好き、を上書き
「どうしてそんなことを言うの?」
悲しそうな目をしたカルが、わたしの顔を覗き込む。いつの間にか、わたしは泣いていた。
そのことに気付いたカルは、すぐにわたしにハンカチを差し出してくれる。こんな時なのに、カルはとても優しい、優しすぎる。
「神様の話をしたでしょ? カルは神様がわたしのために生み出してくれた、特別な人なの。だから、……カルには、わたしに一目惚れしたという初期設定が備わっちゃってるの」
「初期設定?」
わたしはこくりと頷いた。
「ここは乙女ゲームの世界だから、それぞれ役割みたいなものがあるの。わたしは悪役令嬢という役割が設定されていて、カルにはきっと、わたしに一目惚れした男の子っていう設定が付いているんだよ。だから、カルの中にある、わたしのことを好きという気持ちは、作られた好きで、本当の意味での好きではないのかも」
こんなこと言いたくない。でも言わなければ、カルはずっとわたしに縛られてしまう。
「作られた好き?」
「そう、だから、……わたし以外の人を好きになったら、その時は遠慮なく言ってね」
自分勝手なことを言っているのは分かる。わたしを好きだと言ってくれているカルに対して、失礼だということも。
ひどいことを言っているのは自分なのに、それなのに、涙が止まらなかった。
「スーフェ……」
「でも、だからと言って、わたしも諦めないよ」
わたしは諦めない。カルに対して恋人同士が持つような恋心がまだなくても、カルと恋愛がしたいって気持ちは、本当にあるから。
(もしかして、これが恋愛の好きって気持ちなのかな?)
わたしにはまだ分からなかった。もしかしたら、これが初恋なのかも、そう思った瞬間、一気に顔が真っ赤になって、火が吹くほど恥ずかしくなって。
(え、えぇっ、カルの顔が見られないっ!!)
俯いてしまった。
そんなわたしの手を、カルが優しく握ってくれる。初めて会ったあの時と同じ優しい温もりのはずなのに、わたしの手はあり得ないほど熱を帯びている。
(無理っ、手汗、恥ずかしいっ、無理っ!!)
「スーフェの気持ちは分かったよ。でも、そんなことにはならないよ。だって、一目惚れ設定があったとしても、僕はもう、スーフェに二目惚れしたから。もしかしたら、三目惚れかもしれない。スーフェに会う度に、スーフェのことを知る度に、僕はスーフェに惚れてるんだから。もうそんな設定は、すでに上書きされちゃったよ」
「上書き……」
その言葉に救われた。上書きすればいいだけだ、と笑ってくれるカルに、設定を大いに利用してその上をいけばいいだけだ、と納得できたのだから。
だから、わたしも覚悟を決めた。
「それなら、わたしは何度だって、カルのことを惚れさせてみせるから。そうだよね、乙女ゲームで言うなら、初期設定の時からすでに好感度がマックスな状態なんだもの。これからそれ以上に好きになってもらうってことは、わたしたちは、めちゃくちゃラブラブな夫婦になれるってことだよね」
あれほど嫌がっていた乙女ゲームに例えるなんて、本当におかしな話だと思う。けれど、そう考えた時、不思議とわたしの心が落ち着いた。
(ここは乙女ゲームの世界だから)
だから、これから恋愛することで、好感度は上がるし、何もしなければ好感度は下がる。それはきっと、普通の恋愛と同じ。
ただ、カルとの恋愛にはシナリオはないし、もちろん断罪イベントもない。
(全ては、わたし次第ってことだよね)
「よし! そうと決まったら、覚悟してよね、カル!!」
最後には、わたしは屋敷中に響き渡るほど大きな声で叫んでいた。
一方のカルは、俯いて肩を震わせていた。その姿を見たわたしは焦る。
(えっ、カルのことを怒らせちゃった? そうだよね、わたしのことを好きって言ってくれていたのに、一度はその気持ちを蔑ろにしてしまったのだから)
「カル、ごめ……」
「あはははははっ!」
わたしが謝ろうとした瞬間、その言葉をかき消すように、今までにないカルの大きな笑い声が響き渡った。だから、さらにわたしは焦った。
(わたし、変なこと言っちゃった? いや、前世とか神様とか乙女ゲームとか、すでにいっぱい変なことは言ってるよね)
「あはは、本当にスーフェはおもしろいね。今もまた、スーフェを好きって気持ちが、大好きだって上書きされたよ」
カルはわたしの瞳を見つめて嬉しそうに言った。わたしは自分が映し出されているその瞳から目が離せなかった。
「スーフェ、僕はスーフェが大好きだよ。この気持ちは僕の目の前にいるスーフェに対して、今、芽生えた気持ちに間違いないよ」
その言葉に、嘘偽りなどこれっぽっちもないことくらい、カルの心の声を盗み聞かなくても信じられた。
それがカルにも伝わったのか、続けてわたしに言う。
「めちゃくちゃラブラブな夫婦か。将来が楽しみだね!」
大人びたいつもの優しい微笑みではなく、少しだけ悪戯な笑みを浮かべながら発するカルの言葉に、わたしが顔を真っ赤にしたのは言うまでもない。