遠距離恋愛の弊害
「紹介したい“女性”……」
一瞬にしてわたしの頭の中が真っ白になった。というか、考えることを拒否している。
「紹介したい女性だなんて、カルセドニーさんったら、スーフェのいない間に浮気かしら?」
「うわき……」
全く悪気なく発するベロニカの言葉がわたしの繊細な心にぐさっと突き刺さる。
確かに、紹介したい女性との一文を読んだ時、真っ先にその言葉が頭を過った。けれど、カルに限ってそんなことはあり得ない、そう思いたかった。
それなのに、浮気という言葉を自分以外の誰かの口から発せられたことで、やっぱりそう思うよね、と一気に現実味を帯びてしまい、わたしの全身から、サーッと血の気が引いていく。
「あら? ロバーツ王国も一夫多妻制だったっけ?」
「違う、絶対に!!」
わたしは大きく頭を左右に振る。
マジDEATHが日本で発売された乙女ゲームだからか、その舞台であるロバーツ王国は日本と同じ一夫一妻制度だ。それは王族も。
だからこそ、言い方は悪いけれども、一度婚約してしまえば安泰だと思っていた節があった。
そんなわたしに追い討ちをかけるように、わたしの繊細な心を抉る者がいた。……ミケだ。
「カルさんは男の俺から見ても、良い男だと思いますよ。そりゃあ女性たちが放っておかないでしょ? お相手も一人じゃないかもしれませんよ! まあ、魔王様よりも格好良い男なんていないですけどね」
さすが優秀な諜報員。ルベに関係する人に対する調査は抜かりない。いつの間にかカルの人となりもチェックしていたらしい。
「でもさ、毎日交換日記でやりとりしていたんだよ!? 順調に愛を育んでいたんだよ!?」
「残念ね、傷心の旅ならもちろん付き合うわ。どこに行く? 海?」
「海も唆られるけれど、ベロニカ、あなた他人事だと思ってるでしょ? 明日は我が身だよ?」
だって、ベロニカも交換日記で愛を育んでいるけれど、ライアン王子と遠距離恋愛に変わりはない。しかも、ベロニカとライアン王子の付き合いはわたしとカルに比べて遥かに浅い。
「確かに……」
遠距離という弊害が初めてわたしたちに襲いかかった。ベロニカの表情にも影が落ちた、と思いきや、
「あ! その時は慰謝料をがっぽりと貰って、ブルちゃんの側室にでもなろうかしら?」
「はぁ!?」
突然ベロニカが素っ頓狂なことを言い出した。
「だって、ブルちゃんはお金持ちでそれなりに格好良いし、お金持ちでまあまあ優しいし、お金持ちで……」
「要はお金持ちと結婚がしたいわけね。でも、ケールの気持ちも考えてみなよ」
ブルーの婚約者のケールが嫌な思いをするでしょ、と思いきや。
「あら、それも楽しそうね。でも、正妃じゃなくてもいいの?」
「ええ、正妃なんて面倒そうじゃない。ふふ、そう思ったら、ブルちゃんの側室の座もよく思えてきたわ。もちろん愛はいらないから、ケールが思う存分独占してね」
「もう、ベロニカったら!」
何やら、恥ずかしさで真っ赤な顔したケールとにやにやするベロニカが盛り上がり始めてしまった。
そもそもケールは一夫多妻制が当たり前だと思っている。むしろ平民のベロニカには聖女という肩書きがあれど後ろ盾はない。ケールの正妃の地位は揺るがないだろう。
このままだと、ロバーツ王立魔法学園高等部で始まるかもしれない乙女ゲームにはヒロインがいないというあり得ない事態が起きてしまう。
(あれ? それってむしろ、わたしにとっては好都合? 代わりにチェスター王国で乙女ゲームの物語が始まったりして)
誘惑がわたしを襲う。その時はきっと、ケールが悪役令嬢役だろうな、と想像してしまう。
そもそも、スフェーンが王子の婚約者になるという王子ルートから逸脱するために、乙女ゲームとは全く関係のないカルとの婚約を望んだのが始まりだ。
だから、ヒロインが不在で乙女ゲームが成り立たない状態になれば、わたしに婚約者がいる必要はないわけで。
けれど、
「やだよ……」
ぽつりと呟いてしまった。誰にも聞こえないほどの小さな声で。ただ、黒猫ちゃんの耳だけがピクリと動いていた。
「カルセドニーに限ってそれだけはない」
「ルベ……」
今にも泣き出しそうなわたしに、ルベだけがカルを信じろと励ましてくれる。
だからわたしは、ありがとうの意を込めて、ルベを抱きしめようと駆け寄る。けれど、
「ルベ! そこはわたしと熱い抱擁を交わす感動的な場面でしょ!!」
「……」
ひらりとかわされてしまった。
「それよりも、魔術師を雇うならきちんとスーフェの口から親に紹介するべきだろ? 一度みんなで……」
「あ! そうだね。じゃあ、行ってきます!!」
ルベの言葉を最後まで聞かずに、わたし一人だけサクッと転移魔法でカルの元へとひとっ飛び。
お父様とお母様に紹介するためではない。なんだかんだ言っても、やっぱりカルに会ってきちんと確認するのが一番だ。
その時のわたしは自分のことしか考えていなかった。無責任にも、みんなのことを置き去りにしたのだから。