1章2話 - 鋼鉄の処女
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まるで夢だわ。
シャロンはそう独り言ちる。
夢は夢でも、とびきりの悪夢。
地獄の鐘が鳴っている。石畳には髑髏が散らばり、そのどれもが剣や斧で貫かれていた。無数の悪鬼羅刹が、石造りの家屋や教会を襲っている。遙か遠景では、黄金の城が天をつらぬくような鋭角で聳えたち、暗雲をきりさく稲妻によって不気味に輝いた。
現代日本は言わずもがな、たとえ数百年前の欧州とて、絶対に有り得るはずのない光景。
だが、それこそが〈特異領域〉。あらゆる常識に意味はなく、あらゆる信念の強さだけが物を言う世界なのだ。
戦えば修羅道、戦わねば畜生道となるこの場所に、いつまでも彼女を留め置いていられない。そんな気持ちが天に通じたのだろうか。十字路を曲がったさきに黄金の閃光があった。空間のほころびだ。
「見えたわ! もうすこしよ、パンドラ!」
あそこに飛び込めば、ここから離脱できる。繋いだパンドラの手を、いま一度、強く握りしめた瞬間。
「――逃げるだけじゃ事態は好転しねェぜ、騎士様よォ!」
「がッ、ああっ……!?」
衝撃が、腹部をつらぬく。
よろめいた。それでも歯を食いしばって踏みとどまる。口腔に留め得なかった血液が、きつく引き結んだくちびるからあふれ、石畳を汚した。
恐る恐る下腹部をみやれば、鳩尾から剣が生えている。血で彩られた刀身に、驚愕の表情をうかべる自身が映った。
「シャロン……っ!?」
「だい、じょ、ぅ、あッ……!」
ここでとまるわけにはいかない。無理矢理にでも走りだそうと足を踏みだして――また膝から頽れた。思った以上に、傷が深い。……このままでは死ぬ。ふたりとも殺されてしまう。
唇の端からこぼれおちる血潮をそのままに、前を見た。シャロンという命は風前の灯火かもしれないが、界の裂け目は消えていない。まだ可能性は残されている。
ゆえにシャロンは幼子の手をそっと離して、先を――未来を指し示す。
学園はすぐそこだ。
「……行って、パンドラ。学園はもう目の前よ」
「やだぁっ! シャロン、死んじゃうよ……っ!」
「勘違いしないで。私は殺されにいくんじゃない、勝ちに征くの。だからあなたも――行って!」
繋ぎとめていた手で、指先で、今度は少女の背中を押す。今にも泣きだしそうな顔をしたパンドラは、一拍の逡巡をおいて、それでも走りだした。銀色の髪が翻り、遠ざかっていく。
それでいい。騎士たる己ただひとりが残ればいい。
ここは今から戦場と化すのだから。
「……臭っせェ茶番劇は終わったかァ?」
「ええ、待たせたわね。――カイン!」
腹の剣をひきぬき、背後にむかって大きく振りかぶる。血濡れた鋒端のさきにいたのは、やはり想像に違わぬ人物だった。
金髪、白皙の肌をした、金銀妖瞳の美青年。
金鉱石のごとき重厚な存在感とは裏腹に、どこまでも装いは薄っぺらい。無地のシャツ、タイトなストレートデニム。腰まわりには貴金属のアクセサリーが群れをなしている。現代人のシャロンよりよほど俗世じみた格好をしているが、彼こそ創世記にその名を残す〈原初の咎人〉。
「感謝の言葉なんざ要らねェぜ。オレ様にも事情ってモンがあるからなァ」
「なにを企んでいるのか知らないけれど、その余裕、すぐ後悔に変えてあげるわ!」
「ハッ、そうかよ。なら土壇場からの逆転劇――しかとこの目で見届けさせてもらうぜェ!」
カインはおもむろに腕をひろげた。
石畳を、而して無数の骸骨をつらぬく衝撃が、狂風となって荒び麤ぶ。
号令一下、彼を同心円状にして幾多もの剣鎗斧銃が降りそそいだのだ。そのなかから大剣をとると、矢弾のように投擲した。
落雷も恥じいる神速だ。かすめるだけで致命傷になりかけない凶刃だ。
だがシャロンは踏みとどまる。背はむけない。目も瞑らない。臍にちからをこめ、歯を食いしばり、殺戮の剣尖を真正面から迎え撃つ。
「はああああッ!」
剣をふりかぶり、圧倒的な膂力で打ちおろす。
