で冒険者になって旅に出るつもりなのか?」
今朝もミルクを飲みながら、ルベは尋ねてきた。
ちなみに、餌付けをしようと与えてみた「またたび」は、全くお気に召さなかったみたい。
「もちろんだよ! ルベもこの世界を旅してみたいでしょ?」
「興味が、なくはない」
「ふふ、じゃあ、お祖父様の修行も一緒にやろうよ!」
「全く興味ない」
バッサリと切り捨てられた。
「もうっ! ルベがわたしに魔法を教えてくれてもいいんだからね! と言っても、ルベは黒猫ちゃんだから、やっぱり無理か。でもさ、魔王って、もっと人間っぽい姿を想像してたんだけどな。ルベも、実は人間っぽい姿に変身できたりして?」
わたしの言葉に、ピクリとルベの耳が反応する。そして、俯いたと思ったら、困った顔をしながら、わたしを見てきた。
「実は、俺……」
「ふふ、冗談だよ。そんなに落ち込まないで。人間になれなくても大丈夫! 黒猫ちゃんのルベが、わたしは大好きだから。さあ、そろそろ時間だね。もう行かなくちゃ!!」
どうしてか、ルベが拗ね始めた。
「もういいっ! でも、何かあったらきちんと呼べよ!!」
フンっとそっぽを向くルベを、わたしは愛でる。
(ふふ、拗ねたルベも可愛いな。それにやっぱり優しいし!)
嬉しくなって、わたしは少しだけルベを揶揄ってしまう。
「ねえ、ルベ、行ってらっしゃいのチューは?」
「ば、バカかお前っ!?」
そう吐き捨てて、一瞬にして部屋から消えていった。ミルクの入っていたボウルは、もちろん空になっている。
「ふふ、ルベったら照れちゃって。とっても可愛いんだから」
そして、わたしはお祖父様と一緒に別邸を出発した。
「お祖父様、今日はどんな修行をしてくれるんですか? って、どうして村へ?」
わたしたちは、魔境の森ではなく、コックス村へと向かっていた。
「まずは、わしの可愛い孫娘をみんなに紹介せねばならんからな」
お祖父様は目尻を下げ、それはそれは嬉しそうに言ってくれる。
「お祖父様ったら、孫ばかなんだから! でもわたしもどんな村なのかが気になっていたので、いろいろと教えてくださいね」
ちなみに、コックス村は、牛をはじめとした動物たちがいっぱい飼育されていて、平和でのどかな村だ。
のどかなはずなのに、わたしたちがコックス村に到着した途端に、凄い勢いで女性たちに取り囲まれてしまった。
突然のことに、さすがのわたしもビビる。
「まあ、ファーガス様、いつの間にいらしていたのですか? 会いたくて仕方なかったのよ」
「ファーガス様、お会いしとうございました。もちろん今日は、私に会いに来て下さったのですよね?」
「ファーガス様、私の方がずっとお待ちしておりましたのよ。さあ、さっそく私たちの愛の巣へと向かいましょう」
突如として、女性たちの猛アピールが始まった。
コックス村のマダムたちは、のどかな村とは相反して、とても積極的だった。
(この女性たちは、まさか!? ……お祖父様の現地妻?)
わたしは一気に呆れ返った。そして、じとりとした視線と共にお祖父様に嫌味を言う。
「お祖父様、さすが伝説の勇者様。すごい人気ですね……」
「ふぉっふぉっふぉ、モテる男は辛いのう」
全く効果はなかったけれど。
「あら? ファーガス様、こちらの可愛いお嬢様は?」
一人のマダムが、わたしがいることにようやく気が付いてくれ、お祖父様に尋ねてくれる。
「わしの可愛い孫娘じゃ。しばらくの間そこの別邸で一緒に暮らすことになったから、よろしく頼むぞ」
「スフェーンです。よろしくお願いします」
外面の良いわたしは、可愛らしい笑顔で挨拶をした。
お祖父様の現地妻であろうが、気に入られて損はないという、したたかな打算だ。
「まあ、可愛いわ! もしかして、私の娘かしら?」
突然、一人のマダムが意味不明なことを言い出し始めた。これにはわたしもキョトンとしてしまう。それなのに……
「いいえ、私の娘ですわ」
「いいえ、あの夜に授かった私の娘です」
他のマダムたちも、どうしてだかわたしの母親だと名乗りをあげ始めた。
わたしはキョトンを通り越して、ポカーンだ。開いた口が塞がらない。
(どういうこと? これがこの村の歓迎方法なの? それとも冗談? 冗談にしては全く面白くないし。それに、わたしには生まれた瞬間からはっきりと記憶があるんだから! あなたたちから生まれた覚えなんてないから!!)
わたしは蔑んだ目でお祖父様を見た。
さすがのお祖父様も、今度はその視線に気付いたようで、さすがに慌てていた。けれど、もう遅い。祖父としての威厳は、もうこれっぽっちもない。
「これこれ、スーフェちゃんの前なんだから、冗談はそれくらいにするんじゃ」
可愛い孫娘にこれ以上は嫌われたくはないのか、そこで繰り出される、秘技、話題転換の術。
「さて、今日はブライアント辺境伯はどこにおるんじゃ?」
「領主様ですか? きっと、いつものところにいらっしゃると思いますよ」
「あー、あそこか。ありがとな。君らとは、またゆっくり時間を取るからな。じゃっ!」
うまく話題転換の術を発動したお祖父様は、逃げるようにしてその場を立ち去った。