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楽園追放Ⅰ 僕の儚くも浅ましきイデア  作者: 高坂悠貴
1章 Anthem
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1章1話 - 礼拝堂

作品の概要については作品ページ https://ncode.syosetu.com/n2502gk/ をご確認ください


()(じろ)ぎひとつしないから、敬虔なようにも、ひと眠りしているようにも見えますね」


 背後からの声に、ヒロはゆっくりと双眸をひらいた。

 ステンドグラスから降りそそぐ朝陽が、まろみをおびて礼拝堂を満たしている。血と肉と骨でうまれた地獄など、もうどこにも見つけることができなかった。


「おはようございます、シスター」

「おはよう、ヒロ。なかなか戻らないから心配しましたよ」

「……すみません。また白昼夢を見ていたみたいです」


 つい今し方のことなのに、夢の内容はもう曖昧だ。けれど物心ついたときから、ずっとおなじ夢を見続けている。


 人々が死ぬ。死んでいく。積み重なった屍は、やがて塔のごとく(そび)えたつ。手足はおろか()(もく)(こう)()すら持たないヒロは、なにもなせず、誰も救えないまま、墓標となって佇む。――そんな地獄(あくむ)を。


「時々、思います。今こそが幸せな夢なんじゃないかって。本当の僕は、とっくに死んでいるか……」


 ――幸せな夢さえ見ることも望めないような極悪人ではないか。


 続く悲鳴を、(えん)()することで殺した。

 言ったところでなにも変わらない。どんな答えが返ろうとも、未熟さゆえに、きっと受け取り損ねてしまうだろう。老い先短いシスターの憂いを増やすだけだ。


 ヒロを我が子と言ってはばからない優しい彼女に、希死(きし)念慮(ねんりょ)という名の刃を振りかざして傷付けたくはない。たとえ腹におさめた、音として生まれ得なかった言葉たちを、もうとっくの昔に(すく)いあげられていようとも。


「……いいえ、なんでもありません」

「ねえ、ヒロ。あなたは生きている。ここに存在している。それは罪ではありませんよ」


 助けてと言えなければ(すが)りつくこともできない子供に、ほんのすこしだけ(さと)す響きを織りまぜて、彼女は続く言葉を舌にのせた。


「どうしておまえが生きているんだ、生き延びたんだ。……そんなことをナオに言えますか」

「言えません、シスター! それだけは絶対に……!」


 今度こそヒロは振り返った。

 真正面から彼女を見据(みす)え、強く、確かな響きで即答する。


 ふたりが養護施設に身を置くことになった事件から、もう十五年ちかくが経とうとしていた。それだけの年月、ヒロを(むしば)んできたものが罪悪感であるならば、救い続けてきたものこそが彼だ。たとえ冗談でも「死ねばよかったのに」なんて言えるはずがない。


「ナオは、僕の……!」

「俺がなんだって?」


 底抜けに明るい声が響く。

 驚いて入り口を見遣れば、まさに話題の渦中にある人物がいた。


「ナ、ナオ……!? どうしてここに……」

「なんでって、そりゃお前を呼びにきたんだよ。もう出発しねえと学校に遅刻するぞ?」


 ()(だか)(なお)()。その名から受ける印象通り、空の広さや雲の自由気ままさ、水の柔軟さを体現した幼馴染みは、思春期にありがちな気難しさとはまるで無縁で。けれど唯一(しゃ)に構えるものが宗教だった。

 普段、彼は礼拝堂に近付きもしない。なのに今だけは躊躇なく上がりこむところを見ると、どうやら思っている以上に時間が押しているようだ。携帯電話を持っていないから気付かなかった。


「おはようございます、ナオ」

「はよ、シスター。ハッピー・イースター」


 歌うように(ささや)き、流れるような動作で渡したのは、昨夜、施設のみんなで用意したイースター・エッグだ。ここに来るまえ、食堂から拝借したのだろう。


「ありがとう、ナオ。復活祭という良き日、あなたに神の祝福がありますように」

「あー、そういうのどうでもいいから。シスターも飛行機でぎっくり腰になりませんよーに」


 生返事もそこそこに、ヒロには学生鞄を投げて寄越した。受けとめたのを確認するや否や、あっさり(きびす)をかえしてしまう。まるでおくびにもださないけれど、やはりここに長居したくないのだろう。けれど。


「ナオ、待って。今日が最後だから」

「……しょうがねえなあ」


 言わんとすることを察して、彼の歩みがとまる。これ幸いと隣にならび、一緒になってお辞儀した。


「シスター。今までお世話になりました」

「ありがとーっした」

「どういたしまして。……今日でお別れなんて、寂しくなりますね」

「はい、本当に……。今でも信じられません。これこそ悪い夢なんじゃないかと思います」


 涙腺が緩みそうになるのを、ぐっとこらえる。


 今日、ヒロは養護施設をでて、ナオと共に全寮制の高校へ進学する。シスターは明日の復活祭を見届けたあと、生まれ故郷ヴァチカンへ帰郷する予定だ。彼女の年齢を考えると、もう生きて会うことはないだろう。


 彼女と出会ってから――この養護施設に身を置いてから、もうすぐ十五年目になる。ここは様々な事情の子供たちが来るけれど、とりわけ自分は厄介者で、いつも周囲を困らせてきた。施設の仲間も、同級生も、教師ですらも、離れることができて清々するだろう。……ナオとシスターを除いては。

 ここにいるふたりだけが理解者といっても過言ではない。寂しくないわけがなかった。


「ヒロ、泣かないで。どうか別れを悲しまないで。別れは出会いと表裏一体。死がなければ生もないわ」


 だから、と、彼女の声音に想いが灯った。


「あなたたちも生まれ変わってください。過去に囚われるのではなく、今を生き、未来にむかって進んでください」


 ステンドグラスから透けたやわらかな陽光が、キリストの磔刑像(たっけいぞう)とシスターに降りそそぐ。イースター・エッグを抱えた彼女は聖母マリアにみえた。


 復活祭(イースター)


 キリスト教系列の養護施設育ちで、毎日のように祈りを捧げるとはいえ、基本的にヒロは無宗教者だ。地獄と天国。審判と復活。それらの概念を知ってはいても、実感をおぼえたことはない。


 ……いや。ただひとつ例外がある。

 あの悪夢を地獄とよんでいいのならば。


 物心ついてから、幾度となく地獄をみてきた。目の前で、たくさんの人々が死んでいく。痛い、苦しいとうめく者がいた。ヒロにむかって死ねと叫ぶ者や、いっそ殺してくれと縋りつく者さえ。


 キリストが磔刑(たっけい)(しょ)せられ、原罪が(あがな)われたように、ヒロの死であの地獄に(しゅう)(えん)がおとずれるのだろうか。命を捨てることで、誰かを救えるだろうか。


 生まれ変わるには、一度死ななければならないのだ。


「相変わらず説教くせえな。俺は俺のやるべきことをするだけさ」

「ありがとうございます、シスター。そう()れるよう努力します」


 かくあれかし(アーメン)

 十字をきって背をむけた。新しい世界にむけて、今、歩きだす。

 夢から()めるときが来たのかもしれない。

 けれど夢から醒めたあとの世界に拡がっているものを、いまだなにひとつ知りはしないのだ。


まだ続く。

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