断罪イベント?
普通の学園生活を満喫しすぎているわたしたちは、とうとう卒業の日を迎えた。
何もかも忘れてしまいそうになるくらい楽しい学園生活だった。今思うと、考えたくないからこそ、思いっきり楽しもうとしていたのかもしれない。
そして、学園生活の最後を締め括るイベントといえば、普通なら感動的な卒業式だ。
けれど、ここは乙女ゲームの世界、のはず。だから、卒業式の後には断罪イベントが始まる、はずなのだけれど……
「やばい!! あり得ないくらい、全くなんとも思わない!!」
不安に思うどころか、心臓の高鳴りさえ全くない。むしろ、まっすぐ家に帰ろうかな、とさえ思っているくらいだ。
「でも、中庭に吸い寄せられる!!」
どうしてなのか、断罪イベントの会場である中庭に足が向いてしまう。
「まさか、これが噂のゲームの強制力!?」
少しだけわくわくしてしまったわたしがいる。そんな茶番を演じるわたしを見て、カルは呆れながらも笑ってくれる。
「スーフェったら、そんなに乙女ゲームがやりたかったの?」
「やっぱりさ、小さい頃からずっと乙女ゲームの世界だと身構えていたから、何も起こらないと拍子抜けっていうかさ」
「そんなこと言ってると待ち合わせに遅れるよ? 今日は何する予定なの?」
「ベロニカに、ライアン王子を仕留めるのを協力してってお願いをされたの。仕留めるも何も、すでに二人は両思いじゃん!! 今更何言ってるんだろうね?」
しかも、中庭を指定するあたり、ベロニカの本質は、やっぱりヒロインではなくヒドインなのかもしれない。
中庭に着くと、すぐにライアン王子の姿がわたしの目に飛び込んできた。そして始まる? 断罪イベント。
「スフェーン・オルティス!! お前に一言物申す!!」
ライアン王子がわたしに向かってビシッと宣言してきた。もちろんライアン王子の隣には、いつも以上にイチャついているヒドイン、ベロニカが立っている。
このまさかの展開にわたしの胸は躍り出す。ようやく乙女ゲームのイベントが始まったのかもしれないのだから。
このまま本当に何も起こらなかったら、無駄にビビらせやがってと、神様に文句の一つでも言ってやろうと思っていたのだけれど、仕方がないから許してあげよう。
けれど、転生悪役令嬢の性なのか、ライアン王子の言葉を素直に聞く気になれない。
「絶対に嫌。もう帰ってもいい?」
「ダメに決まってるだろ!? そもそもスフェーンが、これを所望したんじゃないか!!」
前言撤回。乙女ゲームの断罪イベントではなく、“なんちゃって断罪イベント”が始まるらしい。やっぱり神様に文句を言ってやろうかな。
「そもそも、わたしが断罪される理由なんてないじゃない」
だって、ヒロインのことは虐めてないし、自分で言うのもなんだけど、成績もそれなりに良くて模範的な生徒だったはず。
だから、わたしが断罪される理由は……
「あ! 不敬罪!?」
不敬罪で断罪なら心当たりがありすぎる。わたしの態度も言葉遣いも全てが不敬。今から冒険服に着替えてくるべきか悩むほど。
「おい、まずは黙って俺の話を聞け!!」
「ふふ、ライアン様、これでも飲んで、落ち着いてください」
ベロニカは、いつも持っている自分のマイボトルをライアン王子に手渡した。
「ベロニカちゃん愛用のマイボトル!? い、いいの?」
「いいの? って、あんたって、本当に気持ち悪いわね」
ベロニカのマイボトルを見つめ、顔を真っ赤に染めるライアン王子に、はっきり言って引いた。
きっと、間接キスだ、とでも思っているのだろう。
「ふふ、もちろんです。これを飲むと、一気に心も身体も浄化されるベロニカ特製ドリンクなんですよ」
ちなみにあたしが口を付けたのはここですよ、と囁くベロニカはやっぱりヒドインだと思う。
「ベロニカちゃんは誰かさんと違って女神だな。いただきます!!」
ごくごくごく、とライアン王子はベロニカ特製ドリンクを一気飲み。
……したと思ったら、バッターンと倒れた人が約一名。もちろんそれはライアン王子に決まっている。
瞬間、中庭が尋常じゃないほど慌ただしくなり始めたではないか。
「殿下!? 至急至急!! 殿下に毒物を飲ませた模様、その者たちを捕らえよ!!」
ライアン王子の護衛たちが、どこからともなくやってきたからだ。
ちょっとだけまずい状況だと判断したわたしは、ベロニカを問いただす。
