魔術師の限界
「えっ? 今、魔術って? あなたも魔術について何か知ってるんですか?」
わたしはわざとらしく女性に尋ねた。わたしに対する怒りから逃げるためには絶好のチャンスだったから。
わたしの問いにハッとした表情を浮かべ、そして、ぽたりと涙を落とした女性は言葉を絞り出す。
「彼を、彼を止めてください……もう、……彼は限界なんです」
女性の必死の様相に、わたしたちは思わず息を飲む。けれど、はっきり言って話が見えない。
「彼? って、誰? カルじゃなくて、カレ?」
女性の言う彼が、もちろんカルのことではないだろうことくらい分かっている。そんな中、理解の良い黒猫ちゃんは察したらしい。
「シアンのことか? 正確にはシアンが乗り移った魔術師」
女性はこくりと頷いた。さすがルベ。一を聞いて十を知る黒猫ちゃん。
「限界ってことは、やはり“共存”だったのか」
「共存?」
「軀の持ち主の同意を得て魔族の魂が乗り移る。一つの軀に対して魂が二つある状態だ。でも、共存なんてできるわけがない。結局は魔族に全てを支配される。完全に乗っ取られ、もう二度と表に出ることはないだろう」
ルベが以前言っていたことを思い出す。高位魔族は、死んですぐの軀、死にそうに弱い軀、持ち主の同意を得た軀、に乗り移ることができるということを。
シアンもルベと同じく、高位魔族に該当するらしい。
「ルベはそうして“共存”だと思ったの?」
「魔術がきちんと使えているからだ」
ただ軀を乗っ取っても、その人の持つ知識などを知ることはできないらしい。
シアンは魔術師と“共存”を選んだからこそ、その魔術師の持つ知識を教わることができ、きちんとした魔術を使うことができた。
ただ、シアンが魔術を取得することだけが目的であれば、シアン自体が魔術を理解した時点で魔術師の意識--魂は用済みになる。
魂を軀の中から排除することはできないから、もう二度と表に出てこないように追いやるだけだ。
「その乗り移られた魔術師の自我はまだあったのか?」
「常に、ではありませんが、私の前では辛うじて、まだヨシュアでした」
「ヨシュア……」
ヨシュアという名前を聞いて反応したのはカーヌムさんとアルカさんだった。
心なしか安堵と困惑が混ざったような表情が窺えた。きっと魔術師繋がりで知り合いなのだろう。
「ヨシュアさんとは恋人だったんですか?」
「少なくとも私は……」
愛していました、その言葉の代わりに、女性の頬に涙が伝った。
女性はテレーサさんと名乗ってくれた。公爵領にある孤児院の出身らしい。
「私がまだ十代の頃、孤児院の前に倒れているヨシュアと出会いました。ヨシュアは田舎を飛び出してきたと言い、行き場のない彼も孤児院で一緒に暮らすようになりました。大人になってからも、私は孤児院の子供たちの面倒を見るために孤児院に残り、ヨシュアも公爵家のお手伝いをしながら孤児院を気にかけてくれていました。でも、それがまさかこんなことになるなんて……」
「公爵家の手伝いって、まさか」
その手伝いというものがどのようなものだったのかはすぐに予想がついた。それはテレーサさんの言葉で確実になる。
「ヨシュアはお察しの通り魔術師です。その力を悪いことに使ってしまったみたいなんです。とても有名な方に魔術を、それも呪術をかけてしまったと悔やんでいました」
「お祖父様の呪いのことですね」
「お祖父様?」
「わたしのお祖父様が、以前公爵家に関係する人から呪いをかけられました」
わたしの言葉を聞いて、テレーサさんは一気に青褪めた。
「申し訳ありませんっ!」
「わわっ、顔をあげてください!! テレーサさんが謝ることじゃないですし、それにもう呪いは解けましたから、安心してください」
「でも……」
「あ! もし申し訳ないな、と思うなら、どうしてそんなことをしてしまったのか、テレーサさんが知っていたら教えてくれると嬉しいです」
少しだけ逡巡した後、テレーサさんは本人からはっきりと聞いたわけではないけれど、と前置きした上で教えてくれた。
「ヨシュアは、孤児院を潰すと脅されていたのだと思います。私たちの居場所を守るためにやってしまったのだとしたら納得ができますから。でも、納得はできても決してやってはいけないことだということは重々承知しています。案の定、今度はそのことを脅されるようになって……今度は、子供たちの命を……」
「魔族召喚」
ルベが呟くと、テレーサさんはこくりと頷いた。
「ヨシュアが一番最初に召喚したのが、彼の中にいる魔族の方です。名前は先ほどおっしゃられていた通り、シアンと名乗っていました」
「そもそも、ヨシュアさんはどうして魔族召喚なんてしようと思ったんですか?」
「きっと、公爵様の御子息様が関係していると思います。大きな声では言えませんが、あまり良い方ではありませんでしたから」
公爵様の御子息と聞いて思い浮かぶのは、ばか息子。魔術師を雇って呪術をかけようとするくらいだから、魔族召喚を企んでもおかしくはない。
「孤児院に来るはずだった子供たちを生贄として捧げていたみたいです。ただ、去年あたりから子供を連れてくることがうまくいかなくなったようで」
それもそのはず、チェスター王国のトイツ村で子供攫いを実行していた魔族は、すでに亡くなってしまったから。
あれからチェスター王国では子供攫いに対する対策も強化している。
なかったことにはなっているけれど、ブルー自身も捕まって、子供たちの悲惨な現状を目にしたからこそ決して他人事とは思えないのだろう。
「だから、今度はすでに孤児院で暮らしている子供たちを生贄にしようと企んでいるみたいなんです。もうヨシュアの力だけでは今いる孤児院の子供たちを守るのは限界だから、誰かにこの事実を話してくれって、ヨシュアの中のもう一人が眠っている隙を見て、私のことを逃してくれたんです」
「それで森に逃げ込んだんですね」
森に逃げ込んだテレーサさんを、精霊さんたちが保護をした。そして今に至る。
「……ヨシュアの命を犠牲にしてでも、ヨシュアを止めてください。それがヨシュアの望みです」
テレーサさんは、顔を上げてはっきりと言った。手はぎゅっと握って、身体は震えている。
今の言葉を発するのに、どれだけの覚悟を要したのだろうか、わたしには到底計り知れない。だからすぐに「はい」とも言えなかった。
「……ルベは、いいの?」
だって、シアンはルベの大切な魔族の仲間だから。ルベがはっきりと言ってくれたわけではないけれど、きっとそうだと思った。
ずるいけれど、ルベに判断を委ねてしまう。人の生死に関わることだから、わたしには怖くて判断などできなかった。本当にわたしはずるい……
「ヤツのしてきたことは、絶対に取り返しのつかないことだ。だから、それ相応の報いを受けるべきだ」
わたしの意を知ってか、ルベははっきりと告げた。その言葉に迷いはなかった。元魔王としての決断だったのだろう。