3章9話 - Bの悪魔
転瞬、〈矜持〉と〈傲慢〉の黄金が、漆黒の闇を切り裂いた。
「てめえ、あいつの居場所を知りながら黙ってやがったのか!」
「私に偉そうなこと言っておきながらこのざまなんて、ふざけるんじゃないわよ!」
不器用すぎて歪むことを知らぬ騎士と狩人が、耳を聾さんばかりの大喝をあげて、共依存に堕ちかけていた暗黒の世界に殴りこむ。
そう、噛砕されたのは世界。
殴り飛ばされたのは、半人半魔の吸血鬼。
きらめく黄金の彩華によって、狂依存の盲愛はまたたくまに微塵となる。
「……ああ、くそ。よく来たなお前ら――ってもう正気だっつーの」
「あら残念。あと百発くらいは殴ってあげてもよかったのよ?」
「なんならどこぞのコウモリ野郎がしたみたく、全身、蜂の巣にしてやってもよかったんだぜェ?」
黄金の青年少女はそれでも各々拳をとき、黝黒の少年に手をさしのべた。彼は人懐っこい笑みをうかべ、どちらの手も借りて起きあがる。
「なあ、アベル。お前とならバッドエンドを迎えてもよかったんだ。本当にな。……でもさ、俺はお前の支配者でいたいわけじゃない」
こんな地獄を創りあげて、どのくちで言うのか。そう思うかもしれない。
けれどいつか〝親友〟に語った言葉は嘘じゃない。
「今みたいにさ、相手が馬鹿やったら殴ってでもとめるっつーの? 俺はずっと、お前とそういう……対等な親友になりたかったんだよ」
本当は害したいのだろう、と狂妄のアベルは言った。
否定はしない。相手を傷付けないことが優しさのすべてではないように、愛しているという想いのもとで行われる全ての行為が、相手のためになるわけでも、その行為を正当化するわけでもないのだから。
「さてと、シャロン。遅くなったな。これがあのときの答えだ」
ゆえにナオは臆面なく言葉にする。
唯一絶対の行動原理を。
「俺の目的、俺の信念は――〝傷付けてでも、そいつを幸せにする〟こと。イスカリオテのユダがキリストの真の願いを叶えるべく裏切り、死をもたらしたように。ヒロが本当に願うものを叶えるために、俺はあいつを絶望の底に叩きこむのさ」
共依存の世界は、爆轟音という断末魔をあげて砕け散った。
闇が晴れる。騎士と狩人のもたらす光があまねく広がっていく。
後悔はない。未練もない。だがやるべきことは終わらない。元々いた領域、元々いた地獄もまた、別種の地獄であることに変わりはないからだ。
すなわちバベルの塔を得て、あらゆる界に精神汚染の侵略をはなつ、ローズという名の支配者が君臨する世界。
「あら、まさかあの地獄から抜けだせるなんて。少々あなたがたを見くびっていたようですわね」
三千世界の王となった淫虐の魔性が、シャロンたちを看過するはずもない。たちまち眼光には炯々たる嗜虐の炎がやどった。
「せっかくお戻りいただいたのに申し訳ないのですが――さあ、土は土に(earth to earth;)、灰は灰に(ashes to ashes;)、塵は塵へ(dust to dust;)とお還りあそばせ!」
〈土人形〉の息子カイン。名前に〈灰〉を持つシャロン。太陽に炙られ〈塵〉と化す俗信をもつ吸血鬼のナオ。それぞれを塵芥とせんがための風爆が襲いかかる。
だがシャロンは死地にあってなお吃々と笑む半人半魔を見逃さなかった。
まさかローズのいる界に帰還したことで、薔薇の精神汚染がふたたび効を灼にしたのか。そんな危惧とは裏腹に、彼の〈恩恵享受〉が放たれる。
「塵は塵に、散々に――なら薔薇は薔薇に、散々にってな!」
みずから塵と化した半魔はそのまま無数の幾鎗の驟雨となり、ローズを刺し貫いた。
〈記憶の操作・改変〉能力にならぶ吸血鬼の特徴が〈体液の操作〉。より正確にいうならば、体液中に自身の生命力を分散させ、自由自在にあやつることができる。
ならば、いくら侵蝕されようと、汚染された部分だけを切り離せばよい。そして彼の肉体、彼の血液で創られた武器ならば絶対必中。いくら薔薇が盾となろうがかいくぐり、直接本体を攻撃できるのだ。
「ぐっ……! だが血液すら石化させてしまえば動けまい……!」
鬼魔の分身に等しいならば、武器を癈いて致命傷とすればいい。茨の奥処から邪眼の蛇バジリスクが現れる。
「退け、雑種ッ!」
土は土に還るべしという呪詛は、ナオの攻勢によってカインを衝き動かすまでに弱体していた。ゆえに黄金の狩人はみずからを盾とすべく、魔眼のまえに身をさらす。
「――効かねぇなァ! 〈受けたる痛苦には七倍の復讐を(アヴェンジド・セヴンフォールド)〉!」
当然、無策であろうはずがない。バジリスクには石化の魔眼によって自滅する伝承が存在する。彼の一撃は致命傷となるはずだった。
だが復讐の獄に蝕まれながら、なお蛇の王は耐えしのぐ。
それでも反撃の狼煙は潰えない。あざやかに身を飜しながら、日高直紀が追撃する。
「おっと、それが薔薇に隠した秘密とやらか?」
それはシャロンすら見過ごしていた、今に至るすべての状況を創りだした原点。〈慈愛〉改め〈色欲〉の世界を創造すべく、真っ先にうまれおちたのは――
――Cosa c'era ne'l fior che m'hai dato?
