悪役令嬢の名前
「ルベに、逃げられた!!」
屋敷に戻ったわたしは、混乱に乗じて逃げたルベのことを思い出し、部屋の中で一人悔しがっていた。
「もうっ、逃げないって言ったから離してあげたのに! 今度会ったら、もふもふ祭の刑に処してやるんだから!!」
そうは言いつつも、あの時の使用人の言葉も気になって仕方がない。
「魔王って言っていたよね? 雷魔法が使えるのは魔王だけ? 魔王=雷魔法、ルベ=雷魔法、ということは、魔王=ルベってこと!?」
見事な公式が成り立ち、わたしはぶんぶんと頭を左右に振った。
「まさかそれはないよ。あんなに可愛い黒猫ちゃん=魔王という公式は、絶対にあり得ないに決まってるもの」
そう思いたかった。でも、少しだけ想像してしまう。
可愛い黒猫ちゃんが魔王、ではなく「にゃ王」として君臨する「にゃ界」を。
「やばいっ、可愛いすぎるんですけど!! もふもふ天国じゃないの!!」
にゃ王が君臨するにゃ界は、猫ちゃんの楽園に違いない。
ルベのあの艶々とした漆黒の毛並みは、にゃ王としての威厳そのものだと考えると、納得がいく。
「わたしもにゃ界に行きたい。ルベだけずるい!」
それに、本当なら今頃は、にゃ王のルベをもふもふしていたはずなのに。
「あ、そうだ! わたしが自分のスキルを見られるってことは、きっとわたしのステータス的なものも見られるってことだよね? わたしってどんな魔法が使えるんだろう?」
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【魔法】 清浄魔法、火属性魔法、土属性魔法、風属性魔法、水属性魔法、雷属性魔法
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「わぁ! たくさんの魔法が使えるみたい!」
思いのほか、たくさんの魔法が使えることを知り、わたしは嬉しくなった。
「清浄魔法って、お風呂に入らなくても綺麗をキープって魔法だよね? 旅に出るためにあるような魔法じゃないの。めちゃくちゃありがたい!」
オルティス侯爵家はお風呂があるから、今は使う必要はないけれど、旅に出たらそうはいかない。
心がいつも清らかなわたしは、身体も常に清潔でありたいと思っている。
「あれ? どうして雷魔法も使えるの? ルベから盗んだから? でも、その後にきちんと返したはずだよね? ルベも納得してたし」
どうしてか、少しずつ嫌な予感がしてきた。以前にも感じたことのあるような、得体の知れない不安がわたしを襲う。
「ステータスって、名前とかも見ることができるはずだよね?」
見ない方がいいよ、と誰かが言っている気もするけれど、わたしはおそるおそる、頭の中に浮かんできた文字を読んだ。
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スフェーン・オルティス 『転生者』『悪役令嬢』
【従魔】 黒猫 (ルベライト)
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しばし、わたしの脳の処理能力が止まったのが分かった。わたしの脳が、理解することを拒否していた。けれど、目を背けてもいられない。
「……なんだこりゃぁぁぁぁぁ!!」
見てはいけない文字を目にしてしまったわたしは、頭を抱えて叫んだ。
「嘘でしょ? 何かの間違いだよね? 悪役令嬢って、どういうこと!?」
悪役令嬢、その漢字四文字が、わたしに重くのしかかる。
「悪役令嬢って、あれでしょ? 可愛いヒロインの女の子を苛める意地悪なお嬢様。えっ、本当に無理なんだけど……」
あり得ない。わたしが悪役令嬢だなんて、そんなの認めたくない。
だって、悪役令嬢と言えば、読んで字の如く悪役のご令嬢。乙女ゲームやライトノベルに出てくる、可愛いヒロインを苛める意地悪なご令嬢のことだろうから。
それが意味することと言えば……
「もしかしなくても、この世界は冒険ファンタジーの世界では、ない?」
たらり、とわたしの額から汗が滴れ落ちた。
考えたくはないけれど、もし仮に、この世界が乙女ゲームの世界だとすれば、一体どの乙女ゲームの世界なのか……
「えっ、全く分からないや。たとえ、それが分かったとしても、わたしにはどうしようもできないと思うし」
考えることを放棄し始めたわたしは、すでに諦めモードだった。それもそのはず、前世のわたしは、乙女ゲームを真剣にプレイしていなかったのだから。
はっきり言って、ほとんど覚えていない。
「けれど、乙女ゲームの悪役令嬢って、だいたい悲惨な運命を辿るんだよね?」
そして、ふと思い出す。
「はっ!? わたしが生まれた時に、スフェーンという名前を聞いて胸騒ぎを覚えた理由って、まさかこれ!?」
両親から名前を授けてもらった時に、嫌な予感がした理由。
「スフェーンという名前は大好きだし、お父様とお母様が付けてくれた大切な名前。わたしもとても気に入っているのに……」
泣きたくなった。大好きな名前だから、絶対にこの名前を嫌いにはなりたくない。たとえ、どれだけひどい悪役令嬢の名前でも、わたしの名前だから。
でも、今のわたしの頭の中はぐちゃぐちゃで、情報が錯綜し始めている。
「とりあえず情報収集をしなくちゃ。本当にこの世界が乙女ゲームの世界だとしたら、乙女ゲームのスタートは、きっと高校生くらいのはず」
ロバーツ王国には、王族や貴族、魔力量の多い者が通うことのできる王立魔法学園があり、13歳になる年からの三年間が中等部、16歳になる年からの三年間が高等部に通うことになる。
だから、もう少しだけ猶予がある。
「それに自称神様と冒険ファンタジーの世界に転生って約束したし!」
きっと大丈夫、気のせいだ、と自分に言い聞かせるわたしが、この世界が乙女ゲームの世界だと確信するのは、意外にもすぐに訪れてしまう。