魔術の本
禁忌の魔術、と題されたその本を目にし、背筋にぞくりと冷たいものが走った。
(怖い……)
少しだけ躊躇っってしまった。けれど、意を決してその本を取ろうと手を伸ばす。
「あっ……」
偶然にも、伸ばした手が重なり、わたしは反射的に自分の手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ驚かせてしまって申し訳ない」
咄嗟に謝ったわたしは、ゆっくりと顔を上げた。どうしてだか、じーっと見つめられている気がしたから。
(何か、嫌だ……)
目の前のその人は、品定めするように、わたしのことを頭の先から爪の先まで、視線を走らせていた。
いやらしい視線、というわけではない。むしろその逆。好意の欠片を微塵も感じなかった。
だからわたしは、何か粗相をしてしまったのではないか、と心配になり、慌てて尋ねた。
「あの、何か気に触るようなことをしてしまいましたか?」
「いや、大丈夫ですよ。ただ、私の知っているお方と同じものを感じたのでつい。嫌な気持ちにさせてしまったのなら申し訳ない。こんなに可愛いお嬢さんが、あのお方のわけなどないのに」
そう言いながら、その人はわたしに向かって手を伸ばしてきた。
(だめだ!!)
頭の中で警告を発する。けれど、身体が言うことを聞かない。その人の手が、わたしの首筋に触れそうになっているのに。
(逃げろっ!!)
分かってる。けれど、動けない。
「……っ、スーフェっ」
わたしの背後から、その人から遠ざけるように、わたしのことをカルが抱き寄せてくれた。
「カル!」
わたしはカルの姿を見て、一気に安堵した。けれど、今もまだ、身体の震えが治らない。
「これはこれは、要らぬ心配をさせてしまったようですね。邪魔にならないように、私はさっさと退散することにしましょう」
不敵な笑みを浮かべながら、その人は先ほどの魔術の本をわたしに差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
わたしは躊躇いながらも、その差し出された本を受け取ろうと、本に手をかけた。
本を掴むのと同時に、わたしの右手の指先に、その人の指が一瞬だけ触れた。
「!?」
瞬間、右手の指先に違和感を覚えた。それはまるで、何かが纏わりつくような、嫌な感覚。
咄嗟にその人の顔を見上げた。わたしの中に暫しの沈黙が走る。その人が、わざとわたしの指に触れた気がしたから。
「スーフェっ!!」
わたしの名を呼ぶカルの声に、ハッと我に返る。
「な、な、なに?」
いつの間にか、その人の姿は見えなくなっていた。
「スーフェ、大丈夫?」
「う、うん。来てくれたんだね」
「もっと早く来れれば良かったのに、遅くなっちゃってごめんね。それで、スーフェは何の本を探していたの?」
「魔術の本、なんだけど」
わたしは手渡された魔術の本をカルに見せた。途端にカルの眉間に皺が寄った。
「スーフェ、ロバーツ王国は魔術を禁忌としているから、迂闊にそういう本を読んじゃだめだよ? それにこれ、閲覧禁止の本だし」
「え!?」
わたしは手に持っている本を見た。そこには表紙にも裏表紙にも「閲覧禁止」「厳重保管」と記されていた。
それは、禁書だった。
「どうしてこんな本が本棚に?」
「誰かが間違って紛れ込ませてしまったのかもしれないね」
わたしは、本を管理する職員の元へと向かった。もちろんカルも一緒に。
それからが大変だった。
わたしが職員に魔術の本を見せるなり、別室に連れて行かれてしまったのだから。
何もない殺風景な部屋で、わたしは今、あらぬ嫌疑をかけられている。
「どうして、これを君が持っているんだい?」
「どうして、って、本棚に置いてあったんです」
わたしは図書館で起きたありのままの出来事を説明した。
魔術の本を探していたら、どこにも見当たらなくて、ようやくこの本を見つけた、と。もう一人、この本を手に取ろうとしていた人がいたことも。
けれど、一蹴された。
「それは絶対にあり得ないよ。今日は親御さんは一緒ではないのかな? えっと、君は、あぁ、オルティス侯爵家の、ってことはスタン様の?」
「はい。娘です」
お父様の名前が出てきたことで、わたしは大きく頷いた。その職員は、不思議そうな顔をしながらぽつりと呟いた。
「だったら、この本を盗むはずはないよな?」
「盗む!? そんなこと絶対にしません!!」
この本が盗まれた本だと聞いて驚いた。
そして、知らぬ間に自分の『盗』のスキルが何らかの理由で発動してしまったのではないか、とまで考え、途端に身体が震え出す。
(でも、絶対に盗んでなんかいないよ……)
泣きそうになりながらも、何とか堪えることができた。
それは、カルが隣にいてくれたから。ずっと隣に座って、わたしの手を握っていてくれていたから。
程なくして、息を切らせたお父様が駆けつけてくれた。
「スーフェ!!」
「お父様っ!!」
お父様の姿を見るなり、わたしは立ち上がり、一度カルに目線を送った後、走ってお父様に抱きついた。
「どうしたんだい、スーフェ? 魔術の本なんて?」
「魔術が禁忌だと知らなかったんです。前に、お父様に吸収の魔石をいただいた時に、お父様が呪術って言っていたから、わたしずっと気になっていて、それで……」
「だから魔術の本を探そうと思っていたんだね。でも、どうやってこの本を見つけたんだい?」
「いっぱい探しました。本棚を隅から隅まで。そしたら、ふと目に付いて。それに、わたしの他にも、もう一人の方が、この本を手に取ろうとしていました」
わたしの言葉に、お父様は一気に声を低めた。
「……それは一体どんな人だい?」
「えっと……」
わたしは一瞬にして青褪めた。だって、ついさっきのことなのに、その人のことを全く覚えていなかったのだから。
「え? どうして? お父様、さっきのことなのに、全く思い出せません。嘘でしょ? え? カルは?」
「僕も、思い出せない……」
カルも呆然とした様相で呟いていた。