3章10話 - 共食い
「……さっすが七つの大罪〈暴食〉様。そうきたか」
共食い。
そうとしか言いようがない。
共鳴でも同化でもなく、一方的な侵蝕かつ蹂躙。
ベルゼブブの蝿蛆が群飛したさきは、同輩ベルフェゴールだった。糞と腐敗の王によって、たちまち好色の悪魔は腐毒に犯され、肉を喰われ、体積をうしなっていく。
〈裏切りの魔鎗〉に〈吸血鬼による隷属〉がある以上、ベルゼブブにとっての蝿蛆に該当するような配下をもたぬベルフェゴールは、味方殺しの罪を犯す危険性がある。
またキリスト教によって貶められた彼ら二神は、イシュタルとは無関係に、似て非なる性質をそなえていた。糞便と黒蝿。性愛と好色。暴風と慈雨。だから増強という意味において、同族喰いはそう悪くない判断なのだろう。
だが人はそれを戦略とは言わない。悪魔の所業と呼ぶ。
「我、審議する
其を潤飾する綾羅錦繍が
大過嗜欲の悪魔であるならば
大きな地から大きな天へ
我、新義する
汝ら七つの悪魔を滅すたび
主の復活がごとく地上への帰還が能うと!」
同瞬、神魔の叫喚が絶えた。残る下級神魔――魔蛇、鬼女、悪魔の饜食すら果たしたベルゼブブが、地獄の軍勢となって突貫する。
「クソ忌々しいゴミ蝿どもがァ! オレ様の許可なく視界に入ってんじゃねえ! 叩き潰してやるよォ!」
果敢にたちはだかったのはカインだ。〈七倍の復讐〉があれど負傷そのものは蓄積されるため、いつ倒れてもおかしくないほど限界寸前。だがそんな素振りなどまるで感じさせない軽捷さで敵陣に斬り込んでいく。
「同感。黒くて分身兼飛び道具持ちの腹減り野郎とか、俺の許可とってからキャラパクれっつう話だよな!」
光さえも疾く縫いつけんばかりの銃撃が、ナオの血液に染まり、打突の威を嵩増した。避けようにも逃げ場はない。敵はあっというまに矢衾をあび、真紅の火光があたり一面を映じた。
火燼。いや、もう戦火だ。
戦場を焼きつくす地獄の炎。死ねよ絶えよという無限の殺意。
だがそれでも、――それでも遠景の天と地平を埋めつくすのは、幔幕のごとき無数の魔影軍団。炎の海をくぐりぬけ、銃弾の雨に撃たれ嬲られながら、蝿のかたちをした悪魔が禍を負ってやってくる。
「……おい。死ぬなよ人間。てめえが一番雑魚なんだからよォ」
「なによいまさら。今、共闘してるからって、昨日あなたにされたことを水に流したわけじゃないわ」
「喧々癇声うるせェ。クソ雑魚の分際で、オレ様の言うことにいちいちケチつけてんじゃねェよ」
「あーっと、お前ら。死亡フラグはそのへんにしとけよ」
「ぱくれとかしぼうふらぐとか、さっきからわけわかんねェ言葉ばっか使ってんじゃねえぞコウモリ野郎」
彼が話すたび、歯の隙間から真紅がこぼれおちる。あたかも生命の残燭を示唆するように。
「――……目覚めが悪ィだろうが。アベルに関係ねェやつをここまで巻き込んで、あげく死なれちまったらよ」
……そればかりは独り言のつもりだったのだろう。あいにく耳に入れてしまったけれど。
当人は疲弊しきりで気付いていないから、わざわざ訂正はしない。でもシャロンは決して被害者ではない。気弱な彼を巻き込み、あげく騎士となることを迫った。おたがいの事情を押しつけあって、ひとりの人間――皆守紘として向き合わなかった。
「……世界よ、私は今ここに宣誓する」
だから、今度こそ向き合おう。
想いを言葉にして、態度でつたえよう。
あなたを知りたい。バベルでもアベルでもない、皆守紘としてのあなたに寄り添いたいと。
「私は純潔の乙女――〈鋼鉄の処女〉であると!」
「……はァ!?」
カインの悲鳴をまたず、恩恵享受の衝撃波が世界を疾駆する。こぼれおちた仲間の血潮を肯い、シャロンの戦闘服に変えていく。
利するのが主唱者だけと思ったら大間違いだ。〝鐵〟という鎖で繋がっているからこそ、増した神威はふたりにも天降る。そして敵と互角状態にあった彼が、その天露を喉に落とすということは。
「このタイミングでバフとはわかってるじゃねーか!」
現代人のシャロンをもってすら意味不明なスラングと共に、ナオは高々と手を掲げた。
〈暴食〉の恩恵をわかちあい、〈鋼鉄の処女〉の牙はさらに神威を増す。あたかも杭のごとき鋭角と、剣身のごとき尋を得た。
「さあて、ご退場願おうか!」
「てめえにゃなんの怨みもねェが」
「勝つのは私たちよッ!」
当然、刃をおさめる本体がそのままでいるはずもない。共食いにより見上げるほど巨大化したベルゼブブの――頭頂から足蹠、胸前から臀端までをたやすく一嚥みにしてしまえるほど膨れあがる。
ぞろり、と口腔の虚無がさらけだされた。
共食いを是とするならば、みずからも饜禍に遭うのが道理。そして縦横千余丈もの満ちたる虚から逃れられる者は、たとえ大罪にその名を馳せる悪魔でさえ存在しない。あらゆるすべてを嚥下し、胃の腑におさめる。
「……馬鹿な……! 小娘と青二才ごときに、このわたくしがッ……!?」
爆砕音。――爆轟音。
果てる日など永劫知らぬ狂飈は、暴食の悪魔が殷々はなつ絶叫じみていた。
「流石にこれなら……っ!?」
靴底が、薔薇の咲き誇るやわらかな大地に触れる。着地して――いつでも飛び出せるように構えながら、シャロンは煙雨が田を覆うような塵芥の霧に目を凝らした。
不意に、なにかの影が蠢く。
すこしずつ濃淡と輪郭があらわとなり、ひとつの描像をかたちづくる。
「……そんな、まだ生きているなんて……」
現れたのは女神イシュタル。綾羅錦繍のほとんどを失ったせいで、惜しげもなく豊満な肢体をさらしている。しかしさぞ艶めいたであろう玉体は、幾多もの創傷と塵芥、そして身を蝕む七つの枷鎖によって、見るも無惨な姿へと変貌をとげていた。
攻撃にそなえ、各々、武器をかまえ――……彼女が鞺と頽れるのを見届ける。
七を数える悪魔たちは消失した。イシュタルの支配下にあったといえ、同格の者もいたのだから、たとえ首領の座についていようと大淫婦だけが余力を残せようはずもない。数瞬こそ要したものの、豊穣神イシュタルは神話のごとく冥界にくだり、斃れたのだ。
「……ハッ。終わったな」
「ある意味ここから始まるんだけどな」
不穏な言葉が詠じられた直後。
――この世界を、地獄が領く。
まだ続く