「ねえ、ベロニカ? ベロニカ特製ドリンクって何を飲ませたの?」
「ふふ、とっても美味しいお水よ」
“美味しいお水”
この言葉に、とっても嫌な予感がしたわたしは、ベロニカの持つマイボトルの匂いを嗅ぐ。
「うわっ、酒じゃん!! しかも、超きっつい!! 何これ!?」
匂いを嗅いだだけなのに、くらりと眩暈がしてしまう。お酒は二十歳になってから。けれど、それは前世日本の法律の話。
「ふふ、今日はとってもおめでたい日だから、奮発していろんな種類を混ぜてみたのよ!」
平然と、その特製ドリンクをがぶ飲みするベロニカに、わたしは思いっきり引いてしまう。
「うわ〜っ、もしかして、常習犯? 今までの優雅なティータイムも、実は中身はお酒だったの?」
否定も肯定もしないベロニカは、相変わらず笑みを浮かべるだけ。
それはそうと、王子ルートだけは何となく覚えているわたしは、実はこの光景に何となく覚えがあった。
乙女ゲームの中のベロニカが「この恋が許されないのならいっそのこと……」とか何とか言っちゃって、あろうことか悪役令嬢のスフェーンと結託して、王子暗殺を企てるバッドルートだ。
もちろんこの後牢屋に入って斬首刑。
「はあ、ない、あり得ない。ベロニカ、さっさとライアン王子のアルコール中毒を治してやりな。護衛どもも、ベロニカが飲んでぴんぴんしてるんだから、そのベロニカのマイボトルに毒なんて入ってないわよ」
と言いつつも、中身は毒に近い酒だ。下手したら本当に死ぬ。
ここでふと思う。ベロニカが言っていた「ライアン王子を仕留める」という宣言。
ライアン王子の心を仕留めるのではなく、命を仕留めるということなのか?
真の狙いは王子暗殺!?
……なわけないことくらい分かっているわたしは、早くしろ、とベロニカを促す。
「もう、仕方ないわね」
ベロニカが、毎度の如く、ライアン王子をぎゅっと抱きしめて聖魔法をかける。
わざわざ抱きしめなくても本当は聖女の力は発動する。ライアン王子が目覚めた時の反応が見たいがために、ベロニカはわざとやっている。
やっぱりベロニカの本質はヒロインでも聖女でもないと思う。真正のヒドインだ。きっとそのうち「ざまぁ」されるのだろう。
「……う、うーん、一体俺はどうしたんだ?」
「ふふ、ライアン様、お目覚めになられましたか?」
「ベ、ベロニカちゃん!? それもこの体勢!?」
ベロニカは今、正座をして、ライアン王子を抱きかかえている。その姿は紛れもなく聖女様。
急性アルコール中毒は治っているはずなのに、顔を真っ赤に染めたライアン王子は、あたふたとしている。
「ねえ、ライアン様、スーフェに物申すんじゃなくて、あたしに何か言ってくださらない?」
「ベロニカちゃんに!?」
にこりと聖女の微笑みを浮かべたベロニカに、ライアン王子がさらに顔を真っ赤に染めて慌てふためく。
「ええ、ケールには子供が生まれたし、スーフェも卒業してすぐに結婚するんですって。だから……」
その瞬間、覚悟を決めたライアン王子は、スタッと立ち上がった。ベロニカもそれに続いてゆっくりと立ち上がる。
「うわっ、悪魔がいる……」
ベロニカの、にやりと笑ったその顔を見てしまったわたしは、思わず震えた。聖女の皮を被った悪魔が目の前にいる。もう誰も止められない。
「ベロニカちゃん、俺と結婚してください!!」
「はい。喜んで!」
ベロニカが見事にライアン王子の心を仕留めた瞬間だった。
周囲から歓声が湧き上がる。それはきっと、王子ルートのハッピーエンドのエンディングと同じなのだろう。
「何この茶番? 今、完璧に言わせてたよね? これが断罪イベント?」
もちろんわたしは呆れてしまった。けれど、まあ、いっか。
「ベロニカ、おめでとう〜!! お幸せに!!」
こうして、乙女ゲームの物語は終わりを告げた。やっぱりどう考えても乙女ゲームとして成り立っていなかった。
「スーフェ、俺たちも二人に負けないくらい幸せになろうね」
「カル、……うん、幸せになろう」
卒業したら、すぐにわたしはカルと結婚をする。それはずっと前から決まっていたこと。わたしが望んだこと。
順風満帆で幸せいっぱいのはずなのに、どうしてか、心の中にもやもやが巣食っていて。
そんなわたしは、やっぱりすっかりと忘れていた。約十年前に、違うルートのフラグが立っていたことに。