(なにが隠れていたんだい、キミのくれたこの花に)
――Forse un filtro un arcano poter!
(媚薬、それとも秘密のちから?)
そんな誓詞だったはずだ。
「さて、すっげえ今更なんだが、ここいらで自己紹介させてもらうぜ。なにせ俺たちは今日が初対面なんだからよ」
いくらなんでも場違いに程がある。まるで新学期の壇上ではないか。
だがこれこそが彼の本質なのだと、ようやくシャロンは理解した。
「生まれは東欧、半人半魔の吸血鬼。ちょいと昔じゃ、王城傘下、〝旧〟第十三番目の騎士〈血宵の闇〉アリアス・リークスなんかもやってたか。……そんでもって今現在は」
半吸血鬼であること。
裏切りの騎士であること。
「――〝皆守紘〟の親友、日高直紀だ。よろしく頼むぜ、ヒロの毒親」
日高直紀という人間であること。
皆守紘の親友であること。
そのどれもが彼にとって矛盾しない。暴食のごとく腹におさめ、夜闇のごとく肯い、混淆を深めていく。
決然たる言葉はそれだけで神威を発揮する。ローズにとって〝皆守紘〟を肯定する彼は、ただ存在するだけで弥栄をはばむ危険因子だ。見過ごせるわけがない。
「……いいでしょう。そこまで言うのならば、わたくしも名乗らぬわけにはいきません」
美貌が凄絶にゆがむ。年古りたりし古魔の言葉は、世界を震撼させ、シャロンたちの耳目をのきなみ聳動させるに足るものだと知る。
「我が名はローズ・B・ウェブフィールド。
王城第五席〈慈愛〉の騎士であり――」
茨が、彼女の騎士名(Rose "B" WaveField)を宙に書き。
瞬転、西に、東に。
さながら舞う花のごとく、言の葉が順序をいれかえた。
「――〝我らBの名をもつ悪魔(We are Devils of "B")〟の王たる、バビロンの女神、イシュタルなり!」
彼女の騎士名(Rose "B" WaveField)。
それこそ〝我らBの名をもつ悪魔(We are Devils of "B")〟のアナグラム。
〝ローズ〟と〝バビロン〟を両立させた、大淫婦イシュタルの切り札。
「秘密にする(under the rose)ため薔薇に隠した(hide under the rose)ものを、今、お見せいたしましょう!」
同瞬、薔薇の花びらから現れたのは、Bの名をもつ七体の悪魔だった。
石化の邪眼をもち、薔薇の花をささげた者の願いを聞き届ける人喰い老婆バーバ・ヤガー。
真紅の王冠、真紅の甲冑、真紅の馬にまたがり、男女の愛をかきたてる騎士ベリス。
ミルトンをして「堕天使のなかで最も淫欲」と言わしめた邪悪ベリアル。
中世欧州における梅毒の象徴。石化の邪眼をもつ蛇の王バジリスク。
メソポタミアにおける失明の象徴、蛆虫と蝿の大魔王ベルゼブブ。
妖艶な美女の姿をとり男を誘惑する色欲の悪魔ベルフェゴール。
ユニコーンの対存在、不純をつかさどる二角獣バイコーン。
彼らすべてが〈赤〉〈騎士〉〈薔薇〉〈淫欲〉のどれかに結びつく。七悪魔とバビロンをふくめた合計八つのBが、女神イシュタルを象徴する八芒星と繋鎖する。
だがいくら強固とはいえ、繋がりがわかるなら手立てはある。このなかで神話や伝承から恩恵享受するための知識に最も精通しているのはシャロンだ。ここで戦わずしてどこで戦うというのか。
「繋鎖」
シャロンが〈世界再構築〉する気配を察して、カインたちが臨機に応じた。
敵対して強さを実感したからこそ、……そしてこの戦いに賭ける思いの丈を知っているからこそ、安心して全身全霊をつぎこめる。
「性愛と戦争の女神イシュタルよ
天の貴婦人 神聖娼婦 バビロンの淫婦
地の闇、地の獄、冥界まで統べんと欲す者よ」
皮肉もいいところだ。今この瞬間がくるまで、誰かに背を、心を預けることなど考えもしなかった。どんな敵がいようと、どんな味方がいようと、戦場においてシャロンはひとりきりだった。
「其は七つの邪悪に飾りたて
あゝ 地獄の門を欲す
こしかたゆくすえ 御身に誓えよ」
だが今は違う。たとえカインの傲慢さに辟易し、ナオの飄然たる態度が気に食わなかったとしても、命を託すことに躊躇いはない。
「我、懐疑する
其を潤飾する七つの悪魔が