光が裂け、爆轟音が響きわたった。
爆風が晴れるにつれ、たがいの獲物の惨状がつまびらかとなる。カインの大剣は石畳どころか千尋の底。シャロンの剣は鍔ぎわから折れ、砕けるどころか消し炭となっていた。
「私は王城の騎士シャロン・アシュレイ! ここから先には進ませない!」
今の一撃で、腕の膂力はほとんど残っていない。抑えてもなお湧きあがる震えを隠すため、柄だけになった剣をカインの足下に投げ捨て、肩にかかった髪を指先でうちはらう。風に踊らせ、あるはずのない余裕を見せつけた。
「私を突破することは王城を破壊するに等しいと知りなさい!」
「王城? 騎士様ァ? 笑わせてくれる。てめえは貞操帯で重装備した生娘にすぎねぇ。……動かねえ獲物なんざ格好の的だな」
カインは左手を掲げ、高らかに指を鳴らす。
一音は高く、遠く、はてしなく。天をつらぬき、雲を割り、彼方から雷を呼び寄せた。
まるで万壊のファンファーレ。破壊衝動を煽られた悪鬼羅刹が、群れをなしてシャロンににじり寄る。遙か遠く、黄金の城を飛び翔っていたはずの竜までもが、雷鳴を伴奏に現れ出でた。
「獲物は獲物らしく――捕食者に喰われなァッ……!」
左手をふりおろすと同時、獰悪の魔物が一斉に襲いかかった。シャロンはすぐさま魔剣を創造し、上下乱打でうちはらう。だが一閃で二体を斬りさばこうが、三撃で八屍を積もうが、敵の数は尽きる気配をみせず。
ゆえに気付かなかった。
カインが手短な猟銃を一挺とりあげるのも、飛びかかる魔鬼もろとも照準を定めたのも。
「だァから、動かねえ獲物なんざ格好の的って言っただろうが」
雷鳴を隠れ蓑に、弾雨のごとき魔弾は放たれた。
魔弾。――そう、まさしく魔弾だ。
弟殺しの罪により、いかなるものも生み育てることのできない彼の生は、狩猟によって成立している。獲物という言葉も、標的という意味も、鼻で笑ってしまえる凡百な繋鎖でしかないはずなのに、彼の自負がゆるさない。
増した神威は、銃弾の重さとなり。
殺意は速度を後押しし、驕慢さは数となって顕れた。
鬼も、竜も、金髪の少女も。石畳も、家屋も、教会も。あらゆるものをことごとく粉砕する。
「……ヤったかァ?」
煙をあげるだけとなった銃口に息をふきかけながら、カインは無感動に呟いた。
発砲音でわかりづらいが、生き物の悲鳴が途絶えて久しい。血にそまる濃霧に動く影はみあたらず、石畳には薬莢と鮮血が花びらのように散らばっていた。巻き添えになった背後の教会が音をたてて倒壊し――その衝撃が霧と塵を吹きはらう。
晴れ渡るにつれあらわとなったのは、狩人にとっては順当で、黄金の騎士にとっては屈辱の光景。
石畳につきたてた剣は刃毀れが凄まじく、杖がわりにするのがやっとだった。綾羅錦繍は血と粉塵に彩られ、騎士というよりも浮浪児の有様だ。
「……は、あっ、……はっ、……ぅ、く……よくも、やってくれた、わね……!」
「そこは犯ってくださり有り難う御座いますって言うところだろォが、まァ、いい。
en á skjöld til hlífar,
(盾には守り)
mæki höggs,
(剣には打撃)
――と来たら〝en mey til blóð afleitandi(処女には破瓜)〟と相場が決まってる。礼には及ばねェぜ」
「……ッ、ふざけ……!」
衝動のままに吼えたシャロンは、だがすぐさま言葉を断ちきり、思考を切り替える。
落ち着いて考えろ。敵は単騎、かつ元人間。生まれつきの神眷魔境ではない。パンドラが学園にたどりつき、仲間の騎士が応援にきたなら、撃退は決して夢物語で終わらない。そのためにも盾となり、殿としての務めをはたさなければならないのだ。
しかしただ防衛するだけでは、今のように一方的にやられるだけ。なによりシャロンの性に合わない。ならば。
「……いいえ、そうよ。私は純潔。貞操帯をつけた生娘って言われて否定できない。――だから!」
殺されにいくのではない。勝ちに征くのだ。
勝機はある。死地のなかにこそ。
「世界よ、今ここに宣誓する!