其の金冠銀鐶に繡服であろうことを
大きな天から大きな地へ
我、解義する
其を待ち受けたもう七つの門にて
其の所有物をあたら喪いしとき
其は植物のごとく枯れ落ちると!」
彼らすべてが〈赤〉〈騎士〉〈薔薇〉〈淫欲〉によって繋がっているということは、彼女を構成する一部であるということ。ならば〈イシュタルの冥界くだり〉と鎖で繋ぎ、その破壊をもって彼女を弑す。
寡が衆を、しかも格上の相手を制するためには、これしかない。
「――I drive the wedge of my name "Cain"
(我が名カインを楔とせん)」
シャロンの〈恩恵享受〉にカインが便乗した。〈七倍の復讐〉による疲労をまるで感じさせぬ軽捷さで接敵し、銃声と刃うなりを伴奏に、広袤数里におよぶ大喝をあげる。
「into words that rhyme with cursed
(この呪詛を繋縛とし)
and reinforce the strains of the chain's reins again
(繋鎖の旋律をより強固たらしめる)
only revenge can quench my thirst
(復讐のみが我が渇きを癒やすのだ)
maximum attack and wane attach importance to be quick
(殲滅と死兆は早速を尊ぶ)
heaven deign to show us, you will be judged at a great lick
(天網恢恢疎にして漏らさず、審判は即下にくだる)
I've got chains of having a golden shine
(我は煌々輝々たる金鎖を得り)
your herds at bedtime cannot burst
(汝が性奴隷に期待するだけ無駄と知れ)
profane prostitute in demon god's fane
(忌むべき売春の女神よ)
only you are prepared for the worst
(最悪の事態を覚悟せよ)
they are for you to seal the lid of the coffin made of brick
(其は汝がための鎖龕にして)
and envoys of the bane that are too painful and too drastic
(汝に重苦をもたらす破滅の使者なり)」
放たれたのは長大な詠唱。既存の伝承ではなく、カインの自作自演だ。それでも速効をみせつけたのは、第一声にもあるように彼の名前と韻を踏んでいるから。
「封鎖縛殺(Cain's Chain)――地獄の黙示録(Hell's Bells)!」
シャロンが〈七つの悪魔〉を、イシュタルが冥界でくぐる〈七つの門〉とそこで失う〈七つの服飾品〉になぞらえたように、カインも〈七人の喇叭手〉で繋ぐ。
創造されし金鎖が、うなりをあげて神魔たちを拘束した。
最も機動力をそがれたのは騎士ベリスと二角獣バイコーンだ。怪異の魔馬がいななき、馬上の主人たるベリスごと鞺と倒れ伏す。そこを逃さぬ理由がない。
「汝のあるべき場所へ還りなさい!」
「とっとと消えなァ!」
騎士は敵騎、狩人は獲物めがけて剣腕をふるう。
白刃は鮮麗にして苛烈。たった一撃で叫喚の波濤が響きわたった。
「ぐ、ううッ……!」
二種の轟撃はたちまち鐐となってローズの豊満な肢体に食い込む。彼女がどれほど強大な神魔だろうが振りほどけない。
それもそのはず、〈七〉という数字は、七ヶ月、あるいは七年七ヶ月七日冥界にくだり、〈七つ頭〉の武器〝シタ〟の所有者たる彼女にこそ強く作用するのだから。
効果は絶大。
ならばそこを突くのが王道だ。
敵の手数が減ったのをいいことに、シャロンはさらなる恩恵をもとめる。
「我は七つの冠たる冥路を征き
あゝ 罪穢の贖を欲す
こしかたゆくすえ 名に賭け 誓う」
無論、それを見逃す敵陣でもない。七悪魔のなかで最も勢威ある蝿の王ベルゼブブがついに動く。
――まったく信じられぬ行動に。
ラスボスの正体がアナグラムによって最初から示唆されているのが好きです。大体ハリポタのヴォルデモート卿のせい