私は純潔の乙女――〈鋼鉄の処女〉であると!」
「……なにィ!?」
嗤いたければ嗤え。とっくに合流しているはずだった同胞は、せっかくの花の盛りですのに、なんて苦笑するのだろうけれど。だからなんだ、だからどうしたと返してやる。
そう、肯定するのだ。カインに押しつけられた定義をそのまま受け入れる。押しても駄目なら一度引いて、それでも駄目なら――さらに深く貫いてみせる。
「汝よ、世界よ
我が魂、我が真紅こそ其の聘物!
ゆえ汝もまた全き我とならんことを!」
シャロンの意志にこたえ、黄金の光がほとばしった。
発射された幾万の兇弾と、失われた大量の血液が、シャロンの戦闘服を覆っていく。敵にとっての強靱なる矛が、シャロンの強靱なる盾となって顕現する。もうこれ以上の凌辱に苛まれはしない。
「原初の咎人よ、汝にふさわしき罰を受けるがいい!」
命令をうけて、いくつもの拷問器具が召喚された。血の雫のように丸く、鉄錆のように黒く、なにより――すべてを噛砕する獰猛な牙をみせびらかした鋼鉄の処女が、なだれをうって金晴眼の美青年を攻め潰しにかかる。
「処女の騎士っていやァ、ジャンヌダルクあたりだろォが。んな雑な〈恩恵享受〉でオレ様に勝てると本気で思ってやがんのかァ?」
「火刑を狙えなくてざまあみろだわ!」
「ぬかせ、雑魚がァッ!」
カインが残る刀剣を投げつけると、ただ一振りしかない刃が幾筋にも分裂して襲いかかった。銃も同様だ。発砲は一音にもかかわらず兇弾が遠望千里をうめつくす。
だが怒濤の勢いで少女を穿ち、貫くはずだった翅翼なき霰弾は、鋼鉄の処女にふれたそばから鈍沈した。
「……鑠かして受け入れて吸収する。ちったァ雌らしくなったじゃねえか」
瞠目は刹那。
攻撃がそのまま相手の防御に繋がるとみてとったカインは、ふたたび指を宙に掲げ。
天に地あらば、卍に巴。方々に散らばっていた彼の幟がただひとつところに収斂して、潦に――否、鉛の海と化す。同瞬、それは暁天をあおぐ鎗の化身として息吹をあげた。
「これで逝かずにいられたら褒めてやるぜッ!」
この切り替えの迅さは流石というしかない。銃弾の殺傷能力をあげるのではなく、吸収するならばさせてやるという潔さ。当然、それがシャロンの利になるはずもない。同化させ、身動きできないようにしてしまえという冷酷な嘲弄。
シャロンが雌ならばカインこそが雄というわけか。まるで犯して孕ませて囲い込まんとする、反吐がでるほど支配的な雄性。
だからこそ絶対に負けられない。
決着の刻がせまっていた。
まだ続く